本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート5」だ。
諸君、「論語」、為政(いせい)篇四章をかみくだく前に、御参考までに一般的に、このように訳されているんですよ。
「私は十五歳の時に学問によって身を立てようと決心した。」
「三十歳で自分の立場ができた。」
「四十歳で自分の方向に確信を持った。」
「五十歳で天から与えられた使命を自覚した。」
「六十歳で誰の意見にも素直に耳を傾けられるようになった。」
「そして七十歳になると、自分でおさえる努力をしないでも調和が保てる自在な境地に達した。」
「論語」は、約二千五百年前の孔子(孔丘 こうきゅう)を中心とする人間集団のエピソードの対話記録であるからして、孔子の言行を主とし、弟子たちとの対話、弟子たち自身の言行などを孔子の没後、編集したものであるから、長い歴史の変遷を経ながら、様々な方々に、様々な解釈をされてきたんですよ。
解釈する方のとらえかた、考え方に、またその方の時代の背景や、境遇、おかれた立場において、多少意味合いが、表現が異なっているんですな。
「論語」は、長きの間、人間倫理道徳の規範として未だに使われている以上、人間真理を表現しているからこそであり、人間くさいが故、生きていく指針、実践とするうえでは、分かりがよかったんでしょうがね。
諸君もそのことをふまえて、私の話をよく聞いて、自分のものとして、よく咀嚼(そしゃく)して頂ければ結構だ。
諸君の心一つのとらえどころ、考えどころですからな。
五十歳にして天命を知るに及んだ孔子様だが、自身の天命をどこから知ったのかというのが、疑問で知りたいところだね。
自分に置きかえれば、諸君も
「私の、俺の天命ってなんだろうか?」
知りたいと思いますでしょうよ。
天風に言わせれば、解釈一つでそのヒントが隠されているんですよ。
ましてやこれから立って行こうとする方であれば当然であろうよ!
それは「五十歳で天命を知る。」「六十にして耳順(みみしたが)う。」
ここなんだ!
ここを注目の的にしたんだね!
この順番とその解釈で、まったく意味が異なるんですよ。
諸君、ここで言う天風流「論語」解釈の中心基軸になるものがあるからなんだ。
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風