2009年12月29日火曜日

善いことは徹底してまねる パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート11」だ。

諸君、昨日の話の引き続きですな。
話があちこちとんでしまったがね。
昨日は私の恩師 頭山満(とうやまみつる)翁(おう)の話をちょっとだけしました。
大辞林の辞典には、私の名前は出てこないんですが、頭山先生は載っていますな。
知らない方のために大辞林に記載されているプロフィールをまずは御紹介しましょう。

〈頭山 満〉(1855-1944)
国家主義者。 福岡県生まれ。
萩の乱に参加して入獄後、自由民権運動に参加。
のち玄洋社を結社。
国家主義に転じた。
大アジア主義を唱えて大陸進出に暗躍し、黒竜会・大陸浪人などを支配する右翼の巨頭的存在となった。

とまあ、こんな解説ですな。
私の生前の著書をお読みになれば、頭山恩師の人となりは、多少とも御理解いただけるでしょうかな?
「天真は流露」を地で行く生き方をされた、胆の太い腹の据(すわ)った人物でしたよ。
「真理のひびき」に述べたとおりでありますがね、あらためてここで掲載させて頂くこととしますよ。
明治35年、私が26歳のときでしたね。
陸軍参謀本部諜報部員として厳しい特殊訓練を受けたあと、満蒙の地に潜入して、諜報活動をすることに従事することになったんですよ。
つまり任務は、「ロシア軍の情報収集と偵察せよ!」だったんだ。
今どきのHISかJTBで中国奥地に観光旅行ツアーに行くんじゃないんですからね。
生きて帰れるかわからない、否、生きて帰れないことは必定!
仕事柄、「靖国であい見(まみ)えよう」がお互いのあいさつになっていたんですよ。
さりとて、お互いにわかっちゃいるが、仕事が仕事ですから「何しにいくか?」「ああで、こうで」なんてね、明かしちゃいけないんですよ。
軍の機密ですからして・・・
もともと恩師は余計なことは聞きも言いもしません。
そんな方でしたよ!
実は、これが最後になるとの覚悟の〝いとまごい〟に参上したときの恩師の言葉ですよ。
「できるだけ善かことは、極力真似することばい。 そして人に迷惑かくるような悪かことは決して真似するでなかぞ」と懇(ねんご)ろに言われたんですよ。
後からよく考えてみれば、これから死にに行く人にこんなこと言いやしませんよ!
「おはんは必ず成長して生きて帰ってこんしゃい。 じゃどん、今、ひとときの別ればい!」との励ましとはなむけの言葉だったんだな。
うれしいね!
私に対する真心からの恩師の思いやりの言葉でしたよ。
諸君、この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

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