2010年1月9日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート5」だ。

諸君、「論語」、為政(いせい)篇四章をかみくだく前に、御参考までに一般的に、このように訳されているんですよ。

「私は十五歳の時に学問によって身を立てようと決心した。」
「三十歳で自分の立場ができた。」
「四十歳で自分の方向に確信を持った。」
「五十歳で天から与えられた使命を自覚した。」
「六十歳で誰の意見にも素直に耳を傾けられるようになった。」
「そして七十歳になると、自分でおさえる努力をしないでも調和が保てる自在な境地に達した。」

「論語」は、約二千五百年前の孔子(孔丘 こうきゅう)を中心とする人間集団のエピソードの対話記録であるからして、孔子の言行を主とし、弟子たちとの対話、弟子たち自身の言行などを孔子の没後、編集したものであるから、長い歴史の変遷を経ながら、様々な方々に、様々な解釈をされてきたんですよ。
解釈する方のとらえかた、考え方に、またその方の時代の背景や、境遇、おかれた立場において、多少意味合いが、表現が異なっているんですな。
「論語」は、長きの間、人間倫理道徳の規範として未だに使われている以上、人間真理を表現しているからこそであり、人間くさいが故、生きていく指針、実践とするうえでは、分かりがよかったんでしょうがね。
諸君もそのことをふまえて、私の話をよく聞いて、自分のものとして、よく咀嚼(そしゃく)して頂ければ結構だ。
諸君の心一つのとらえどころ、考えどころですからな。

五十歳にして天命を知るに及んだ孔子様だが、自身の天命をどこから知ったのかというのが、疑問で知りたいところだね。
自分に置きかえれば、諸君も
「私の、俺の天命ってなんだろうか?」
知りたいと思いますでしょうよ。
天風に言わせれば、解釈一つでそのヒントが隠されているんですよ。
ましてやこれから立って行こうとする方であれば当然であろうよ!
それは「五十歳で天命を知る。」「六十にして耳順(みみしたが)う。」
ここなんだ!
ここを注目の的にしたんだね!
この順番とその解釈で、まったく意味が異なるんですよ。
諸君、ここで言う天風流「論語」解釈の中心基軸になるものがあるからなんだ。
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月8日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート4」だ。

諸君、「論語」の中によく、引用される有名な一説がある。
孔子先生、辞世(じせい)を詠(よ)んでの弟子との会話だとされているものです。

子曰く、
「十五にして学を志す 三十にして立ち 四十にして惑(まど)わず 五十にして天命を知り 六十にして耳順(みみしたが)う 七十にして心の欲(ほっ)する処(ところ)に従(したが)えども矩(のり)を超(こ)えず」

諸君も、どこかで読んだり、聞いたことがあるでしょうよ。
天風流に解釈すると、孔子先生が言われるには、
十五歳で学問で身を立てていこうと志(こころざ)した。
三十歳になって学問のあるおかげで重用(ちょうよう)され、立身出世した。
四十歳になって己(おのれ)のなすことに信念がもてるようになり、心が迷わなくなった。
五十歳にして天から与えられた天分の自分の使命に気づいた。
六十歳にして自我の心の耳が我が内なる真の自己を通じて、内なる声、天の声、天の啓示の声に素直に心の耳をかたむけてよく聞くようになった。
七十歳にして自我の心の働きである思ったり考えたりする意識のままに行動しようとも天の摂理(せつり)に自ずと沿うようになった。

孔子七十歳を超えての大悟の気づきであると天風は解釈している。
明日は、上記の内容をかみくだいて話をすることにする。
では・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月7日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート3」だ。

諸君、「論語」は、孔子と弟子の対話による言行録であることは、今さら偉そうに言うまでもありませんな。
その「論語」を通して、孔子と弟子のやりとりで、孔子の処世術や孔子の性格やその意味を、渋沢哲学と天風哲学に照らし合わせて考察してみたい。
また、渋沢哲学と天風哲学は、真理を表現している一つの側面として、そのプリンシプルとなる柱(はしら)は、相通じるものがある。
ここでは、諸君に天風の「論語」観を少しずつ述べてゆきたいと考えている。
天風さん、何を言いたいんだいと問われれば?
天風流「論語」観を中心基軸にして、論語を解釈するとどんなとらえ方、考え方になるかということだね!!
わかりにくいかい?
つまり、天風流のものさしやスケールでの新説「論語」解釈ですよ。
まず、渋沢さんと天風の相通じる共通の側面は、渋沢さんが生前にこのように述べているんだよ。

「世に生まれ出たのは、直接には父母の恵みであるが、本源は、造物主であって、何事かやるべき使命を与えて、自分をこの世に出したのだから、使命を全うするのは人間の義務である。
才能がある者はあるだけ、また少ない者も少ないだけの才能を用いてそれぞれ力を尽くすのが、人としてこの世に対する義務であると私は確信している。
私自身、ここに人生の方針の基準を置いている。
これは必ずしも『論語』から得たものでもなければ、仏教や神道に学んだわけでもない。
ましてやキリスト教によるはずもないから、ただ私の性格から自然にこのように信じるよりほかない。
もっとも論語には天の使命に関することが説いてある。
孔子は、『怪力乱神(かいりきらんしん)を語らず』と言って、仏教のように三世(さんぜ)を説かないが、論語一編を通読すると、孔子も自分以外に自分を導くものがあることを信じていたようだ。
孔子自身もまたその一生を天の命じるところに捧げたのだろうと思う。
私はこの世に生まれた人は、いずれも天の使命を帯びていると信じているから、自分もまた社会のこと、公共のことには出来るだけの貢献をし、その使命を果たしたいと考えている。
単に実業家として一身の利益を図り栄達(えいたつ)を望むのなら、他に財産を蓄える方法があるかもしれないが、これは私の主義でない。
また死んでいくこの身が巨万を蓄え、これを子孫に遺すということもやりたくない。
ふだん私が公共のことに心がけて、一般の実業家とやり方をやや異にしているのも、要するにこの信念からきたものである。」

諸君、この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月6日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート2」だ。

諸君、何故か今「論語」ブームなんだとか?
一昨年8月、北京オリンピックがありましたね。
その8月8日の開会式のセレモニーに、孔子先生が中国の長い歴史の中の、思想的な象徴として、上手に表現されていましたな。
ご記憶に残っておりますでしょうかねぇ~。
そんなことまったく興味がないという方もおおぜいおられるでしょう。
「論語読みの論語知らず」こんな成句は聞いたことありませんかね?
この文句なら知ってますかいな?
この成句の一般的解釈はね、書物の内容を頭で理解するだけで、それを社会生活の中でどのように実践すべきかに思い至らないことの例えとの意味なんだね。
渋沢栄一翁は、論語を人生哲学とし、さらに実践経営哲学に換言したんです。
つまり置きかえて渋沢流に作り上げたんだね。
算盤(そろばん)は実質的経済活動の象徴なんですな。
ズバリ! もうかるか? もうからないか? の算盤勘定のことだね。
渋沢さんは独自の、「道徳経済合一説」という理念を打ち出したんだ。
その目的はと言うと、「経世済民」(けいせいさいみん)なんだ。
ご存知の通り「経済」という言葉のもとになったものだね。
民のために、経済を発展させることによって、世を治め、民の苦しみを救うことの意味なんだがね。
早い話が、国民の生活を経済において豊かにしようというのがその主旨、本旨なんですよ。
幼少期に学んだ「論語」を拠り所に、人として守るべき道、つまり道徳と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国益と国全体を豊かにするために、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた偉い人なんだ。
儒学と陽明学と経済をかけ合わせた、渋沢の独特の経営哲学を通して、基幹産業やそれに付随する多種多様な企業の設立に関わった方なんだ。
今日はこれまで、この話の続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月5日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート1」だ。

諸君、毎年恒例の年中行事となった正月の2日と3日に行われている箱根駅伝はTVなどで御存知のことでありましょう。
ATAGO日記の1月3日のブログを見ていただければ、復路ゴールになっている読売新聞本社前までのアンカーのラストスパートの写真とともに感動の様子が書かれてありますよ。
私こと天風のブログと合わせて見てやって下さいな!
写真に写っている石の橋は「常盤橋」と言って、東京駅の日本橋口から日本銀行へ向かう途中にある橋なんですよ。
そこに小さな公園があるんです。
その公園の中央上段に「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一・青淵翁(しぶさわえいいち・せいえんおう)の立像があるんですよ。
別に立像や像はここだけではありませんが、知る人ぞ知る偉人でありますよ。
渋沢栄一翁故人においては、「日本資本主義の父」という尊号は非常にいやがっておりましたがね。
私の個人ごとですが「哲人天風」、これは非常に気に入っていますよ。
鉄人28号じゃありませんぞ。
黒子君がその公園近くをよく通るものですから、必ずその立像に向かってあいさつをしているんですよ。
それがいつの間にか黒子君の習慣となっているんだね。
その立像になった渋沢栄一氏だが、天保11年2月13日(1840年3月16日)生まれの私の大先輩にあたるんだがね。
この人は、私が好きなプリンシプルのある積極的な大人物なんですよ。
諸君も御存知の現在のみずほ銀行の創設者なんですがね、もっと諸君になじみあるのは必ずと言っていいほどTV等でCMを見ておられるだろう、かのキリンビール、そして、サッポロビールの創設者の一人なんですぞ。
この方がいなかったら、キリンビールやサッポロビールは無かったかもしれませんな。
別の名前のラベル名になっていたのかもしれないですぞ。
諸君知っておられましたかな?
ビール会社はいずれはできたとしても、なじみのキリンビールじゃない!ライオンビールとか白クマビール、ぞうさんビール、ドラゴンビール、ジャイアンツビールとかね?
サッポロビールは、箱根ビール、大黒(だいこく)ビールかもね?
どちらにしても、渋沢さんほど精力的にいろいろな事業を企業化した人はいないんですよ。
この話の続きは、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月4日月曜日

善いことは徹底してまねる パート16

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート16」だ。

諸君、本日より仕事初めの方もいらっしゃるでしょう。
初仕事ですな。
洗面所の鏡に向かって、ニコッと笑って、溌剌颯爽と気を入れて、気を引き締めて行きましょう!!
本日で「善いことは徹底してまねる」のテーマは一応のシメとします。
「善いことはなんでもいいから真似しろ、悪いことはうそにもかりそめにも真似するな」
この言葉を「らしく」で置きかえてみる。
「善いことはなんでもいいか『らしく』真似しろ!」
この言葉をさらに置きかえますよ。
「善いことはなんでもいいから真実そうなった『ごとく』徹底して真似る」
実際、模倣が極度に到達すると真実と寸分の相違のないようになるものなのである。
諸君、いずれにしても自己を完全に啓発し、自己を真実に向上させ人の世のために真に役立つという真人となろうためには、ひたすらこうした心がけで何でも善いことを「らしく」「ごとく」模倣することに専念するべきである。
そして、悪いということは、特に人の迷惑になるようなことは嘘でも「らしく」、それから「ごとく」真似をしないことだよ。
「オレ!オレ!詐欺(さぎ)」なんていうのは、悪いということの「らしく」「ごとく」の典型だね!
え~え、決して真似しちゃいけません。
いちいち私がくどく言わなくとも諸君は、すでにおわかりのはずだ。
このテーマで話してきました真理に鑑(かんが)みられて、自分以外の人の善きところや、自分でここのこれは良いことだと思うことは、進んで極力熱心に模倣されたい。
模倣の極致は本物です。
いずれ、諸君が本物になるからです。
そして、本物は、善き見本、お手本として諸君を見習うようになっちまうんですよ。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月3日日曜日

善いことは徹底してまねる パート15

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート15」だ。

諸君、正月の三箇日(さんがにち)の三日目ですね。
もう初詣には行かれましたか?
さすがに新年はにぎやかでしょうな!
このときばかりお賽銭をなげ入れて、二礼二拍手一礼をする。
心の中はていうと、願いの叶わぬことでも、この際お願いできることは、神頼みでも仏頼みでも何でもかまいやしない。
この不景気もう切羽詰まっているから形振(なりふ)りかまってられない。
願えるだけ願ってお願いしちまおうって、ま~そんなところしょうかね?

京都栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)が檀家(だんか)の信者に向かって言った。
「七日七夜のあいだ、茶断ち、塩断ちしてござれ。」
昔の人は、茶断ち、塩断ちが、六根清浄のはじまり、序の口のおきまりだったのかねえ?

明恵上人はいつごろの人かというと、鎌倉初期(1173~1232)の僧で、紀伊の人。
辞典に出てるプロフィールです。
華厳宗の中興の祖。
諱(いみな)は高弁。
高雄山の文覚に師事し、のち紀伊白上の峰で修行した。
後鳥羽上皇から栂尾山を賜り、高山寺を創建して、華厳宗興隆の中心道場とした。
戒律を重んじ、著書「摧邪輪」で法然を批判。
また、宋から将来した茶を栂尾山で栽培した。

とある。
そして七日七夜のあいだ茶断ち、塩断ちして、やっと安心立命のおさとしを受けることができると思って、喜びいさんでお寺へ来ると、明恵上人さん、「本堂にござれ。 ご本尊の前でおさとしをお聞かせしよう。」
ここは「盛大な人生」に述べてある通りだね!!
それで明恵上人は、自分の持っている大上人(だいしょうにん)の位の僧服を身につけられて、本道に出られて、須弥壇(しゅみだん)の上から、「よく承(うけたまわ)れ」
「ハハッ」と手をついて檀家(だんか)の信者がひれ伏すと、「安心立命の大義というのは難しいことではござらん。 ただ一言(ひとこと)ですむ。 ようく耳をそばだてて聞きめされれや。 安心立命の大義はのう『らしく』しなされ。 『らしく』生きなされ。 これだけじゃ。」と、こう言った。
聞いた信者はびっくらこいちゃった。
どういう難しい、尊いことを言ってくれるかと思ったら、「らしくしろ、らしくしろ」。
これはとりもなおさず、模倣なるものは、言いかえると真似事というものは、「らしく」する。
それから先は「ごとく」する。
善いことは真実となった「ごとく」徹底して真似る。
その極致に到達すると真実と同様になるぞよ。
これがあらゆることにも通ずる極意でもある。
この話の続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風