2009年12月26日土曜日

善いことは徹底してまねる パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート8」だ。

諸君、昨日の話の引き続きです。
因(ちな)みに山岡鉄舟は、身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)という堂々とした大柄な体格なんだよ。
その当時では、見た目だけでも威圧感はすごかったんだろうね!!
今時でいやあ、プロレスラーか野球選手で元ジャイアンツの清原選手バリのガッチリした体格だったんだろうねえ。

「本物かね?」と聞くと、「真筆に間違いありません」と言い切る。
そこで、鉄舟は主人に「お前は山岡という人を知っているのか?」と言うと、「ええ、よく存じ上げていますとも」と当の本人の鉄舟を本人とも知らずに平然と言うので、実は俺が正真正銘の山岡だと言おうと思ったが、あまりにもその掛物の字が見事(みごと)なので、「ずいぶんうまく書けているね」と言うと、店の主人がこう言った。
「これは、山岡大先生の傑作中の傑作なんです。 実は故あってありがたいことに手に入りましたものです。 めったにない掘り出し物ですから、いかがですか、お求めになられては・・・」
「この山岡大先生のこの書軸は因(ちな)みにいくらだね?」と訊ねると、「本当は十両と申し上げたいのですが、今夜の初めてのお目が高いお客様ですから、清水の舞台から飛びおりたつもりで、喜んで半値の五両にさせていただきます。」と言う。
鉄舟は笑いをこらえてはいたが、あまりにも主人の堂々とした振る舞いに、こらえきれずに思わず「アハハハハー、アハハハハハー、アハハハハー。 実に愉快だ。 知らなかったこととは故、鉄舟の名をかたられるほど俺も有名になったものだ。 偽物とはいえ、ずいぶんと値打が出たものよ。 これ主人よ、山岡大先生の書軸とあれば、これは値打もの! 主人の言い値で求めてつかわすぞ」と即座にそれを買い求めたので、そのやりとりの一部始終を傍らで見ていた泥舟が、「よせよせ、全然覚えのない偽物なんか五両で買うなよ!」と鉄太郎をいさめるように言った。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月25日金曜日

善いことは徹底してまねる パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート7」だ。

諸君、日本橋の丸善に寄って、その帰りに、家内や家族に頼まれた銀座木村家のあんパンを箱に入れてもらって、もちろん買って帰る。
あんパンだけじゃなくジャムパンも好評だったね。
おつかいものにも大変喜ばれたんだね。
山岡鉄舟も木村家のあんパンが大好物で、毎日あんパン食っていたという逸話もあるくらいだ。
明治天皇の侍従をしていたおりに、天皇様に下下(しもじも)の巷(ちまた)の世間の話をしていたおりのことであろう?
「ありえる話だ」ぐらいに聞いて下され。
「山岡!下下(しもじも)で何か面白い話はないか? 巷で流行(はや)っているものはないか?」
「はっ!陛下におわされましては、御機嫌うるわしく存じ申し上げます!」
「山岡、内輪じゃ! もったいぶるな!」
「はっ、実は先ごろ銀座に和菓子と洋菓子を合わせた、あんパンと称する饅頭らしきものが大変な評判
であります。」
「ほ~そうか! その饅頭らしきあんパンと称するものを其方(そち)は食(しょく)したであるか?」
「はっ!食(しょく)してございます。」
「山岡、それはどうであった?」
「はっ、どうであったとは?」
「どんな味がしたかときいておる!」
「はっ、どんな味と申せば、食べてみなければ、わからない味かと」
「山岡、其方(そち)はうまかったのか?まずかったのか?どちらであるのか?正直に申せよ!」
「はっ、陛下、これがこたえられない美味でございます!」
「『ます!』とは引き続き食しておるのか?」
「はっ、御意にございます。」
「ほ~お、そうであるか。 朕(ちん)も一度食べてみたいものよのお~、山岡!」
「はっ、さっそく御意の通りにいたしまする。」
こんな会話のやりとりがあったかどうかわかりませんがね。
明治8年、明治天皇の水戸家の行幸(みゆき)の折、侍従山岡鉄舟より酒種桜あんパンが献上され、ご試食の栄を賜る。
天皇様もお気に召し、皇后様は特に愛され、引き続き上納の栄を賜ることになったそうな。
その山岡鉄舟と高橋泥舟の二人は泥舟の妹の英子の夫が鉄舟なもので、親戚でもあり、年齢もほぼ同じで、とにかく兄弟のように仲が良かったんだな。
「おう~、鉄太郎、どうだいたまには銀ぶらでもしようぜ!」
「おうよ!いいねぇ!でいにい、行こうぜ!」と
二人のいきが合って、夜店が出てにぎやかになってくる宵の口から、二人で銀座に繰り出した。
そのとき泥舟が一軒の古道具屋に掛けてあった軸物を指して、「おい、鉄太郎、貴様の筆だという掛軸が売りものに出てるぞ」というので、「そうか」と言って鉄舟がよく見ると、全然自分の書いた覚えのない字なので、「おい、その掛物は誰が書いたものかね」と古道具屋の主人に訊ねた。
ニヤニヤしながら「ここに添え書してあるとおり山岡鉄舟大先生の書かれたものです」とさもさも得意気に言うので、「本物かね?」と聞くと、間髪入れず「真筆(しんぴつ)に間違いありません」と自信たっぷりに言った。
諸君、面白くなってきただろう?
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月24日木曜日

善いことは徹底してまねる パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート6」だ。

諸君、昨日は内輪の実話!実話!週刊実話の裏話をしてしまった。
裏話を聞かされて興醒めされなかったであろうか?
なんとも、あの世とこの世のいりまじった複雑怪奇!否複雑快気!
あの世とこの世の不思議ファンタスティック、ファンタジックな話だろうね。
これからも十分あり得るので諸君の寛容な愛の心で受け入れて下さいな!
本日はクリスマス・イブでありますから、愛のある、あったかい気持で家族や恋人や友人とともにすごして下さいな!
一人ですごす方はロバート・ゼメキス監督の「クリスマス・キャロル」の映画でも見るもよし、山下達郎さん、稲垣潤一さんのクリスマスソングを聞くもよしですよ!!

前置きが長くなってしまったね。
昨日の続きだったね。
「天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには思い出があるんですよ。」の話からさせた頂くね。
私こと、天風は1876年(明治9)7月30日東京府豊島郡王子村(現 東京都北区王子)で父祐興(おきすけ)、母テウの三男として生まれたんだね。
本名は中村三郎です。
私の生まれる7~8年前には、丸善も木村家(屋)も開業していたんですよ!
「丸善」は明治2年(1869)、書籍、薬品を商う丸屋として出発し、その後多角的な商売を始めることとなった。
日本橋丸善は明治3年(1870年)3月にオープンしたんですな。
丸善の創業者は知る人ぞ知る、かくれた有名人である早矢仕有的(はやしゆうてき)氏である。
何故かくれた有名人であるのか?
日本全国的に知らない人はいないであろう、かの「ハヤシライス」の考案者なんですよ。
諸君は「ハヤシライス」食べたことありますかい?
あの「早矢仕(はやし)さんのライス」で、「ハヤシライス」となった。
知っている人は知っている、うそのような本当の話ですよ。
インターネットで検索すれば本当だとすぐわかりますよ。
同じく「銀座木村家」も明治2年に、木村安兵衛が東京芝日陰町に「文英堂」を開業したんだ。
開業が同じ明治2年だったんだね。
「文英堂」は明治3年に京橋区尾張町に移り、屋号を「木村家」と改称した。
明治7年に銀座四丁目に木村家の店舗がオープンしたんですな。
このときから、木村安兵衛が酒種あんぱんを考案し日本で初めて第一号のあんぱんが発売され産声をあげたんですよ。
「銀座木村家」の屋号の大看板を揮毫(きごう)したのが、天風が敬愛する山岡鉄舟先生なんですよ。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月23日水曜日

善いことは徹底してまねる パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート5」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」ということに関しての生前私の述べた逸話があります。
知っている方もおられるでしょうが、諸君のご参考になると思うので、話にアレンジとエピソードを加えながら述べていくことにする。
これは「真理のひびき」の中の箴言(しんげん)二十として書きおろしたものだ。
「模倣も極致に到達すると真実と同様になる 此の真理に則(のっと)って善いという事は極力 模倣に専念すべきである。」
この箴言にあった付随する逸話は、明治維新の直後、王政復古となったとき、ある宵、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が仲よしの高橋泥舟(たかはしでいしゅう)と銀座を連れだって散歩しているところから始まる。
二人とも知る人ぞ知る有名人であるので、通り一ぺんではあるが、辞典に記載されているプロフィールをご紹介しよう。

高橋泥舟先生が少し先輩であるので、高橋先生からご紹介する。
高橋泥舟(たかはしでいしゅう)(1835-1903)
幕末の幕臣。 名は政晃。
槍術に優れる。 講武所教授。
鳥羽伏見の戦い後は、恭順謹慎を唱え、徳川慶喜の身辺警固にあたった。
勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟といわれる。

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(1836-1888)
幕末・明治の政治家、剣術家。 江戸の人。
通称、鉄太郎。 千葉周作の門人、無刀流を創始。
戊辰戦争の時、勝海舟の使者として、勝と西郷隆盛の会談を周旋、江戸開城に尽力。
維新後、明治天皇の侍従となる。

今日(40年以上も前の生前の「今」のことです)と違って当時の銀座は、夜店といってもさまざまな品物を売る露店が今の京橋までの両側に、にぎやかにずらりとばかりに宵の口から夜更けまでも店を張っていたものである。
諸君は日本橋二丁目の高島屋百貨店まあ高島屋デパートは知っているよな。
マルに「高」の文字のマークのデパートですよ。
その高島屋の道路をはさんで向こう正面にある老舗の本屋があるんだ。
これもマルに「M」の文字のマークの本屋でね、丸善というんだがね。
すぐ京橋で銀座通りに面しているんだ。
今ね、私こと天風の話を代筆してくれている彼はお人好しだがかなり慎重なやつなんだな。
俺はね、俺っていうのは、生前の中村天風という名前の男が、この丸善で本を買ったことがある。
護国寺によく行ってましたからな、銀座ぐらいすぐ近くですからして、よく行きましたよ。
天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには想い出があるんですよ。
それで、俺は銀座木村家(屋)のアンパンが好きだと言ったら、こいつ「本当ですか? 何かの間違いじゃないですか」と言いやがる。
「先生は女好きとうかがっていますが? アンパンもお好きですか? ホーオ、ヘェー?」
アホヌカセ、食いものは食いものでも、食えねえ食いものと腹の足しになる食いものの違いがあらあーな。

平成二十年八月二十五日、降ってはやみ、やんでは降る雨の一日だったな。
「ご挨拶をかねて、一度くらいお墓参りに行ったほうがよろしいんじゃないですか」と友人に言われて、その気になって、友人二人と三人で連れだって来たんだ。
私の墓参りにな!
こいつ護国寺の本堂のうらの中村家の墓の前で、木村家(屋)のアンパンを人に買わせて、焼みそおむすびとお茶を持ってきやがった。
「天風先生の好物の木村家(屋)のアンパンです。 どうぞ遠慮しないで召し上がって下さい! お茶もどうぞ。」
持ってきたのはいいんだが、死んじまったんじゃ食えねえのをいいことに、「遠慮せずにどうぞ!どうぞ! ご一緒にどうぞ!」と言いながら「うまいうまい、木村家(屋)のアンパンはうまいですね!」と言いながら食っちまったんだな!
俺じゃねえよ。
代筆しているこやつがうまそうに、うれしそうに食ったんだ。
「天風先生、死人に口なし! そう言えば先生は死んでからも口は達者ですよね~。 死人に腹なしですかね~。 先生の代わりにおいしくいただきました。 ごちそうさま! 天風先生、本当に銀座木村家(屋)のアンパンが好きだったんですか? ヤマザキのアンパンじゃだめなんですか?」
平成二十一年十二月二十三日現在、「先生、この話、ブログにのせてもいいんですか?  先生の生前の知り合いの方々、まだまだ御存命ですから、うそだとしたら困っちゃいますよね!」
「なにをゴチャゴチャ言ってやがるんだ。 俺が好きだと言っているんだから好きなんだ、ごたくならべてねえで、そのままブログに書け!!」と言ってやったんだね。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月22日火曜日

善いことは徹底してまねる パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート4」だ。

諸君、このテーマのパート1で、「諸君の子供の頃の憧れの的は、憧れていたものは何でしたかね?」と諸君等に問いましたな。
憧れを抱くということは、憧れている存在のようになりたい! 憧れの存在に近づきたい!なれるような存在じゃなくとも夢や勇気や強さ、正義、誠や愛、理由(わけ)は、わかんないけどワクワクしてくる、何故か心引かれる。
白黒テレビの時代から始まった「鉄腕アトム」「鉄人28号」。
カラーテレビに変わったカラーアニメ「機動戦士ガンダム」、毛色の一風変わったところで「ゲゲゲの鬼太郎」、映画アニメ「宇宙戦艦ヤマト」などなど、いろいろあるね。
人の情味をよく表現している映画「ALWAYS三丁目の夕日」は昭和三十年代の東京を舞台にした東京タワーがだんだんに立ち上がっていくところに高度経済成長をあらわしているとともに「月光仮面」に代表される勧善懲悪マンガや劇画がはやっていたね。
今でも人気があるのかな?
女の子には「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」、ちょっと前までは「美少女戦士セーラームーン」などなど人気があったね。
もちろん「ディズニーアニメ映画」や「スタジオジブ
リ映画」も人気だね。
劇画では「五人組の勇士戦士が活躍する戦隊ヒーローもの」「仮面ライダーシリーズ」「ウルトラマンシリーズ」などなど、今も人気がおとろえないね。
昨今は、大人買いというのかな、子供の頃、欲しかったけれど買えなかった、買ってもらえなかったおもちゃなどを、金を稼ぐようになって子供の頃の満たせない欲求を満たすために買っているね。
鉄道のミニチュアや自動車のミニチュアが欲しくてしょうがなかったが、生活がやっとでそんなもの買ってもらえる境遇じゃなかった。
そんな子供時代の満たされない衝動に駆られて、収集狂のコレクトマニアになっている方もいるよな。
いい意味でとらえれば、子供の頃の潜在意識に刻印された強い憧れのイメージの欲求がそうさせているんだね。
別にアニメに限らず「青春のアイドル」や「芸能スター」や「伝記の偉人」も憧れの的にあたるでしょうな。
とにかく、憧れの的は時代の変遷によってその価値観も対象も変わるでしょうが、その中に流れている夢や大志、希望、愛の心、誠の心、正義、友情、恋する心、未知なるものへの冒険心、そして恐れずに立ち向かう勇気、自信を持つこと、やりとおす信念などなどのコンセプトは、変わっていない。
変わらない。
そのことをわかりやすくはっきり表現してくれる、または、なりたい自分を演じてくれるヒーローやヒロインに憧れをもったんですね。
幼い子供心に、お母さんに読んでもらった絵本の中の童話の世界に出てくる「おとぎ話」や「日本むかし話」や「世界の寓話」の中のいましめや教訓がいつまでも忘れられずに心に残っているんですな。

「憧れ」という文字は「童」(わらべ)の「心」と書いて「憧」(あこが)れなんですな!
天風がいう「憧れ」とはね。
幼子(おさなご)の心でいる状態が「憧れ」なんだな。
成長して大人になってもいつまでも忘れないで、捨てないで抱いていたい「憧れの心」は、いつまでも若々しくいられる秘訣でもあるんですぜ。
知ってましたか諸君?
いくつになっても、「憧れの心」の状態は不思議と細胞が生き生きと活性化するんですぞ。
私、天風が言うところの「幼子(おさなご)にかえる。」「童心にかえる。」とは、

「忘れてしまった憧れの心とともに、『無邪気な素直な心』『純真な心』に立ち返ってみようよ。
立ち返って、今一度、諸君の人生に対する考え方思い方を振り返り、自己省察して見直してみる。」

ということだ。
「素直な心」、「純真な心」こそ「本然の自性」、あるがままであるからなんですよ。
本日はこれまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月21日月曜日

善いことは徹底してまねる パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート3」だ。

諸君、昨日の引き続きですな。
「何故、目を半分開いているんですか?」の疑問についての天風なりの返答をしよう。
修養が進み、菩薩の心境境地にある状態は、「本然の自性」がそのままあらわれた状態なんだ。
自分の自我に偏見や執着、雑念、妄念、邪念もちろん悪念がある状態じゃないんだ。
一切の曇りがない、澄みわたった心境に他ならないんだ。
本来の自己、霊魂そのまんまの本然の自性がはっきり煥発されたものが「あるがまま」というんだよ。
一切の衆生はみな我と同じ。
またその理(ことわり)そのままが当然の自然のあるがままだから、そんなことすら考えも無い「空」の心の状態だね。
その心境の状態は自ずとある兆候や現象が出てくるんですよ。
本当の人間の本体はね、肉体でもまた心でもないんですよ。
人間の本体はね、絶対の不変にして不朽・不滅なる霊魂なんですな。
信じても、信じなくともけっこうですよ。
信じる信じないに関わらず、これは人間真理なんですな。
人間の心が理屈抜きの菩薩の境地であると、霊魂の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光」が発露すんですよ。
この「光」は、この世に在る唯一(ただひとつ)の絶対たる造物主(宇宙霊、神、仏etc.)が、人間の霊魂の中に与えられた造物主の慈悲の光の一雫(ひとしずく)が、輝くように内面から溢れ出てくるんですよ。
勝手に光がもれ出てくる。
肉眼で、この世の外界の光を見ているんじゃないんだよ。
心眼で見ているため自己の内面より光り輝く慈悲の光が、目を閉じていても真昼の太陽の陽の光のようにあふれ出て来るから、まぶしすぎて目を閉じていられないんだな。
そのため目を半分開いているんだ。
その半眼から、慈悲の光が溢れ出ているんですよ。
これも、修養が進むと、諸君らも目を閉じていても、光が感得されることがあるかもしれないね。
これって心眼が開いてきている兆候だな。
これは、目の病(やまい)じゃないですよ。
心が洗われて、曇りが払拭して、取り除かれて、お日様と青窓があらわれたんだね。
当然、心も肉体も内面から照らされ、明るくなるんですよ。
陽気が満ち満ちているんだね!
これを説明しようとすれば無理がある。
「筆舌(ひつぜつ)に尽くし難(がた)い」が、本当のところですよ!

私の観点からものを申すと、仏像の半眼は菩薩のその目から神仏の慈悲の光が溢れ出ている。
半眼の状態をとらえて、表現しているんですよ。
私はそのように感得しております。
日々菩薩の心境で過ごしたいものですな!
諸君、ままならないこの世でありますが、菩薩の心がけとして、その一端でも善きことは大いにまねていきましょうよ!
極論すれば天風の本物の究極のものまねは、菩薩の心境を丸ごとまねるということなんですよ。
以上でこの質疑の返答とさせて頂く。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月20日日曜日

善いことは徹底してまねる パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート2」だ。

諸君、今回のこのテーマの話にちょっとずれるところがあるかもしれませんのであらかじめご了承下さいな。
前回の「和顔平気パート4」でのご質問がありましたので、天風なりの解答と解釈をいたすことにする。

その質問は、
「アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。 その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。 そして目は静かに半眼に開いている。その顔が微笑みを浮かべたようにみえる。 『和顔』の最たるイメージだ。旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!」の話の中で、

「口角をほどよく上げることはよくわかります。 何故その仏像は目を半分開いているんですか?」という純粋な疑問の問い合わせでありました。

私に聞いて頂くより、作った方に聞いて頂くのが一番だろうが、そうもいかんでしょうから、私、天風の思うところでしたら、という条件付きで、述べたいと思うがいいでしょうかな?
「ま~よい」という御返答として話をさせていただきましょうかね!

私は生前に自分で木彫りの観音様を拵(こしら)えたことがあるんだね。
観世音菩薩の菩薩の心が好きでね。
それはね、生前にねえ、私ね、真理の在(あ)り様(よう)にいろいろと気づいてね、ま~その過程なんだがね、

救わないではいられないから救おうと。
見るに見かねちまうからね。
教えずにいられないから教えるんだという気持ちでやりだした。
そうするとね、救わずにはいられないから救おうと思ってやっても、救えない場合、教えずにいられないからと思って教えてもわからない人間がいると、もうどうにもたまらない悶(もだ)えを感じたもんだ。

「何を説いたらいいか、本当に難しいなあ、もう駄目だ。 いっくら努力して説いても、本当にうなずいてくれる人がいないなんて、ずいぶんだ。」って。

それが、いつとはなしに、今は『ただあるがまま』になったけど。
ただあるがまま、正しいこと言ってさえすりゃいい。
そうすれは、正しいことに共鳴した者がくっついてくるんだから。

救わずにいられないとか、教えずにいられないという心は、まだ『とらわれ』であります。
ただあるがまま。

これはね、仏教の『菩薩たる責務』というのをいっぺん読んでから、ああ、そうかと私、思った。
菩薩というのは大悟(だいご)達成、大事貫徹の人のことを言うんだが、諸君(あなた方)だって修養を貫徹してごらん。
救ってあげようと思わなくても、救っちまうから。
この人に教えてやろうと思わなくとも、わかっちまうから。
これは天風の生前の境地を述べたものですよ。
そのあるがままの境地を人々に一目見(ひとめみ)てわかるようにあらわしたものが、仏師の魂を持つ者達の手によって作られた仏や如来、観世音菩薩や各諸菩薩の似姿をあらわしている像と思う。
調和のとれたその姿は、ただただ美しい!
私はそう感じている。
話が長くなったので、この続きは明日させて頂くことにする。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月19日土曜日

善いことは徹底してまねる パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート1」だ。
諸君、子供の頃に、学校に行かなきゃならぬ朝は眠いもので、母親か家族のものに「いつまで寝てんだ、学校だ起きろ!」なんてどなられていなかったですかい?
眠い目をこすりこすり、「言われなくたって、わかってるよ〜も〜う」ちびまる子ちゃんみたいに、グチの一つでも言って、「あ、おくれちゃうよ!」「もっと早く起こしてくれればいいのに!」なんて、あわててランドセルせおって、「いってきま〜す!」と飛び出していったおぼえはありませんかな?
ところが、日曜日になると一変する。
日曜の朝7時になると母親、家族のものに起こされなくともバッチリ目が覚める。
どうしてかって、それは諸君も経験あるでしょうよ。
TVを見るためだね。
見逃しちゃならないと、はじまる30分前から待機していたなんてことないですかな?
子供は子供の世界があって、友達同士のコミュニケーションには欠かせない話のネタなんだよな。
テレビ人気ドラマや人気アニメや人気マンガの話題は大人になってもしてるでしょうよ。
そうそう、土曜日の夜8時のTVも話のネタの一つだから見逃せなかったね!
諸君はどうですかな?
劇画やアニメーションのヒーロー&ヒロインにあこがれて同じファッションをしたくって、お年玉や、お小遣いためて、おもちゃのベルトや魔法のステッキ、その他、身につけるグッズやプラモデルや人形がほしくてほしくて買ったり、買ってもらったり、おねだりしたことなかったですかな?
ヒーロー&ヒロインになりきって、友達と「変身ごっこ」などなどしたことないですかな?
同じようなファッションをして、お気に入りのおもちゃのベルトや魔法のステッキ持って、髪にかわいい帽子やリボンなどの髪飾りをつけて、主人公になりきって決めポーズをまねたことありませんかな?
諸君の子供の頃、記憶の中で憧れの的、憧れの象徴、憧れていたものはなかったですかな?
それぞれ各人が忘れていた憧れのヒーロー、ヒロインを思いだしてみてはいかがですかな。 
本日はこれまで。 この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月18日金曜日

和顔平気(わげんへいき) パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート6 ラスト」だ。

古(いにしえ)の聖賢の格言に、「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」というのがある。
先日、伊藤博文公の話をしましたな。
読まれていない諸君はパート1からの関連の流であるので初めから読んで下さいな。
伊藤公があれまでになったのも、良師にめぐまれたからこそですな。
かように言う私も例外ではありませんがね。
諸君はご存知のことでありましょう。
伊藤公の良師はご存知ですかい?
松下村塾の吉田松陰先生だね。
知らない諸君もおいでになるでしょうから、松陰先生の通り一ぺんのプロフィールをご紹介しましょう。

吉田松陰(1830~1859)
幕末の尊王論者、思想家。 長州藩士。
名は矩方(のりかた)、通称は寅次郎。
兵法を学び、長崎、江戸に遊学。
佐久間象山に師事した。
ペリー再来の時、密航を企てて、下獄。
後に、萩の自邸内に松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら維新の指導者を育成。
安政の大獄に連座、刑死した。

伊藤博文公にあっては、吉田松陰先生は人生の恩師であり良師であったんだね。
判断に迷ったとき、決断に苦しんだときなどは、気持ちを楽にして、静かに目を閉じる。
わずか十三才に満たない少年だった頃に出合った恩師の和顔平気の姿が鮮明にまぶたにやきついている。
恩師松陰先生はいつもにっこりとおだやかにほほえみかけてくる。
「利助、孟子についていっしょに学んだとおりにすることです。」
「利助、人の上に立つものは、高潔で誠実で正直であらねばならない。」
「利助、私心(わたくしごころ)をさり、公儀の為に至誠を尽くす。これすなわち為政者・公人としての弁(わきまえ)である。」
松陰先生の一点の曇りのないすんだ魂からの声が聞こえてくる。
松下村塾で学んだのは、わずか二年足らずであったが、自己を省みるときに、師の後ろ姿がまぶたにうかぶ。
我が人生の師、松陰先生ならどう判断し、どう決断するか?
それが伊藤博文公の正しい判断とする独自の「ものさし」であったんだ。
諸君は本物の良師を以っておりますかな?
このテーマはこれで終わることにする。
次回は新テーマで明日またお会いしましょう。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月17日木曜日

和顔平気(わげんへいき) パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート5」です。

日本のトップリーダーの諸君、天風であります。
諸君らは常に責任を担っているが故に、正しい判断をしなければならない。
当然と言われれば当然である。
それも的確で完全に客観的で、なおかつ公明正大でなければならない。
リーダーにとって判断に迷い、決断に苦しむことは、その立場ゆえ、それが生きてる証で、生き甲斐ぐらいに決心し、決断しておくべきだ。
それが指導的リーダーとしての職務であるからだ。
それがいやなら、受けるべくもなく、やるべくもない。
すべては自業自得であると積極的に意志決定し考えるべきだ。
そのほうが、当然のことリーダーとしての余計な迷いがおこらないですむんだよ。
リーダーが判断に迷い、決断に苦しみすぎると、意志の力が、すこぶる弱っちまう。
それとともに、企業力、組織力も弱っちまう。
大変な損失なんですよ。
トップリーダーの生き抜く力が弱っちまうと、それに呼応して企業の生き抜いていく力も弱っちまうんです。
トップが消極的で弱っちまうと社員の不安の集合意識が世間の不安想念を集め、さらに不安要因を引き寄せてしまう。
負のスパイラルの渦に入っちまうんだ。
個人と同じく、企業も人間と考えれば同じことがいえる。
弱り目に祟り目とはよく言ったもんで、一つの解決をみないうちに、次から次へと困ったときに、さらに困ったことが起こってくる。
天風は生前に企業のトップやトップになる人間に、よくよく言ってきた。

「どんなに事業方針が確立していようと、また経営方針が完備していようと、一番のトップに立っている人々のパーソナリティに多少なりとも欠陥があったらどうなるだろうか。
健康、それから運命に対する扱いがしっかりできる人間でなかったら、どんな肩書をつけようと、それぞれの名前だけにすぎない。
それがために、自身もふくめて、どこまでも人間を積極的につくっておきなさいよ!
それからが経営である。
それから先が事業である。」

本日はこれまで・・・
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月16日水曜日

和顔平気(わげんへいき) パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート4」だ。

諸君、心の動きは、そのまま顔に表れてしまうね。
日々の思考の習慣が、そのまま顔に表れてしまうということだ。
「和顔」であるから、和(なご)む顔なんだね。
その人の顔を見ただけで、ホッとしたり、気持ちが穏やかになったり、何故かしら、いつもの変わらぬ微笑みに出会うと安心できる。
御歳暮のサラダオイルギフトのTVコマーシャルにこんなのあったね!
「変わらぬ笑顔を見たいから、暮の元気な御あいさつ~~セット!」
見たこと、聞いたことないですかい?
よく出来た決まり文句だね!
でも何かうれしくなるね。
そして、「平気」とは、「落ち着いた平静な気持ち」のことだね。
心が物事に動じないでいて、平素と気持ちや態度が変わらないこと。
いつも変わらない穏やかな心の在り様は、そのまま和顔となってあらわれてくるということだな。
その代表的な顔がね、日本の飛鳥時代の仏像に見られるんですぞ。
アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。
その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。
そして、目は静かに半眼に開いている。
その顔が微笑みを浮かべたように見える。
「和顔」の最たるイメージだ。
旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!
いまさらのことじゃないんだな。
「和顔平気」、何事があるときもなきときも、常にこの心持ちで微笑(ほほえ)んでいたいものですな!
まちがいなく人相は良くなるね!
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月15日火曜日

和顔平気(わげんへいき) パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート3」だ。

伊藤さんが首相の当時、明治三十三年十二月帝国議会、第十五議会に提出すべき法律案件になかなか決断を下せないでいた。
それは台湾総督府が提出してきた案件の承認であった。
その当時、日本が統治していた台湾の公債を外国で売り出そうという案件で、秘書官が議会に提出しようと伊藤首相に署名捺印を迫るが、なかなか判子を押そうとしない。
台湾総督からの依頼で、「日本帝国の国益に供与するものであるのに、何故に御承認なさらないのですか?」首相と秘書官の是非に関して、「即決する!」「しない」との押し問答が続いた。
その日は結局、判を押さなかった。
その翌日もまた翌々日も頑として押さなかった。
そうこうしてるうちに、年を越して新年を迎えてしまった。
明治三十四年のことである。
伊藤首相が、この案に反対であり、及び腰であると知って、陸軍大将を経て、陸軍大学校長となり、その当時は、台湾総督であった児玉源太郎が説得に乗り出してきた。
そして、首相と児玉総督の論争の末、承諾し、伊藤首相は判子を押すことになった。
その時、催促を続けていた秘書官を呼んで、伊藤首相はこう聞いた。
「世間では、自分のことを一国の宰相でありながら、優柔不断だといっているそうだな」
「はい、その通りであります。」と秘書官は答えた。
伊藤首相は、和顔平気の態度で言った。
「よく聞けよ。この案件では、君とも随分論争したが、今日私はこれを承認することにする。だがな、私は軽々しく決裁を与えないのは、陛下から多大な信任を頂いているからなのだ。万一不注意不備があっては、誠に畏れ多い。だから私(わたくし)の場合は不断(優柔不断)にあらず、容易に断ぜざるのみである。君にも、この心掛けで日常の事務をやってもらいたい。」
伊藤首相の言葉を聞いて、秘書官はびっしょり汗をかいたという逸話である。
不用意な発言をすれば、マスコミは真意のほどは別として、揚げ足を取ろうとするだろうよ。
何にも言わなければ、優柔不断、卑怯、グズ、ノロマだと評価されるであろうよ。
ゆずれない信念があるのならば、評価を恐れて、安易に容易に走るより、無理矢理決断することが、国民のため、国益となるいい結果になるとは、言い難い。
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月14日月曜日

和顔平気(わげんへいき) パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート2」だ。

「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」伊藤博文公のこの言葉の経緯(いきさつ)は御存知の方もおられるでありましょうよ。
私の大先輩である方ですがね!!
諸君の中で知らない方もいらっしゃるでしょうから、伊藤さんの辞典に書かれてある通り一ぺんのプロフィールを紹介しましょう。

伊藤博文(1841~1909)政治家。 長州の人。 初名は俊輔。
中村俊輔ではありませんぞ。ま~いいか!
松下村塾に学び、討幕運動に活躍。
明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。
初代首相、枢密院議長、立憲政友会総裁などを歴任。
組閣四度に及び、その間、日清戦争を遂行。
1905年(明治38)、初代韓国統監。
ハルビンで安重根に暗殺された。

これが辞典に出てくる、客観的プロフィールだね。
こんなもんで人生は、語られてしまうんだね!
それはそれとして・・・

その当時の天風こと私の印象であるが、「百聞は一見にしかず」とも、言えますかな。
近年の政治家のイメージがあるからして、見る側の諸子からして、一様の勝手なレッテルをはってしまう先入固定観念があるでしょうよ。
そうじゃありませんかい?
自分に置きかえてみると、私(わたくし)の考えと、はたの自分に関しての見方、とらえ方はずいぶんとギャップや思いちがいもあるもんじゃないですかい?
諸君も自己に照らして客観視してみればうなずけるでしょうよ。
いかがですかい?
伊藤さんは政治家というより、政治家に余儀なくされた。
そのように促されたんですな?
「時代の趨勢(すうせい)」ともいいましょうかね。
ある意味では、宿命づけられていたということですかな!
諸君は、ひとむかし前の政治家というと雄弁で話上手、ワンマンで強引!
脂ぎっていて、精力的で、金権がらみで、きたない、そして、どぎつい、インパクトがあるでしょうよ。
これって言いすぎですかねえ~?
ま~、すべてとはいいません。
政治家としては必要な条件の一つでもありましょうよ。
日本国初代の首相で、歴史上の人物で、さぞかし、切れ者!剛腕のイメージがあるかもしれないね?
ところがそうでもないですよ。
この伊藤さんは、実践的でありながら思慮深い方なんですよ。
そして、話上手より、聞き上手なんですよ。
とにかく黙ってまず人の話をよく聞く方だったね!
処世術でもあったんだろうが、実のところはそうでもないんだな。
私の察するところはね。
まあ、この話の続きは明日にしますかね・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月13日日曜日

和顔平気(わげんへいき) パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート1」だ。

諸君、今年一年、総括されてどんな一年でありましたかな?
今年一年、日本国民の集合想念および集合意識の総和は、おしなべて陰気な暗い気の重いものであったでありましょう。
積年の国民感情は、「このままではいけない、これではいけない」という反発反動作用も手伝って風向きも「新」与党に追い風になりましたな。
政権交代し、「新」政権が大きくクローズアップされた年でもありました。
そのかわり、新与党にマニュフェストで宣言した公約の期待もかかっているね。
ところが、その中心であり旗頭の「新」総理の鳩山氏の顔がくもっているとか?
顔が暗いとか、覇気がない、ハトちゃんこのごろ人相が悪くなったなどと言われているらしいね?
当然のこと、一国の総理ともなれば、唯一一人であるということだね。
何人もいるわけじゃないんだよな。
言い難い重責を担っているのは、はなからわかっていることでしょうよ。
米軍普天間基地移設問題、予算カット配分の問題、切りがない、つきない課題が山積でありましょうよ。
あちらが立てば、こちらが立たず!と日本丸の舵取りも容易ではないことは、いまさら言うまでありませんな!
是非にね、鳩山総理にね、天風がサンタになって、クリスマスプレゼントとして、はげましのエールをおくりましょうぞ。
もと国民の一人として、おくらせて下さいな!
死んじまってるから、私心などもうとうございません。
かく語る天風が生前に幾度か言葉を交わした方がおります。
名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。
日本国初代の首相で、旧(むかし)は千円札の顔でしたね!! 伊藤博文公なんですよ。
私が若い頃、縁あって話をしたことがあります。
伊藤さんの苦渋の決断をせまられた時の、彼の言った言葉なんだ。
これを今の総理にあえておくりたい!
「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」
御本人は痛いほどおわかりになるでしょうよ。
国のトップでしかわかりようのない言葉かもしれませんがね。
本日は、これまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月12日土曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート9 シメククリ」だ。
「必要とされている尊い貴重な存在であることを忘れるな」をテーマに述べさせて頂いた。
この回でこのテーマは一応のシメとさせて頂くことにした。

では、改めて、諸君、「初心(しょしん)忘るべからず」の成句も御存知でありましょう。
あえて説明するまでもありませんな。
何事もスタートが肝心だとも言えるということでありますね。
初めの一歩がどういう理想を描き、初心を忘れない、初心を失わない、しっかりと心にとどめおくために、自己存在理念を必要とするんですよ。
つまり「私は必要とされている尊い貴重な存在である」、この断定が存在理念にあたるんですよ。
え~え、これとても大切なんですよ。
この確固たる自己存在理念に基づき、理念の真意にズレることなく、理想を現実化する。
そのために、日々の正しい観念、つまり本心・良心に基づく思考でズレを修正していく、内省検討が必要不可欠になるんですよ。
これについてもいずれ逐次話をしていこうと考えております。
本心・良心に基づく正しい思考を、仏教の方では正思惟(しょうしゆい)と言っていますね。
その思考のもとに、具体的実践行為を作為する。
後は御実行でありますね。
理想を想像し、あるべく姿として、明瞭であれば、初一念その動機がいかに重要であるかは賢い諸君でありますから自明の理として、おわかりになられるはずであります。
ましてや人生の長途の旅路であれば、必ず何らかの目的がなくては行く先がないのと一緒ですよ。
そして、目的によっては諸君の人生観も変わってくるに違いないことでありましょうぞ。
ロケットの打ち上げ角度が1度でもズレれば、たどり着く先は、大きくズレてくるのは、必然であります。
軌道のズレを途中途中で気づけば脇道にそれたものを、本道に戻すこともできるが、初めから行く先が、誤って決まっている。
初動機がミステイクであった。
初一念から間違った立志、誤った計画、そのことすらまったく考えなかった無自覚観念からスタートしてしまった。
初一念のズレに、気づいたのであれば、当然目的地への軌道の修正は必要不可欠なはずだね。
とりかえしのつくうちにプログラムを一からやり直すか、白紙撤回して、一から出直すでしょうよ。
本心・良心にもとる行為でも、ズレていようといまいと、いまさらそんなことは、どうでもよいと思って突き進む方もいるだろうね!
また、今日一日刹那!刹那!「楽しければ、いいじゃん! いちいち言われる筋合いないもんね!」なんて方もいるだろうね!
その日その日のなりゆきまかせ風まかせ、風の流れるままに、行き当たりばったりのドリフターズ。
「どこへ向かっているのか皆目わからない。人生なんてそんなものよ!」と決めている方もいるだろうね!
人生の羅針盤を持たない漂流者ですな。
それも好きにしてかまわないけれども・・・
他の船に衝突して御迷惑をかけないで下さいな!
「本人が、心の中で、自分はダメ人間だ。何をやってもダメなんだ。ダメ!ダメ!ダメな存在なんだと勝手に決めつけて、泣き言言って、日々を何げなしに歩んでいるならば、そんな方は、錨をおろしたまま、停泊してばかりいる進まない船だね!
自己否定して、何もしないことを言い訳にしているんだね。
しかし、行きつく先は、潜在意識の希望通りのところに行きつくね。
こんなはずではなかったなんて、後から後悔しても、「あとの祭り」ですよ。
決して言い訳を言ってももう無駄ですな。
真理は峻厳侵すべからざるものなんですよ。
何故なら、人間真理の法則に合わせて、ゆくゆくは諸君の望むようになっていくからだよ。
よりよき明るい新年を迎えるにあたって自分のために他がために「自分の心の態度は、積極的or消極的かのどちらにあるのか?」自己省察してみることをおすすめします!
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月11日金曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート8」だ。

諸君、天風はどこへ向かって歩いていたのか?
只今も歩いていますがね!
その道は、我が人間人生ドラマを通しての、宇宙の進化と向上に順応すべく、かく歩く道を、あるがままに、天真は流露そのまんまの道に至る道すがらを表現し、指し示すことにありました。
その消息たる天の計らいなど知ってか識らずか、ただ心を強く、ただただ強く、更に強くしたい!という動機に始まって、只ひたすらに、ひたむきに、一途に、積極一貫銘心堅固にして、歩いた来たんですよ。
気づいてみれば、その目的は、大悟による真理の探究徹底と、済民救世を意図する天の慈雨(じう)の法雨(ほうう)の人間真理人生真理を表現する具体的実践的伝達にありました。
只今もまさに同じことをしているのでありますよ。
またそのプロセスにあるんです。
本日はこれまで。
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月10日木曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート7」だ。

諸君、昨日は「苦労」を「試練」に置きかえる。
「自己」を前に付けて「自己試練」とする。
それから、「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」を心に刻む!
という話でしたな。

まずは、「自己試練」。
これもね、言葉を置きかえるんですよ。
耳慣れない言葉でありましょうがね、「自己陶冶(じことうや)」と生前は言っていました。
乗りこえていくべき「試練」というものは、自己の生まれついた性質、性能をね、鍛えて練り上げてくれる材料なんですよ!
ではその目的はと言うとね、価値高い真人生をきずくための真人格をつくることなんですよ。
「そもそも、人格の完成は、人類当然の責務にして、ただ一途(いちず)、自己を陶冶することによってのみその目的を達成す。」
これを総称して、自己を陶冶すると語っていたんですな。
先哲、先達いわくね、人生を旅としたり、道としたり、川の流れとして、たとえたりもしていますな。
人生を旅路として慮れば、乗り越えていく「試練」の道も、有意義のある、生き甲斐のある人生を演出してくれる、絶好絶妙の天の計(はから)いでもあるんですぜ。
その旅路の初一歩は、私からすれば、万物の霊長たる人間として生まれたという厳粛な事実のことですよ。
諸君も同じですよ。
生まれた時、ところ、境遇は異なっても、えーえ、これは、共通してるんですよ。
人間として生まれたことです。
諸君が、知る識らざるにかかわらず、生れた以上は、誰しも初一歩をすでにスタートしているんです。
えーえ、何人(なんびと)も人間として生まれて、生きているのであれば、みな、只今も歩いているんです。
諸君は、どこへ向かって歩いていますかな?
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月9日水曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート6」だ。

諸君、油断も隙も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
昨日の引き続きです。

それには、何と言っても自分の口から出す言葉というものを、積極的精神態度で有意注意して使うことですよ。
例えば、「苦労」という言葉を「試練」という言葉に置きかえるんですよ。
「苦労」という言葉自体がネガティブなんですな。
おわかりになりますかい?
「苦労」はすべて「試練」にかえちまうんですよ。
それから「試練」という言葉の前に「自己」という言葉を付けるんです。
つまり「自己試練」だね。
人生どんなときでも「心一つの置きどころ! 積極的精神で、乗り越えるために『自己試練』は用意されているんだ」と己の心に決めるんです。
自覚決心するんです。
よろしいですか!
それでもって、次の言葉を自心に対して厳命するんです!
「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」
念には念を入れて、忘れないために、彫刻刀でもって心に刻みこんでおくんですぞ!
この確信決定が、ディフェンスとなり、必ず生きてきますぞ。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月8日火曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート5」だ。

諸君、「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」この言葉聞いたことないですかい?
また、こんなニュアンスで言われた方いませんかい?
今時は、この言葉は使いませんでしょうねぇ~。
この言葉の本来の意味は、「若い時の苦労は後々に役立つであろうから買ってでもせよ!その方が得になるぞ。」ということでしょうよ。
私の知ってる限り、そう言った本人が、苦労と称するものを喜んで金出して買ったという奇特な人は知らないですよ。
もちろん「苦労売ります!」なんて商売もありませんでしたよ。
諸君の周囲にもないでしょう?
諸君は、神仏の御利益があるなら多少の御賽銭出してもいいとお考えになるでしょうよ。
年末ジャンボ宝くじ3億円当たるなら、多生の金銭なら神仏を買収したいですよね!
そうじゃないですかい?
取り越し苦労バラエティーセット定価100万円を本日は年末スペシャル価格50%offでご提供しますよ。
年に一回の大安売りですよ。
買わなきゃ損ですぞ。
貧乏神苦労セット50万円、疫病神インフルエンザ苦労セット50万円も合わせてどうぞ。
どうだい、諸君は、喜んで買うかい?
好き好んで御苦労買うなどとは、私に言わせれば、気違い沙汰だね。
そうでなくとも、本人が望まなくともだまってでも向こうの方から勝手にやって来るんだものな。
ただし、諸君は、いつやって来るかわかりません。
サンタクロースがプレゼント持って来てくれんじゃないですぞ!
油断(ゆだん)も隙(すき)も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
つまり自己防衛ですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月7日月曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート4」だ。

諸君、天風は、陽気で明るく楽しい笑顔酒の推進派であります。
ことさら酒を飲むことを勧めているわけではありませんぞ。
これはね、「平素人生に活きる時に、つとめて明るく朗らかに活き活きと勇ましく、活きる努力を実行すべきである。」というのが私のモットーの一つでしたよ。
もちろん只今もそうですよ!
それはね、日々の苦労するという観念を、心ひとつで切りかえて、つとめて明るく朗らかなものにしていこうよ。
苦を楽にスイッチしていこうよという心機の転換の意味なんだ。
苦労を喜びに、楽しみに切りかえる場に変えなさいな!と提案しているんですぞ‼
別に諸君に、どうしてもそうしなさいと強要しているんじゃありませんから、それは諸君、御自由にして下さい。
平素とは、酒飲んでいるときもそうですよ。
これも平素の人生に活きる時なんですよ。
酒飲んでいるときは別、パチンコやっているときは別、なんてことはないんですよ。
これも人生の生活の一部でありますよ。
いくどとなく、繰り返しているのなら、立派な生活習慣ですぞ。
何故に苦労厳禁かというとね、知る識らざるとを問うことなく、「俺は心労が絶えないんだ。」と口にするという心もちを自身の心にもたせると、判断力、断行力、さらに精神力というものが、どんどん委縮減退するんですよ。
何故って、さらなる余計な苦労想念エネルギーを呼び込んでしまうからなんですよ。
日頃のたまったストレスのはけグチ(愚痴)が、酒の力をかりることで神経もゆるむことにより、苦労話も出やすくなることは、ご納得されていることでしょう。
苦労話に限らず、どんな言葉も、自分で話したことを自分の耳が聞き、また自分の口がしゃべっているんですよ。
当り前だね!
当り前のことでしょうけれども、これって、知る識らざるにかかわらず、自己の潜在意識層に、自己暗示をかけているんですよ。
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風