諸君元気ですかい、天意天風であります。 本日の一日一話。 天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート1」だ。 諸君、子供の頃に、学校に行かなきゃならぬ朝は眠いもので、母親か家族のものに「いつまで寝てんだ、学校だ起きろ!」なんてどなられていなかったですかい?眠い目をこすりこすり、「言われなくたって、わかってるよ〜も〜う」ちびまる子ちゃんみたいに、グチの一つでも言って、「あ、おくれちゃうよ!」「もっと早く起こしてくれればいいのに!」なんて、あわててランドセルせおって、「いってきま〜す!」と飛び出していったおぼえはありませんかな? ところが、日曜日になると一変する。 日曜の朝7時になると母親、家族のものに起こされなくともバッチリ目が覚める。どうしてかって、それは諸君も経験あるでしょうよ。TVを見るためだね。 見逃しちゃならないと、はじまる30分前から待機していたなんてことないですかな?子供は子供の世界があって、友達同士のコミュニケーションには欠かせない話のネタなんだよな。テレビ人気ドラマや人気アニメや人気マンガの話題は大人になってもしてるでしょうよ。 そうそう、土曜日の夜8時のTVも話のネタの一つだから見逃せなかったね! 諸君はどうですかな?劇画やアニメーションのヒーロー&ヒロインにあこがれて同じファッションをしたくって、お年玉や、お小遣いためて、おもちゃのベルトや魔法のステッキ、その他、身につけるグッズやプラモデルや人形がほしくてほしくて買ったり、買ってもらったり、おねだりしたことなかったですかな?ヒーロー&ヒロインになりきって、友達と「変身ごっこ」などなどしたことないですかな?同じようなファッションをして、お気に入りのおもちゃのベルトや魔法のステッキ持って、髪にかわいい帽子やリボンなどの髪飾りをつけて、主人公になりきって決めポーズをまねたことありませんかな? 諸君の子供の頃、記憶の中で憧れの的、憧れの象徴、憧れていたものはなかったですかな? それぞれ各人が忘れていた憧れのヒーロー、ヒロインを思いだしてみてはいかがですかな。 本日はこれまで。 この続きは明日また・・・では。 今日一日、真我とともにあらんことを 天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート6 ラスト」だ。
古(いにしえ)の聖賢の格言に、「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」というのがある。
先日、伊藤博文公の話をしましたな。
読まれていない諸君はパート1からの関連の流であるので初めから読んで下さいな。
伊藤公があれまでになったのも、良師にめぐまれたからこそですな。
かように言う私も例外ではありませんがね。
諸君はご存知のことでありましょう。
伊藤公の良師はご存知ですかい?
松下村塾の吉田松陰先生だね。
知らない諸君もおいでになるでしょうから、松陰先生の通り一ぺんのプロフィールをご紹介しましょう。
吉田松陰(1830~1859)
幕末の尊王論者、思想家。 長州藩士。
名は矩方(のりかた)、通称は寅次郎。
兵法を学び、長崎、江戸に遊学。
佐久間象山に師事した。
ペリー再来の時、密航を企てて、下獄。
後に、萩の自邸内に松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら維新の指導者を育成。
安政の大獄に連座、刑死した。
伊藤博文公にあっては、吉田松陰先生は人生の恩師であり良師であったんだね。
判断に迷ったとき、決断に苦しんだときなどは、気持ちを楽にして、静かに目を閉じる。
わずか十三才に満たない少年だった頃に出合った恩師の和顔平気の姿が鮮明にまぶたにやきついている。
恩師松陰先生はいつもにっこりとおだやかにほほえみかけてくる。
「利助、孟子についていっしょに学んだとおりにすることです。」
「利助、人の上に立つものは、高潔で誠実で正直であらねばならない。」
「利助、私心(わたくしごころ)をさり、公儀の為に至誠を尽くす。これすなわち為政者・公人としての弁(わきまえ)である。」
松陰先生の一点の曇りのないすんだ魂からの声が聞こえてくる。
松下村塾で学んだのは、わずか二年足らずであったが、自己を省みるときに、師の後ろ姿がまぶたにうかぶ。
我が人生の師、松陰先生ならどう判断し、どう決断するか?
それが伊藤博文公の正しい判断とする独自の「ものさし」であったんだ。
諸君は本物の良師を以っておりますかな?
このテーマはこれで終わることにする。
次回は新テーマで明日またお会いしましょう。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート5」です。
日本のトップリーダーの諸君、天風であります。
諸君らは常に責任を担っているが故に、正しい判断をしなければならない。
当然と言われれば当然である。
それも的確で完全に客観的で、なおかつ公明正大でなければならない。
リーダーにとって判断に迷い、決断に苦しむことは、その立場ゆえ、それが生きてる証で、生き甲斐ぐらいに決心し、決断しておくべきだ。
それが指導的リーダーとしての職務であるからだ。
それがいやなら、受けるべくもなく、やるべくもない。
すべては自業自得であると積極的に意志決定し考えるべきだ。
そのほうが、当然のことリーダーとしての余計な迷いがおこらないですむんだよ。
リーダーが判断に迷い、決断に苦しみすぎると、意志の力が、すこぶる弱っちまう。
それとともに、企業力、組織力も弱っちまう。
大変な損失なんですよ。
トップリーダーの生き抜く力が弱っちまうと、それに呼応して企業の生き抜いていく力も弱っちまうんです。
トップが消極的で弱っちまうと社員の不安の集合意識が世間の不安想念を集め、さらに不安要因を引き寄せてしまう。
負のスパイラルの渦に入っちまうんだ。
個人と同じく、企業も人間と考えれば同じことがいえる。
弱り目に祟り目とはよく言ったもんで、一つの解決をみないうちに、次から次へと困ったときに、さらに困ったことが起こってくる。
天風は生前に企業のトップやトップになる人間に、よくよく言ってきた。
「どんなに事業方針が確立していようと、また経営方針が完備していようと、一番のトップに立っている人々のパーソナリティに多少なりとも欠陥があったらどうなるだろうか。
健康、それから運命に対する扱いがしっかりできる人間でなかったら、どんな肩書をつけようと、それぞれの名前だけにすぎない。
それがために、自身もふくめて、どこまでも人間を積極的につくっておきなさいよ!
それからが経営である。
それから先が事業である。」
本日はこれまで・・・
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート4」だ。
諸君、心の動きは、そのまま顔に表れてしまうね。
日々の思考の習慣が、そのまま顔に表れてしまうということだ。
「和顔」であるから、和(なご)む顔なんだね。
その人の顔を見ただけで、ホッとしたり、気持ちが穏やかになったり、何故かしら、いつもの変わらぬ微笑みに出会うと安心できる。
御歳暮のサラダオイルギフトのTVコマーシャルにこんなのあったね!
「変わらぬ笑顔を見たいから、暮の元気な御あいさつ~~セット!」
見たこと、聞いたことないですかい?
よく出来た決まり文句だね!
でも何かうれしくなるね。
そして、「平気」とは、「落ち着いた平静な気持ち」のことだね。
心が物事に動じないでいて、平素と気持ちや態度が変わらないこと。
いつも変わらない穏やかな心の在り様は、そのまま和顔となってあらわれてくるということだな。
その代表的な顔がね、日本の飛鳥時代の仏像に見られるんですぞ。
アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。
その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。
そして、目は静かに半眼に開いている。
その顔が微笑みを浮かべたように見える。
「和顔」の最たるイメージだ。
旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!
いまさらのことじゃないんだな。
「和顔平気」、何事があるときもなきときも、常にこの心持ちで微笑(ほほえ)んでいたいものですな!
まちがいなく人相は良くなるね!
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート3」だ。
伊藤さんが首相の当時、明治三十三年十二月帝国議会、第十五議会に提出すべき法律案件になかなか決断を下せないでいた。
それは台湾総督府が提出してきた案件の承認であった。
その当時、日本が統治していた台湾の公債を外国で売り出そうという案件で、秘書官が議会に提出しようと伊藤首相に署名捺印を迫るが、なかなか判子を押そうとしない。
台湾総督からの依頼で、「日本帝国の国益に供与するものであるのに、何故に御承認なさらないのですか?」首相と秘書官の是非に関して、「即決する!」「しない」との押し問答が続いた。
その日は結局、判を押さなかった。
その翌日もまた翌々日も頑として押さなかった。
そうこうしてるうちに、年を越して新年を迎えてしまった。
明治三十四年のことである。
伊藤首相が、この案に反対であり、及び腰であると知って、陸軍大将を経て、陸軍大学校長となり、その当時は、台湾総督であった児玉源太郎が説得に乗り出してきた。
そして、首相と児玉総督の論争の末、承諾し、伊藤首相は判子を押すことになった。
その時、催促を続けていた秘書官を呼んで、伊藤首相はこう聞いた。
「世間では、自分のことを一国の宰相でありながら、優柔不断だといっているそうだな」
「はい、その通りであります。」と秘書官は答えた。
伊藤首相は、和顔平気の態度で言った。
「よく聞けよ。この案件では、君とも随分論争したが、今日私はこれを承認することにする。だがな、私は軽々しく決裁を与えないのは、陛下から多大な信任を頂いているからなのだ。万一不注意不備があっては、誠に畏れ多い。だから私(わたくし)の場合は不断(優柔不断)にあらず、容易に断ぜざるのみである。君にも、この心掛けで日常の事務をやってもらいたい。」
伊藤首相の言葉を聞いて、秘書官はびっしょり汗をかいたという逸話である。
不用意な発言をすれば、マスコミは真意のほどは別として、揚げ足を取ろうとするだろうよ。
何にも言わなければ、優柔不断、卑怯、グズ、ノロマだと評価されるであろうよ。
ゆずれない信念があるのならば、評価を恐れて、安易に容易に走るより、無理矢理決断することが、国民のため、国益となるいい結果になるとは、言い難い。
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート2」だ。
「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」伊藤博文公のこの言葉の経緯(いきさつ)は御存知の方もおられるでありましょうよ。
私の大先輩である方ですがね!!
諸君の中で知らない方もいらっしゃるでしょうから、伊藤さんの辞典に書かれてある通り一ぺんのプロフィールを紹介しましょう。
伊藤博文(1841~1909)政治家。 長州の人。 初名は俊輔。
中村俊輔ではありませんぞ。ま~いいか!
松下村塾に学び、討幕運動に活躍。
明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。
初代首相、枢密院議長、立憲政友会総裁などを歴任。
組閣四度に及び、その間、日清戦争を遂行。
1905年(明治38)、初代韓国統監。
ハルビンで安重根に暗殺された。
これが辞典に出てくる、客観的プロフィールだね。
こんなもんで人生は、語られてしまうんだね!
それはそれとして・・・
その当時の天風こと私の印象であるが、「百聞は一見にしかず」とも、言えますかな。
近年の政治家のイメージがあるからして、見る側の諸子からして、一様の勝手なレッテルをはってしまう先入固定観念があるでしょうよ。
そうじゃありませんかい?
自分に置きかえてみると、私(わたくし)の考えと、はたの自分に関しての見方、とらえ方はずいぶんとギャップや思いちがいもあるもんじゃないですかい?
諸君も自己に照らして客観視してみればうなずけるでしょうよ。
いかがですかい?
伊藤さんは政治家というより、政治家に余儀なくされた。
そのように促されたんですな?
「時代の趨勢(すうせい)」ともいいましょうかね。
ある意味では、宿命づけられていたということですかな!
諸君は、ひとむかし前の政治家というと雄弁で話上手、ワンマンで強引!
脂ぎっていて、精力的で、金権がらみで、きたない、そして、どぎつい、インパクトがあるでしょうよ。
これって言いすぎですかねえ~?
ま~、すべてとはいいません。
政治家としては必要な条件の一つでもありましょうよ。
日本国初代の首相で、歴史上の人物で、さぞかし、切れ者!剛腕のイメージがあるかもしれないね?
ところがそうでもないですよ。
この伊藤さんは、実践的でありながら思慮深い方なんですよ。
そして、話上手より、聞き上手なんですよ。
とにかく黙ってまず人の話をよく聞く方だったね!
処世術でもあったんだろうが、実のところはそうでもないんだな。
私の察するところはね。
まあ、この話の続きは明日にしますかね・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート1」だ。
諸君、今年一年、総括されてどんな一年でありましたかな?
今年一年、日本国民の集合想念および集合意識の総和は、おしなべて陰気な暗い気の重いものであったでありましょう。
積年の国民感情は、「このままではいけない、これではいけない」という反発反動作用も手伝って風向きも「新」与党に追い風になりましたな。
政権交代し、「新」政権が大きくクローズアップされた年でもありました。
そのかわり、新与党にマニュフェストで宣言した公約の期待もかかっているね。
ところが、その中心であり旗頭の「新」総理の鳩山氏の顔がくもっているとか?
顔が暗いとか、覇気がない、ハトちゃんこのごろ人相が悪くなったなどと言われているらしいね?
当然のこと、一国の総理ともなれば、唯一一人であるということだね。
何人もいるわけじゃないんだよな。
言い難い重責を担っているのは、はなからわかっていることでしょうよ。
米軍普天間基地移設問題、予算カット配分の問題、切りがない、つきない課題が山積でありましょうよ。
あちらが立てば、こちらが立たず!と日本丸の舵取りも容易ではないことは、いまさら言うまでありませんな!
是非にね、鳩山総理にね、天風がサンタになって、クリスマスプレゼントとして、はげましのエールをおくりましょうぞ。
もと国民の一人として、おくらせて下さいな!
死んじまってるから、私心などもうとうございません。
かく語る天風が生前に幾度か言葉を交わした方がおります。
名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。
日本国初代の首相で、旧(むかし)は千円札の顔でしたね!! 伊藤博文公なんですよ。
私が若い頃、縁あって話をしたことがあります。
伊藤さんの苦渋の決断をせまられた時の、彼の言った言葉なんだ。
これを今の総理にあえておくりたい!
「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」
御本人は痛いほどおわかりになるでしょうよ。
国のトップでしかわかりようのない言葉かもしれませんがね。
本日は、これまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風