2010年7月10日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート168

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート168」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

子貢(しこう)曰く、「回(かい)さんを見習うのは私だけじゃないでしょうよ! 先輩も先生に『回を見習え』と言われていたんじゃなかったですか?」

子路(しろ)曰く、「だまれ! 子貢! それ以上減らず口をたたくと貴様の黄色いくちばしをへし折るぞ!」

顔回(がんかい)曰く、「まあまあ、先輩、子貢君、お二人ともそう興奮しないで下さい! お互い親のかたき同志じゃないですからね!」

そこへ神北(かんぺき)が戻って来る・・・

神北曰く、「芽台酒(マオタイジュウ)すぐに用意するそうです。 乾杯までちょっとお待ち下さい!」

子貢曰く、「神北君、御苦労。 その酒の支払いは私がしよう。」

子路曰く、「貴様はまったく金と口でものを言わせるやつだな!」

顔回曰く、「まあまあ、先輩! ここは子貢君の御好意です。 ありがたく受けましょうよ。それより話の続きをお願いします。」

子路曰く、「そうだな! あの出来事は小学校6年生の夏休みの林間学校へ行ってのことだった。 その林間学校は標高1200mの山あいの中腹にある村の閉校になった分校を使わせてもらったらしい!」

顔回曰く、「何かぞくぞくしてきました。 僕この手の話、本当は大好きなんですよ!」

子路曰く、「俺は友達とキャンプファイヤーをしたり、カブトムシやクワガタ獲りを楽しみにしていたんだ。」

顔回曰く、「それから・・・」

子路曰く、「そこまで行くには途中の村までバスで乗り継いで終点のバス停で降りる。 そこから大人の足で歩いて2時間はゆうにかかるところなんだ。」

顔回曰く、「それから・・・」

子路曰く、「その日は、やけにジトッと蒸し暑く、空はどんより曇って、今にも雨が降りだしそうだった・・・」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年7月9日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート167

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート167」だ。


諸君、昨日の引き続きであります。

神北(かんぺき)曰く、「まあまあ、子路(しろ)大先輩、ここは芽台酒(マオタイジュウ)で乾杯しましょうよ。」

子路曰く、「お前らの好きにしろ!」

神北曰く、「では、京華(きょうか)ねえさんに用意するように言って来ますから待っていて下さい!」

子貢(しこう)曰く、「盃(さかずき)は5つ用意して下さい。」

神北曰く、「孔家司会典礼役の子貢先輩! 心得てますよ。」

子貢曰く、「では、お頼みします。」

神北立ち上がり、のれんをくぐって部屋を出て行った。

子貢曰く、「そういえば子路先輩は写真が嫌いなその訳を聞いていませんでしたね!」

顔回曰く、「そうでした。 小学校6年生の夏休みに林間学校へ行ったところからでしたね!」

子路曰く、「お前らが、どうしてもその先を聞きたいというのなら話さない訳でもないがな。」

子貢曰く、「本音は話したくてうずうずしているくせして、まったくもって先輩は素直じゃないんだから。」

子路曰く、「うるせえ! 口先男のお前には言われたくないわ!」

顔回曰く、「まあまあ、子路先輩、その先の話を待ってました。 ぜひそのいきさつを聞かせて下さい!」

子路曰く、「さすが回(かい)君だね! 『先輩、待ってました。』いいねぇ・・・ 『ぜひその話聞かせて下さい!』うれしいねぇ・・・ こうでなくっちゃ話が滑らかに進まないな。 子貢よ、お前謙虚になって先輩に対する口のきき方を回君から見習いなさい!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年7月8日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート166

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート166」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

子貢(しこう)のれん越しに曰く、「遅くなってすみません。 神北(かんぺき)君どうぞお入り下さい。」

神北曰く、「では、失礼して入らせて頂きます。」

子路(しろ)曰く、「子貢! 神北! ずいぶんとおせえじゃねえか! 待ちくたびれたぜ。お前らハワイ旅行でもして来たんじゃねえのか?」

子貢曰く、「子路先輩、神北君に話があったものですから、つい話しこんでしまって遅くなりました。 お待たせしました。」

顔回曰く、「神北君、私の隣でよかったら、ここへどうぞお座り下さい。」

神北曰く、「はい、ありがとうございます。 では、おじゃまさせて頂きます。」

子路曰く、「では諸君、それぞれここへ来た経緯はともかくとして、奇(く)しくもここに孔家の門弟の四人が集った。 せっかくの機会であるから、回のピッチャー一気飲み成功の祝いもかねて乾杯して飲みなおそうぜ!」

顔回曰く、「私はビールは結構です。 十二分に頂きました。」

子路曰く、「そうだな! ホッピーにしよう!」

子貢曰く、「似たようなものじゃないですか?」

神北曰く、「まあまあ、大先輩の御三方! 祝宴ですから、芽台酒(マオタイジュウ)で乾杯したらどうでしょうか?」

子貢曰く、「芽台酒ですか?」

神北曰く、「はい!」

顔回曰く、「芽台酒と言えば、毛沢東国家主席がリチャード・ニクソン大統領をもてなし、周恩来が田中角栄首相をこの酒で接待したことなどで知られている結婚式などのお祝いの宴席で乾杯に用いられるあのお酒ですね!」

子貢曰く、「それはいいですね。 強い芳香があり、飲み干してもなお香りが残る。 その上飲み過ぎても二日酔いせず、むしろ適度の飲用は健康に良いとされていますね!」

子路曰く、「おめえら、うんちくが長えんだよ! 俺の知らない知識をひけらかすな。 いちいち癇(かん)に障るぜ!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年7月7日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート165

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート165」だ。

諸君、昨日の引き続きです。

子路(しろ)曰く、「回(かい)よ、俺はお前の点数かせぎのいい子ぶりっ子のものの言い方が気に入らないんだ。」

顔回(がんかい)曰く、「では先輩が気に入るように、私にどうしろと仰せになりたいのですか?」

子路曰く、「むぅ・・・」

顔回曰く、「『 “子曰く、詩三百、一言をもってこれを蔽(おお)う。 曰く、思い邪(よこしま)なし。” と詩教三百篇の魯頒(ろしょう)の駉(けい)篇の中の “偽りのない心” の一句に集約される。』 と孔子先生は言われていますよね。 先輩の『偽りのない心』、つまり『本心良心を偽らぬ誠の心』で回を御指導下さいませんか?」

子路曰く、「回よ! 貴様の言わんとしていることはよくわかった。 俺も先生が『回よ!回よ!』と貴様一人可愛がるものだから正直嫉妬していたんだ。 今思うと年甲斐もなく恥な真似をしたと後悔している。」

顔回曰く、「・・・ そんな風に思っていたんですか。」

子路曰く、「隣だというのに、おい、ずいぶんと子貢(しこう)も神北(かんぺき)も遅いなぁ!」

顔回曰く、「先輩、話をはぐらかさないで下さい!」

子路曰く、「・・・・・・」 無言。

顔回曰く、「先輩の本音は、ズバリ、『子路は孔家門弟一の正義感と勇気と行動力がある』と先生に誉められたんでしょ!」

子路曰く、「うるせえ! それ以上言うな!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年7月6日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート164

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート164」だ。

諸君、ここは子路(しろ)と顔回(がんかい)のいる学而の間の話の続きであります。

顔回曰く、「子路先輩! お言葉を返すようですが、それは何かの間違いか誤解です。 または私に対する回りの偏見ではないでしょうか? 私は自らの心の中を内省検討しても、先生の前でいい子ぶりっ子した覚えはただの一度もありません。 先生の言われることが逐一もっともなことだと感嘆するばかりです。 私にとって先生との対話は常に私論をはさむ余地がなかっただけなんです。 それよりも先生の語られることを心の耳をそば立てて、一言一句ももらすまいと集中しています。 私の心の耳で聞いたことをさらに記憶にとどめて忘れないように心の手帳に速記しているんです。 『一を聞いて十を知る』と例えて私の人物評を子貢(しこう)君が先生の前で述べたことは本人からも聞いています。 しかし、私としては先生の話の一つ一つがその意味において奥深さの限界が底知れないので、後で消化不良をおこさないために、先生より聞いた一つ一つのことを『聞き洩らすまいぞ!』と自分なりに有意注意しながらよく咀嚼(そしゃく)してから、発言しようと思っているからです。 子路先輩、『一を聞いて十を知る』は過大評価です。 私は『一を聞いて一を咀嚼する』が当を得ていると思います。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年7月5日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート163

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート163」だ。

諸君、「善」とは大辞林の解説の哲学や倫理学の項目では、「一定の使用・行為・道徳・秩序などにおいて、人や物の性質(価値)がよいこと、望ましくすぐれていること。また、それらをよくあらしめる根拠。真・美とならぶ基本的価値の一。倫理学の対象とされ、人間のあらゆる営みが目指すところ、あるいは営みを律する義務の源泉とされる。」とある。


極めて難解であり、どのように実践したらよいやらわからなくなる。
天風流に要約すれば、「日常の人生生活を、自他のいずれに対しても独りぎめのわがままな自己本位の気持ちではなく、お互い人間同士の間柄を極めて円満に融和するような、普遍的妥当性のある言葉と行為のみで行おうと心がけて、かつそれを確実に実行することなのである。そうすれば、それが期せずして、一切全てがそのまま『善』なるものに共通するからである。」
つまりここで言う「善」は、「人為的なものではない! どんな時にも変わらぬ愛の実践!」ということである。
「致知格物(ちちかくぶつ)」「致良知(ちりょうち)」も万物の霊長たる人間に備わった本心良心をプリンシプルとした知覚力、判断力、断行力を発揮せよということである。
然(さ)すれば、諸君の霊光が自ずと発揚することになる。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年7月4日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート162

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート162」だ。

諸君、昨日は渋沢栄一翁の著述を掲載させて頂いたが、その中で特筆すべき点は、
「仁義道徳は日常の修養から得らるるので、決して愚昧卑屈(ぐまいひくつ)でその域に達するものではない。大学の致知格物(ちちかくぶつ)も、王陽明の致良知(ちりょうち)も、やはり修養である。修養は土人形を造るようなものではない。かえっておのれの良知を増し、おのれの霊光を発揚(はつよう)するのである。修養を積めば積むほど、その人は事に当たり、物に接して善悪が明瞭になって来るから、取捨去就(しゅしゃきょしゅう)に際して惑わず、しかもその裁決が流るるごとくなって来るのである。」
と述べられたところである。
これについて、異存はないが、「致知格物」、「致良知」について私なりの見解と有意すべき注意点を述べたいと思う。
生前に「日常生活を行なう際、能(あた)う限り、善なることを行おうと心がけることは、人生の最も尊いことである。」と語ってきた。
諸君らは、「善」と言うと「悪」と対比して考えがちだ。
これは人為による善悪の道徳律で、時代の変遷、人心の価値観の推移によって変化するものだ。
諸君らも、子供の頃と、今現在であれば、至極当然物のとらえ方、考え方は変わっているに違いない。
人為的な道徳律では、極端に言えば、昨日の「悪」が、今日には「善」になったり、逆に今日の「善」が明日の「悪」になったりする。
一日前は名誉なことであったが、明ければ不名誉となり、その逆もまたしかりである。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風