2010年1月2日土曜日

善いことは徹底してまねる パート14

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート14」だ。

諸君、初夢は見ましたかな?

一度も経験したことのないことが、いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられることをフランス語で〔deja-vu〕デジャビュと言いますね。
日本語では既視感と言います。
これは霊性意識からのインスピレーションですね。
つまり霊魂の意識からの示唆とも言えます。
夢を見ることもその一つの示唆やメッセージでもあるわけですね!
すべてとは言いませんが、心の中のゴミや垢(あか)の掃除がきれいに出来てきますと、自ずと、霊感とか霊能といちいち言わなくとも、閃きや、インスピレーション、直感、第六勘と言われているものが、自ずと発露するもんなんですよ。
ただ、それに気がつかないか、自覚していないだけなんです。
〈特別にこの世ならざる力が働いて突然霊感が働いて霊能者になった〉、そのような方もおられるでしょう。
しかし、人間は良い意味で、誰一人もれおつことなく、先天的に霊能力者なんですよ。
私はそう思う。
このごろは見えざるものが見える、聞こえざるものが聞こえるという方は、もう珍しくもありませんね。
霊感・霊能と言っておりますが、人間の本質は永遠不滅の霊魂なんですよ。
これは、いまさら言うまでもない真実であります。
「らしく」すれば霊感が出てくるのはしごく当たり前、当然のことなんですよ。
人間本来に生きるには、人間本来の面目のプリンシプル(原理・原則)に合わせて、「らしく」生きることですよ。
人間本来の面目とは、自分の本来の姿であり、真実の自己である諸君の霊魂のことですよ。
これが、真我と呼んでいる真実の自己のことです。
自我の心、小我の心が真実の自己に気づいて、積極的によくそれに合わせていくことが、私が言っている、「らしく」生きる生き方、考え方です。

「万物の霊長たる人間として生まれたんだから、生んでくれたんだから、そのことを自覚して、感謝して、まず、『万物の霊長たる人間らしく』生きましょうよ」

という新年にあたっての天風から諸君への提案であります。

本日はこれまで。
この続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月1日金曜日

2010年、平成22年の新年のごあいさつ

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「2010年、平成22年の新年のごあいさつ」であります。

諸君、新年明けましておめでとうございます。
一年(いちねん)の計(けい)は元旦(がんたん)にありと言いますね。
今年の計画は元旦に立てるということだね。
2010年、平成22年の1年365日は本日より初一日、初一歩が初まるんですね。
諸君の初一年、初一念の計画を立ててみてはいかがでしょうかね。
一日の計、一年の計、一生の計、一家(いっか)の計を四計と言いますね。
今年一年は、私こと天風は、
「積極一貫銘心堅固(せっきょくいっかんめいしんけんご)」
でいきますよ!
積極とは「尊い心」「強い心」「正しい心」「清い心」を合わせての意味ですね。
銘心堅固とは、心に刻みつけ、しっかり定めて動かないことの意味ですよ。

『積極の真意の尊く、強く、正しく、清くを心に刻みこんで、しっかり定めて不動の心としましょう!』
ということです。

この言葉をそえて、諸君が、宇宙真理に順応し、正々堂々健康と運命の勝利者としての現実を自身のものとして、ますます発揮されんことを心中真心より祷(いの)りまして、天意天風の新年のごあいさつといたします。
今年一年、真我とともにありますように!

天意天風

2009年12月31日木曜日

善いことは徹底してまねる パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート13」だ。

諸君、もう一つ寝るとお正月だね。
え~え、本日はジョヤノカネとともに、1月1日の元旦を祝うお祝いのカネとしましょうね。
私は、世間が狭いものですから、煩悩をはらうというより諸君のことや日本のことや世界の人々や人間の真我のことが、気になるんですよ。
本音を言えば、色々な目に見えないことや既成概念的に影響を受けている諸君に、本来、万物の霊長としての貴重なことをバンバン言っていきたいのだけれど、今は言えないんだが、生前、天風哲学なんて、この世の肉体を持っていることに限定をせざるおえない時代であったものだから、そんなこの世、こんなあの世、なんて限定しちまって、ちっちぇえ世界だなって錯覚していましたよ。
生前にね、肉体を持っているときに限定していたこの世の一生は一生だとしたんだが、それは純粋に鑑みれば、矛盾でした。
真理は、この世もあの世も真理です。
この世の人間真理は、宇宙真理ゆえ、あの世にもはたらく真理に他ならないんですよ。
私は、新たな人類の人間の真理はこの世のあの世を分け隔てなく、人間真理、宇宙真理として同時に当然のこと考えても受け入れられる次元を超越した世界でもある。
特に2013年以降の節目にやっとのぞむように訪れる時がくるんですね。
除夜の108つの鐘の煩悩を去り、その時代の機会を得て、この時勢の勢いをかりて、元気いっぱいガンガンいきますよ。
諸君、覚悟はよろしいですかいな。
よっしゃ、いくぞ!
心のゴミや垢を取り去り、心新たにきれいにして颯爽溌剌たる新鮮な元気で日々更新し、日々新たなりの気持ちで大晦日から新年を迎えるカウントダウンをしようよ!!
いいですかい!!
諸君、元気よく積極的に新年をお迎えいたしましょう!
すべてを新たにしてみんなみんな真心より感謝と愛している!!と大声でゆく年くる年の時の境で宣言して叫びましょうよ!! ね!!
紅組のトリはDREAMS COME TRUE だね。
いいかい!! いくぞ!!
カウントダウン 3・2・1・0!
諸君、明けましておめでとうございます。
諸君のかけがえのない命を大切にしてください。
今年一年幸多かれと心中より感謝し、祈っております。

天意天風より

2009年12月30日水曜日

善いことは徹底してまねる パート12

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート12」だ。

諸君、「朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる」という成句がありますが、お耳にしたことあるでしょうよ。
人は交わる友、または環境によって、良くも悪くもなるという意味ですな。
レインボーカラーに交わればレインボーカラーになるのかな?
どうだろうかね。
生前の私の著書「盛大な人生」の中に「十牛訓」(じゅうぎゅうくん)という禅の教えでね、つまり修行の段階と心の階梯とその境地というものを説いた、禅のほうでいうと非常に厳しい教えを天風流に人生真理に照らし合わせて説いたんだね。
よろしかったら「盛大な人生」を読まれると出てくる話です。
京都栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)という人が、安心立命(あんじんりゅうみょう)の大義を檀家(だんか)の信者に説いた話に、「らしくせよ」というのがあるんですよ。
「らしくせよ」です。
ねえ、人間で生まれてきたのにね、人間でなくなっちゃった。
よくいうでしょ、「私らしくしたわ!」この「らしく」だね。
ある檀家の信者が、「毎度のお説教で、もうすっかり私の心の中のよごれや垢は取れたように考えますけれども、ただ一つこのごろヒョイと自身の心をのぞいてみますると、死んだ後(のち)がどうなるだろうか? このまま一体どんな人間になるであろうか? この家の商売の行く末はどうなるであろうか? ということを考えましてな。 おっしゃるとおりの安心立命というような気持になれませんでございます。 もうとる年でございますので、お迎えを待つだけではござりまするけれども、まだ悟りが足らないと思いますので、どうぞ、そこをひとつおさとしをお願いたいものでございます。」
そうしたらね、明恵上人「それはいとやすきことながらのう、人間、今生(こんじょう)の御大事(おんだいじ)じゃ。 心も身も清めてござれ。 『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』してからおさとしいたそう。」と、さももったいぶって言ったんだろうね。
「六根清浄」というのは、仏教の用語でね。
感覚や意識をつかさどる六つの器官とその能力を表現したもので、すなわち、眼根(げんこん)、耳根(にこん)、鼻根(びこん)、舌根(ぜつこん)、身根(しんこん)、意根(いこん)の六つの根からなる総称で、六根の執着を断ち、清浄な精神を所有し霊妙な術を修得することにあるとされている。
はやいはなし、霊妙な術とは一言でいえば「霊感」のことなんだがね。 
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月29日火曜日

善いことは徹底してまねる パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート11」だ。

諸君、昨日の話の引き続きですな。
話があちこちとんでしまったがね。
昨日は私の恩師 頭山満(とうやまみつる)翁(おう)の話をちょっとだけしました。
大辞林の辞典には、私の名前は出てこないんですが、頭山先生は載っていますな。
知らない方のために大辞林に記載されているプロフィールをまずは御紹介しましょう。

〈頭山 満〉(1855-1944)
国家主義者。 福岡県生まれ。
萩の乱に参加して入獄後、自由民権運動に参加。
のち玄洋社を結社。
国家主義に転じた。
大アジア主義を唱えて大陸進出に暗躍し、黒竜会・大陸浪人などを支配する右翼の巨頭的存在となった。

とまあ、こんな解説ですな。
私の生前の著書をお読みになれば、頭山恩師の人となりは、多少とも御理解いただけるでしょうかな?
「天真は流露」を地で行く生き方をされた、胆の太い腹の据(すわ)った人物でしたよ。
「真理のひびき」に述べたとおりでありますがね、あらためてここで掲載させて頂くこととしますよ。
明治35年、私が26歳のときでしたね。
陸軍参謀本部諜報部員として厳しい特殊訓練を受けたあと、満蒙の地に潜入して、諜報活動をすることに従事することになったんですよ。
つまり任務は、「ロシア軍の情報収集と偵察せよ!」だったんだ。
今どきのHISかJTBで中国奥地に観光旅行ツアーに行くんじゃないんですからね。
生きて帰れるかわからない、否、生きて帰れないことは必定!
仕事柄、「靖国であい見(まみ)えよう」がお互いのあいさつになっていたんですよ。
さりとて、お互いにわかっちゃいるが、仕事が仕事ですから「何しにいくか?」「ああで、こうで」なんてね、明かしちゃいけないんですよ。
軍の機密ですからして・・・
もともと恩師は余計なことは聞きも言いもしません。
そんな方でしたよ!
実は、これが最後になるとの覚悟の〝いとまごい〟に参上したときの恩師の言葉ですよ。
「できるだけ善かことは、極力真似することばい。 そして人に迷惑かくるような悪かことは決して真似するでなかぞ」と懇(ねんご)ろに言われたんですよ。
後からよく考えてみれば、これから死にに行く人にこんなこと言いやしませんよ!
「おはんは必ず成長して生きて帰ってこんしゃい。 じゃどん、今、ひとときの別ればい!」との励ましとはなむけの言葉だったんだな。
うれしいね!
私に対する真心からの恩師の思いやりの言葉でしたよ。
諸君、この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月28日月曜日

善いことは徹底してまねる パート10

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート10」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」というテーマで語ってきました。
「善いこと」を徹底してまねるということの「善いこと」の真意は、なへんにあるか。
ここらへんの大切なことを御理解されないと、何でもまねすりゃいいんだと、単なるうわっらだけのサルまね、人まねになって、「仏の像の形だけつくって中身の魂(たましい)入れず」ということになりかねんからな。
往々にしてあるというよりほとんどがこれだ。

御存知かもしれんが、私の恩師、頭山満(とうやまみつる)翁(おう)の居室に、西郷隆盛がこよなく好まれた言葉「敬天愛人」と書かれた額が掲げてあったのを、あるとき野田大塊(のだたいかい)が見て、「こりゃ偽物たい」と言うと、ニコニコしながら、「偽物でも何でも文句が善かけん、おいどんは本物だと思うて朝夕有りがたく心の鏡として見とるよ」と、こともなげに言われた。

どんな言葉でも人間真理を表した言葉は、とらえる人間および、とらえ方において、含蓄の深い意味がこめられているのもだ。
頭山恩師は西郷南洲翁をこよなく尊敬されていた。
書が本物かということよりも、書かれている言葉に西郷さんを良師とし、良師が指針とされていた言葉は、師の言葉として、また心の鏡として、また至心としていたんだ。
私は二人のやりとりの一部始終を傍らで耳にした。
なるほど模倣に対する結局は、その心の思い方、考え方で、それが人生観となり、心のとらえ方、受け方となって、何事においても、ひょんな出来ごとでも、何気なしの出来ごとであっても対人態度、交人態度、自身の人生態度になってあらわれ出てくるものなんだとつくづくその言葉から計り知れない尊いものを直感したものである。
今日はこれまで。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月27日日曜日

善いことは徹底してまねる パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート9」だ。

諸君、昨日の話の引き続きですな。
五両と言えば大金だ!
傍らにいた泥舟が、「よせよ、全然覚えのない明らかに偽物なんか買うなよ。」といさめるように言うと、鉄太郎の言い草がこれがまたふるっているんだ。
「当然、偽物ということは、誰よりも一目(ひとめ)で分かる。 が、とても見事な筆跡だ。 それに書いてある文章がとてもよい言葉だから、俺はこれを手本にしてみるつもりだ。」と言って常に床の間にかけて生涯大事にしていたという。
真似も極致にけば、本物となるエピソードである。
いまどきの時代は、ブランドバックのコピーが出回っているね。
本物とそっくりで見分けがつきにくい。
バックを入れる箱や紙袋まで、何もかもそっくりのコピーで徹底してるね!! 本当にルイジヴィトンだね!!
しかしこの話はな、同じ徹底してまねることであってもルイ・ヴィトンのコピーとは全然異なるんだが、そのへんの真意のほどの違いはお分かりになるでしょうよ!
「ちょっと!ちょっと! 天風先生! 突然でありますが、黒子(くろこ)の代筆者であります。 一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
黒子は黒子に徹しなさいよ!
「はっ、そうでありますが、是非、この際にお聞きしたいことがありまして・・・」
何だ、言ってごらんな!
「はっ、はい、ありがとう存じます。 おそれおおくもかしこくも天風先生にあらせられましては大変ぶしつけで失礼とは存じ上げますが・・・」
もったいつけるな、内輪だ、はっきり言いなさい!
言っとくが、私は明治天皇じゃないんだぞ!!
「はっ、それでは、高橋泥舟先生と山岡鉄舟先生の話をお伺いします。 天風先生は実際にそこにはいなかったんですよね。 ずいぶんとその場に立ち会っているような臨場感があるんですが、この話、本当の実話なんですか?」
何を言っているんだ、黒子君!!
私がそこにいるわけないだろうよ!
泥舟と鉄舟の二人の本人が語ったことを、アレンジを加えたエピソードだと前置きでお断りしただろうが。
「はぁ~、それはそうですけども、この話、天風先生の生前からの話ですよね。」
『講釈師 見て来たことのように言う』と、そんな言葉もあるんだぜ。
ただし、天風が述べているのは、本当にまねるでも、善くまねて下さいな! 善くですぞ!歴史小説家は見てきたように書くだけではおもしろくないよな。
おもしろくよく書くことが天基なんだよ。
いい意味で、インスピレーションをいただいて書いているんですよ。
諸君らもいいかい?
善くまねるんですぞ!
心得ておいてくれよ!!
「天風先生! 先生は司馬遼太郎もどき歴史小説家なんですか?」
黒子君!! 自慢じゃないが、東郷さんに、天風哲人と呼ばしめた男だぞ!
中村家の墓の仕切りの内側に『天風哲人』と石に刻んであっただろうよ。
東郷平八郎元帥も、秋山真之海軍大将も、山本英輔海軍大将とも、本物実物に会って話をしているんですぞ!! いいかね!
生前に本人と話を交わしているんだから、私の場合は「坂の上の雲」じゃない、「坂の下の雲」だよ!!
日露戦争で共に戦って生き残った戦友です!!
ドラマの登場人物の一人に加えてもらってもいいくらいですよ!
小説じゃない体験経験なんだ。
わかってるのか?
天意天風の「坂の下の雲」は、いずれかの機会に話をすることにしよう!
こう御期待だね!

『箴言二十 模倣も極致に到達すると真実と同様になる。 またそこに人に対しての善意がくわわり、此の真理に則(のっと)って、人様にとって、大いに役に立ち、人に須(すべか)らく善いということは、極力、模倣に専念すべきである。』

賢明な諸君でありますから、上記の真意を多少なりとも御理解を賜れていることと信ずる。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風