2010年3月13日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート49

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート49」だ。

諸君、江戸前期の陽明学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん 1619―1691)は、若年でありながら江戸初期の儒者、中江藤樹(なかえとうじゅ 1608-0648)という良師を見つけたんだね。
これは学びたい、向上したいという蕃山の強い欲求が引き合わせたんだね。

そうした暫く月日が過ぎたある日、門弟が気づいて藤樹に話すと、
「そうか。 それでは庭へ入れてやれ。 下郎の身だから座敷へ上げることは出来ないけれども、庭ならよいから入れてやりなさい。 そして、廊下のところで聞かせなさい。」と言って、講義を聞かせた。
そして講義が終わった後で中江藤樹が、「そんなに私の話が聞きたいか?」と聞くと、
「ハイ、雨の日も、風の日も、こうして先生のお話を聞くのが私の何よりの務めだと思って参っております。」
「そうか。 お前の所は一体どこかね?」
「二つ山越した向こうでございます。」
「そうか。 すると歩いて来ると四時間ぐらいはかかるねぇ」
「ハイ、四時間はかかります。」
「どうだ、聞くところによると、年をとったおっ母(か)さんとお前だけだということだけども、うちの馬小屋が空いているので、馬小屋に来て住んではどうか? おふくろさんも、ここで、時折の話を聞くということなれば、四時間も山を越えて来なくてもいいではないか。」
このとき、蕃山は何と答えたか。
涙を流しながら、「身に余るありがたいことです。 けれども、私は山二つ越えてここへ来るからこそ、辛抱甲斐があると思っております。 お宅にご厄介になっては、たいした疲れも感じないで、いながらにしてお話を聞くなんてことは、もったいないことでございます。 やっぱり今まで通り、働いた揚句に、二つの山越えてここへまいり、お話を承る。 これがもう一番、私の気持ちの中に、励みが出ますので、どうぞそうさせて下さい。」と言ったという。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月12日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート48

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート48」だ。

諸君、熊沢蕃山(くまざわばんざん)、二宮尊徳の両偉人も「論語」は若い時より幾度となく熟読し、坊主が経文をくり返し、読経し勤行することによって、いつしかそらんじるまでになるがごとくになっていたんでしょう。
二宮さんも、まきを担いで読んだ一冊の本の中に「論語」もあったであろうと推測できますな。
私こと天風が少年の頃に、あの熊沢蕃山と言う人の作った歌を見たときに、「ああ人間これでなければいけないなぁ」と思った。

『憂きことのなおこの上につもれかし 限りある身のちからためさん』

「憂きことの」だから、憂いだね。
悪い状態になることを予想し、心配することだね。
ああなりはしないか、こうもなりゃしないか、例えば、風邪がずいぶんと長びいていっこうに治らないがひょっとしてガンじゃないかしらん等々色々の憂き思いのことだよ。
つまり、心配の不安の心の意識状態だね!
また悲しい、さびしい憂愁の心境だな!
「憂きことよ、なおこの上に、つもれつもれ。 俺は決してまけないぞ」という気持ちだ。
この人の有名な詩の中で、私の心を打ったエピソードを話そう。
蕃山は、山の上の一寒村に貧しい暮しをしていたが百姓の家に生まれた人なのだ。
もっとも血筋は大変よかったらしいんだが、落ちぶれて、結局は、山家住いの身になったんだが、やっぱり血筋がいいだけに、学問を志して、自分の畠に出来た野菜を担いでは村々、町々に売って歩くかたわら勉学にいそしんだ。
山二つ越したところに、中江藤樹(なかえとうじゅ)という、儒者で我が国陽明学派の祖、その当時の優れた学者の一人がいた。
その当時は、身分のいやしい者は、武士の講義する席上に入ることは許されないから、蕃山は講義の始まる時間に来て垣根の外で、うずくまりながら、垣根越しに中江藤樹の講義を聞いていた。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月11日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート47

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート47」だ。

諸君、以前に「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」と述べたことがあるね。
戦前に、修身によく出てくる話に有名な熊沢蕃山(くまざわばんざん)翁の伝記がある。
修身とは、自分の心と行いを修め正すことの意味だが、第二次大戦前の小中学校の教科目の一つで教育勅語をよりどころとして国民道徳教育の実践指導を目的としたものであったんだ。
昔は小中学校の校庭の隅っこや校舎の横に二宮尊徳翁の像が必ずと言っていいぐらいあったんだ。
まきを担いで本を読んでいる少年の像を諸君も見たことはないですかい?
熊沢蕃山、二宮尊徳は修身に出てくる日本の偉人なんだね。
熊沢蕃山翁の話は、渋沢栄一氏の「論語と算盤」、私こと中村天風の「運命を拓く」にも記載しているんですね。
渋沢栄一氏の「論語と算盤」は、昭和2年に出版されたんですよ。

「現今でも、高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫(ごう)も遜色(そんしょく)のない者がいくらもある。 昔は少数でも宜(よ)いから、偉いものをだすという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという、常識的教育となっているのである。 昔の青年は良師を選ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山ごときは、中江藤樹(なかえとうじゅ)の許へ行って、その門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、遂に門人にしたというほどである。 その他、新井白石の木下順庵における、林道春の藤原 惺窩(せいか)におけるごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳をみがいたのである。」と渋沢栄一氏は「論語と算盤」の中で述べている。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月10日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート46

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート46」だ。

諸君、一昨日の続きだね。
顔回(がんかい―回かい)が近くに来ると、蜘蛛の子(くものこ)を散らしたようにその場から立ち去って行く塾生が増えていった。
中には、先輩の顔回の顔を見て睨み返して去っていく門人もあった。
さすがの穏やかな顔回も、身に覚えのない陰湿な態度に憤りと疑念を抱いていたが、孔子先生には、そんな様子は一切見せなかった。

そんな最中、帰宅の途中で、後ろから呼び止める声がする。
孔子先生の御用で留守にしていた子貢(しこう)であった。

子貢曰く、「回さん、ご苦労さまです! お帰りですか?・・・  回さんどうしたんですか? 元気がないじゃないですか? 体の具合でも悪いんですか?」

回曰く、「子貢君、君は私と口をきいてもいいのかい?」

「はぁ~? 何をバカなことを言っているんですか? 同門の子貢ですよ! 回さんとてもお疲れのようですね! 私の留守中に何かあったんですか?」

「私にもよくわからないんだ!」

「わからないって、どういうことですか?」

「突然、子路(しろ)先輩や神北(かんぺき)君が口をきかなくなったんだ。 私が挨拶や声をかけると、すぐその場を立ち去るんだ。 君の留守中から他の門下生も同じ態度をとるようになったんだ。 先生のいらっしゃるところではさすがにそれはないが、先生が立ち去るとすぐに私を無視しだすんだよ。 気にとめないようにしているんだがね! さすがにまいっているんだ。」

「そうですか。 回さん、何か心当たりはありますか?」

「私は普段通りで、思い当たるところがないんだよ。」

「回さん、これから私は孔子先生のところにご報告にあがるところです。 もし、お急ぎでなければ、留守中に私の当番を回さんに代わっていただきました。 お礼に一献(いっこん)差し上げたいが、いかがでしょうか?」

「子貢君、これについては先生には話さないでくれたまえ。」

「承知しました。 回さん、久しぶりに飲みながら、お互い忌憚(きたん)のない話をしませんか?」

「子貢君、ありがとう! では、君のご厚意に甘えて、そうさせて頂くことにするよ。」

「それでは、回さん、居酒屋『ざ・論民』をご存知ですね! そこの2階でPM7:00に待ち合わせしませんか? もし私が遅れるようでしたら、先に飲んでいてかまいませんから! 勘定は私に任せて下さい! 時間に間に合うように急いで行きますから、待っていて下さいな!」

「いや、子貢君、君が来るまで待たせてもらうよ!」

「回さん、あいかわらず律儀ですね。 では、後ほど・・・」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月9日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート45

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート45」だ。


諸君、「論語」の中の言葉は、その時代に応じていろいろな方々がそれを引用してきたんだね!
もちろん私もそうでありました。
かつての私のファンクラブの一人で有名人でもある松下幸之助氏もご自身の著書の中で引用の引用をしているね。
そこんとこおもしろいのでクローズアップして紹介しよう。

「生成発展が自然の理法」の中での一コマなんですな。
これは幕末のはなしでありますが、維新の志士の一人である坂本竜馬は大河ドラマ「龍馬伝」で今でも大活躍中の人物ですね。
その竜馬は、よく西郷隆盛と話し合ったものでした。
私の恩師である頭山満翁の敬愛する「敬天愛人」の西郷さんですね。
ところが、この坂本竜馬の意見は会うたびに朝令暮改(ちょうれいぼかい)でコロコロ変わっている。
そのために、話をしていても、西郷隆盛が彼から受ける感じが毎回違うんだ。
そこである日、西郷さんが「あなたはおととい会ったときと、今日の話とはまた違うではないか。 そんなことではあなたの言葉は信用できない。 天下の士として信じられる者には、不動の信念がなければならない」と言って非難したんですよ。
もちろん、薩摩のなまりの言葉で話したんですな!

その時、坂本竜馬は
「いや、決してそうじゃないよ、西郷どん。 孔子は『君子は時に従う』と言っているじゃないか。 刻々と時は移り、社会情勢は日に日に変わっているじゃないですか。 だから今日の是が明日の非になるのは当然じゃないですか。 今日よしとされることが、明日には、ダメになる。 この、時に従うこと、これが君子たるもののとる道じゃないですかい。」と言い切った。
さらに語を継いで、「西郷さん、あなたは、一度こうだと考えると終始一貫、それを守り続けようとする。 だがそれでは、将来、必ずあなたは時代に遅れて取り残されますよ。」と答えたとのこと。

西郷さんほどの人物を、そう軽々しく批判することは、控えなければならないが、生成発展という原理(プリンシプル)から考えてみると、坂本竜馬にいささかの賛成の意を持ちたいと思うと松下氏も言っておられる。
私もその意に賛成である。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月8日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート44

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート44」だ。


諸君、孔子門人で顔回(がんかい―回 かい)の友人の曽子(そし)が、顔回の人となりを称して、「どんなに才能があっても、それにおぼれず、学問を日々怠らず、また自分以下の者にも意見を求める。 どんなに知識が豊かでもそれに頼らず、他人の見聞に徴(ちょう)してみる。 衆知を集め、能力を誇示せず、学識をひけらかさず、争いをしかけられても相手になろうとしなかった。 私の亡くなった友人顔回は、こうした生き方のできる素晴らしい人物でした。」と述べているんだね。

顔回いつも通り正門をくぐると門の裏で隠れるように話し合っている先輩の子路と神北(かんぺき)の姿があった。

回曰く、「子路(しろ)先輩、おはようございます。 今日一日よろしくお願いいたします。」

子路、一瞥(いちべつ)するも回と目を合わさず、避けるように無視する。
無論、無口!

「神北君、おはよう! 今日一日よろしくお願いいたします。」

ちょっと、バツが悪い表情をした神北であったが、子路の方を向いてこちらを見ようともせず無言であった。

「子路先輩、神北君どうしたんですか? 何かあったんですか?」

子路曰く、「神北いくぞ。 ついてこい!」

子路と神北は、回の投げかけた言葉を避けるように無視して、そそくさと門の外に出て行ってしまった。

「どうしたんだろう? いつもと様子が違うが、何かあったんだろうか? まー、いい。 気にしているヒマはない。 急いで教室に行って、先生の今日一日一話の講義の準備をしなきゃ!」 回、教室に入る。

今日の講義のために、次々と、塾生が入室する。

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回、心の中で「いつもニコニコして挨拶を交わすのが、塾生同士の常であったのだが、だれも私の目を見ようともしない! むしろ無視するかのようだ。 何か様子が変だ! ま~気にすまい! 先生ももうすぐ来られることだ。 気分をとり直して明るくいこう!」とつぶやく。

孔子先生、中庭をはさんだ向こうから渡り廊下を歩いてこられるのが見えた。

回、教室の前で先生を出迎えて曰く、「先生、おはようございます。 今日一日、ご指導、よろしくお願いいたします!」

「お~お、回よ、おはよう。 今日一日、サポートを頼むぞ。」

「はい、もうすでに準備は整っております。 塾生も子路先輩と神北君以外は、全員そろっております。」

「おお、そうか。 また子路はサボリかい?」

「私には、わかりかねます。」

「神北は金魚のフンかい?」

「私には、わかりかねます。」

「わかった! 子路に注意しておこう。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年3月7日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓〜論語創作ものがたり パート43

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート43」だ。

私の解釈は別としても、こんなことが「論語」の中に載っているんですよ。

回は実の息子以上の存在であって、孔子先生の後継ぎで、頭が良くて、勉強大好きで、なおかつ思いやりがあって、優しく気立てがいい。
とくりゃ、そりゃ身贔屓(みびいき)もしたくなるのが人情だね。
えこひいきもする。
回の悪口言われりゃ、すぐかばいたくなる。
回をいじめるやつは、同門の弟子でも許さない!
以上のことで子路の嫉妬もうなずける一面もあるね!
火のないところに煙は立ちませんよ。
何故って?
それは、顔回に関しては、父子の接し方であって、他の門人との接し方態度とはあきらかに異なっていたんだろうね。

諸君、そんなこんなで、子路のち密な計画は、思惑通りにはこんだ。
孔子先生、顔回、子貢の三人だけには、耳に入らなかったんだ。
顔回いつも通りに、早朝より働いて、一椀の雑炊をすすり、白湯を飲み、書籍を布に巻いて、腹帯としてしっかりと腰に巻いて、身支度を整えた。
とにかく、学問が三度の飯より好きな顔回君なんだな!
孔子塾門前に来ると弟子は必ず教えを謙虚に乞う姿勢を一礼(おじぎ)をすることによってその意を表すのがならわしであった。
顔回は、師に対する姿勢が際立っていたんだ。
日本の神様ではないから、二礼二拍手一礼をしたかは定かではないが、「一礼(おじぎ)をするとともに、本日も師について学べることを心より感謝します。」という口上を述べて門をくぐっていたとか?
そして、後輩であろうと、近所のおばさんであろうと、子供たちであろうと、自ら率先してあいさつすることにしていた。
礼儀正しい好青年何だね、回君はね!
こんな青年は、やはり人から好かれるんですよ。

子曰く、「なあ、回よ、教養を広めると同時に、これを礼によって集約する実践態度、これこそ君子
としての義務に忠実なものと言えるだろう。」との教えを素直に聞いて、実践している回君なんだ。
これが人から好かれるコツでもあるんだ。
だから好かれようと思わなくても勝手に好かれちまうんだね!


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風