2010年3月11日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート47

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート47」だ。

諸君、以前に「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」と述べたことがあるね。
戦前に、修身によく出てくる話に有名な熊沢蕃山(くまざわばんざん)翁の伝記がある。
修身とは、自分の心と行いを修め正すことの意味だが、第二次大戦前の小中学校の教科目の一つで教育勅語をよりどころとして国民道徳教育の実践指導を目的としたものであったんだ。
昔は小中学校の校庭の隅っこや校舎の横に二宮尊徳翁の像が必ずと言っていいぐらいあったんだ。
まきを担いで本を読んでいる少年の像を諸君も見たことはないですかい?
熊沢蕃山、二宮尊徳は修身に出てくる日本の偉人なんだね。
熊沢蕃山翁の話は、渋沢栄一氏の「論語と算盤」、私こと中村天風の「運命を拓く」にも記載しているんですね。
渋沢栄一氏の「論語と算盤」は、昭和2年に出版されたんですよ。

「現今でも、高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫(ごう)も遜色(そんしょく)のない者がいくらもある。 昔は少数でも宜(よ)いから、偉いものをだすという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという、常識的教育となっているのである。 昔の青年は良師を選ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山ごときは、中江藤樹(なかえとうじゅ)の許へ行って、その門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、遂に門人にしたというほどである。 その他、新井白石の木下順庵における、林道春の藤原 惺窩(せいか)におけるごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳をみがいたのである。」と渋沢栄一氏は「論語と算盤」の中で述べている。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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