2010年10月9日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート259

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート259』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子曰く、「心の準備が出来ているから話をしているのだよ!」

子貢(しこう)曰く、「はい、恐れ入ります。 やはり、見分けているその力は先生の言われる霊感とか霊智というやつですね!」

子曰く、「俗世間で言う霊感と分けて、あえて『正しい霊感』と言いたいね!」

子貢曰く、「その『正しい霊感』が教え示してくれるんですね!」

子曰く、「そうだ。」

子貢曰く、「先生! 『正しい霊感』が教え示してくれるのであれば、何もこんな苦労して学問する必要もないじゃないですか?」

子曰く、「子貢よ、それは違う! 学問について私は門人に語っていることは君も承知しているね。 『学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。 朋(とも)あり遠方より来る、また楽しからずや。 人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや。』 つまり、学問をすること、そして実践を通して学問を身につけていくこと、これは無情の喜びなんだ。 次第に同志が出来、見ず知らずのその同志たちが集まってくる。 こんな楽しいことはない。 人に認められようが認められまいが、そんなことは気にかけずに勉強を続ける。 これが本当の君子である。 本来、学ぶと言うことは、楽しいものなのだ。」

子貢曰く、「私も『学ぶ』ということが大好きです。」

子曰く、「我が同志よ! それは、よかった。 ただし、単なる学問至上主義に偏(かたよ)ってはならないぞ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月8日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート258

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート258』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢曰く、「どうして先生には、霊魂の固有性能を見分けることが出来るのですか?」

子曰く、「私は道を探究する過程で気付いたのだが、霊魂には心がある。 自我の心以外の心である。 その心を霊性心と呼んでいる。」

子貢曰く、「先生、霊性心をもう少しわかりやすく御説明して頂けませんか?」

子曰く、「せっかくの折だから、掻(か)い摘(つま)んで話をすることにしよう。 霊性心は、われわれ人類の精神のみに特有された極めて優秀性を有する最高級のものである。 普通人には容易に発現し得ないと言われる、かの霊感とか霊智とかいうような特殊なものは、いずれもこの心から発露するものなので、いわゆる神秘的な偉大な思索や、崇高な思想というようなものは、一切この心を本源としえ形成されるものなのである。 私見だが遺憾ながら、この心の働きや力に対しては、あまりにも知らなさ過ぎるくらい無理解な人が多いと言える。」

子貢曰く、「私は、先生から霊性心について初めて聞きました。 私もあまりにも知らなさ過ぎる無理解な一人です。 今後ともご指導の程宜しくお願い致します。」

子曰く、「弟子の中でもすでに心の準備ができているもの以外は話はしない。 何を語っているのか理解するまでになかなか至らない・・・ それでは誤解を招くだけだ。 この頃の子貢は私の話の真意をくみ、奥深いところが理解出来るようになってきたからな。」

子貢曰く、「先生、私は心の準備ができていると受け取ってよろしいのでしょうか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月7日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート257

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート257』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子曰く、「子貢(しこう)よ、お前は何が言いたいのだ?」

子貢曰く、「それは、私と回(かい)さんのことです。」

子曰く、「回と子貢とな?」

子貢曰く、「はい、ダイヤモンドの原石は回さんで、私は瑚璉(これん)ということです。 先生のおっしゃりようですと、初めから素材が違うと言われんばかりです。」

子曰く、「『性(せい)、相(あい)近し、習(ならい)、相遠し。』 つまり、天性は誰でも似かよっている。 教養や習慣の違いで差がつくのだよ。」

子貢曰く、「私には、言っておられることがよくわかりませんが?」

子曰く、「ダイヤモンドの原石は、そのままではダイヤモンドにならない。 子貢、君は自己を陶冶し、今では最高の器として立派に役に立っているではないか。」

子貢曰く、「そう言われますが、回さんのようにダイヤモンドにはなれません。」

子曰く、「子貢よ、君は回に嫉妬しているのかい?」

子貢曰く、「回さんの才能に嫉妬しています。」

子曰く、「回の才能は回のものだ。 子貢よ、あえてダイヤモンドになる必要はないのだよ。 君の本来の自己である霊魂の中に秘めている固有性能というものがあるんだよ。 もちろん回にもある。」

子貢曰く、「そんなものがあるんですか? はじめて聞きます。」

子曰く、「はじめて聞いてもあるものはあるんだ。 霊魂の固有性能というんだが、これは親子であっても、二子の兄弟姉妹であっても、同じ心の人間はいない通り、心は皆異なる。 これは納得できるだろう。」

子貢曰く、「はい。」

子曰く、「霊魂の固有性能も皆異なるんだ。 別の言い方をすれば、子貢の『我が本性の固有する霊性』とも言うんだ。 これが君の素質なんだよ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月6日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート256

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート256』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子曰く、「もちろんだ。 磨かれるべく素材があってこその研磨である。 ダイヤモンドの原石は一見するとただ炭と同じく黒いだけである。 やはりよくよく磨いてこそ光にあてるとあのような輝きを放つのであるから、私も子貢も弟子たちもここでこうして学んで正しく考えることで輝きを増すために研磨しているのだ。」

子貢(しこう)曰く、「素材がダイヤモンドの原石ならいざ知らず、ただの石ころだとしたら磨きがいがないではありませんか。」

子曰く、「子貢よ、知ることは聡明(そうめい)を増すことである。 しかし、正しく考えることは一層心を研(と)ぐことになる。 さらに行ずることによって、自らを正しく救うことになる。 玉みがかざれば光なし。 と同時に、道端にあるただの石ころであるとしても、石もみがけば玉となることあり。 また玉にならないまでも、みがかぬ玉よりははるかに良くなることは必定である。」

子貢曰く、「以前、先生に私をご批評願いますとお願いしたら、先生は『お前は器(うつわ)だ』と申されました。 私は『器(うつわ)と申しますと?』と尋ねますと、先生は『瑚璉(これん)だよ。 瑚璉は器としては最高のものだ。』と言われました。 ダイヤモンドの原石の石ころと瑚璉との違いをどのように見分けておられるのですか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月5日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート255

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート255』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「はい、先生のおことばですが、私はお聞きするだけで実感がともないません。」

子曰く、「さもあらん! 今は聞いて知っておくだけでもよい。」

子貢曰く、「先生は齢(よわい)五十にして天命を知ったと聞いておりますが、先生の天命とはいかに?」

子曰く、「『道に志し、徳に拠(よ)り、仁に拠(よ)り、芸(げい)に遊ぶ。』 つまり、道を目標とし、徳を身につけ、仁を実践し、教養を広める。 これが私の生き方である。 またライフワークである。 この生き方による生き様を弟子たちや後世に生まれてくる弟子たちに伝え残すことである。」

子貢曰く、「それが先生の天命なんですか?」

子曰く、「そうだ。 何人ももれおつことの無い天命の大使命は、万物の霊長たる人間として宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上とを現実化することに努力するべく現象界に生まれてきたのである。 子貢よ、君もその一人なんだよ!」

子貢曰く、「私もそうなんですか? しかし、私は先生のような非凡な才能は持ち合わせておりません。」

子曰く、「『われは生まれながらにしてこれを知る者にあらず、古(いにしえ)を好み、敏(びん)にしてもってこれを求むる者なり。』 つまり、私だって先天的に才能があった訳じゃないんだ。 子貢よ、『習慣は第二の天性』と言うだろう。 先人の業績をしたって、それを倦(う)まず弛(たゆ)まずその『第二の天性』でただ研究研鑽(けんさん)しただけなのだ。」

子貢曰く、「それにしても、『第二の天性』で磨くと言っても、本来持ち合わせている素材や素質があろうと思うのですが、いかがでしょうか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年10月4日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート254

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート254』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「先生の内在の神との対話ですね!」

子曰く、「そうだね! 真我と自我との対話と言ってよいだろう。」

子貢曰く、「それで魂からの返答は何と?」

子曰く、「真我からの返答は、『あそこには道の教えを必要としている若者たちがあなたの帰りを今か今かと待っている。 あふれる向上意欲をもてあましているあなたの弟子となる若者たちが待っている! 魯にすぐ帰れ。』と私に語りかけてくれたんだ。」

子貢曰く、「そうでしたか。」

子曰く、「子貢よ、私は私の心の中で真我と対話し、その対話を通じて真我の中にこの世の全てのものを正しく理解し得る偉大なる『光り』なるものが宿り居ることを厳かに感じている。 この『光り』こそは、唯一(ただひと)つの絶対たる宇宙根本主体(天)が我が霊魂の中に与え給いし慈悲の一雫(ひとしずく)である。 またこの『光り』こそは、我が命と宇宙根本主体とを確実に結びつくるくろがねの鎖である。 と同時に更に真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん)なんだ。」

子貢曰く、「先生が言われる『魂の中の“光り”は、真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん) 』とはどういうことなんですか?」

子曰く、「子貢よ、この『光り』が我が心の中に燦然として輝くと、尊しや宇宙根本主体は、世の人の言う『神の啓示』なるものを与えてくれる。 そして無限の力を以って、迷いに眩(くら)む私の心の眼(まなこ)を正しく開かせてくれるんだ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月3日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート253

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート253』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「先生、霊門の扉が開かれるとどうなるんですか?」

子曰く、「子貢よ、君も承知の通り、私は、『朝(あした)に道を聞(き)かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。』と言ってきている。 只今も変わってはいない。 霊門の扉が開かれると、わが意識の心耳に妙(た)えなる魂の囁(ささや)きを聴くことができうるんだよ。」

子貢曰く、「本当に『魂の囁き』を聴くことができるんですか?」

子曰く、「できる!」

子貢曰く、「先生は常に聴いておられるんですか?」

子曰く、「齢(よわい)六十を過ぎてより、我が魂の囁きに心耳は素直に順(した)がって聴いている。」

子貢曰く、「魂はどのようなことを囁いているんですか?」

子曰く、「道を指し示してくれるんだ。」

子貢曰く、「道を指し示してくれるんですか?」

子曰く、「そうだ。」

子貢曰く、「例えばどんなことですか?」

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諸君、論語「公冶長篇」にこのように述べられている。

子、陳に在りて曰く、「帰らんか、帰らんか。 わが党の小子、狂簡にして斐然(ひぜん)として章を成す。 これを裁するゆえんを知らず。」

「さあ、一刻も早く故郷へ戻ろう。 あそこには若者たちが私を待っている。 あふれる意欲を持てあましている若者たちが。 色あざやかな布地は織ったが、仕立て方がわからぬ若者たちが。」

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子曰く、「子貢よ、私が陳の国に在ったときに、私の魂の囁きは、『一刻も早く生まれ故郷の魯の国へ帰りなさい!』と示唆されたんだ。 『聴き間違えはならぬ!』と思い、心静かにして『故障へ帰れとはどういうことですか?』とあらためて魂に問うたのだ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風