諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート161」だ。
諸君、昨日の引き続きにあるが、陽明学の祖、王陽明の陽明学の致良知について述べてみたい。
大辞林によると「王陽明は(1472~1528)中国,明代の儒学者。浙江省余姚(よよう)出身。 名は守仁、字(あざな)は伯安、諡(おくりな)は文成公。陽明は号。朱子学に満足せず、心即理・知行合一(ちこうごういつ)、致良知を説き、陽明学を完成、実践倫理への道を開いた。 また、寧王宸濠(しんごう)の乱を平定するなど軍事的才能もあった。著「王文成公全書」、語録「伝習録」がある。 」とある。
「論語と算盤」の中の「誤解されたる修養説を駁す」で渋沢栄一翁もこのように述べている。
「修養ということについて、私はある者より攻撃を受けたことがある。その説は、大体二つの意味に分かれていたのである。その一つは、修養は人の性の天真爛漫を傷つけるから宜しくないと言うので、他の一つは、修養は人を卑屈にすると言うのであった。よってこれらの異見に対して答えておいたことを、左に述べてみようと思うのである。
まず修養は、人の本然の性の発達を阻害するから宜しくないというは、修養と修飾とを取り違えて考えておるものと思う。修養とは身を修め徳を養うということにて、練習も研究も克己も忍耐もすべて意味するもので、人が次第に聖人や君子の境涯に近づくように力(つと)めるということで、それがために人性(じんせい)の自然を矯(た)めるということはないのである。つまり人は充分に修養したならば、一日一日と過(あやま)ちを去り、善に遷(うつ)りて聖人に近づくのである。もしも修養したために、天真爛漫を傷つけると言うならば、聖人君子は完全に発達した者でないということになる。また修養のために偽君子となり、卑屈に陥るならば、その修養は誤れる修養であって、われわれの常に言う修養ではないと思う。人は天真爛漫が善いということは、私は最も賛成する所であるが、人の七情すなわち喜怒哀楽愛悪慾の発動が、いつ如何なる場合にも差し支えないとは言われぬ。聖人君子も発して節に中(あた)るのである。ゆえに修養は人の心を卑屈にし、天真を害するものと見るは、大なる誤りであると断言するのである。
修養は人を卑屈にするというに、礼節敬虔(けいけん)などを無視するより来る妄説(もうせつ)と思う。およそ孝悌忠信、仁義道徳は日常の修養から得らるるので、決して愚昧卑屈(ぐまいひくつ)でその域に達するものではない。大学の致知格物(ちちかくぶつ)も、王陽明の致良知(ちりょうち)も、やはり修養である。修養は土人形を造るようなものではない。かえっておのれの良知を増し、おのれの霊光を発揚(はつよう)するのである。修養を積めば積むほど、その人は事に当たり、物に接して善悪が明瞭になって来るから、取捨去就(しゅしゃきょしゅう)に際して惑わず、しかもその裁決が流るるごとくなって来るのである。ゆえに修養が人を卑屈愚昧にすると言うに大なる誤解で、極言(きょくげん)すれば、修養は人の智を増すにおいて、必要だということになるのである。これをもって修養は智識を軽んぜよというのではない。ただ今日の教育は、あまりに智を得るのみに趨(はし)って、精神を練磨することに乏しいから、それを補うための修養である。修養と修学を相容(あいい)れぬごとくに思うのは、大なる誤りである。
蓋(けだ)し修養ということは広い意味であって、精神も智識も身体も行状も向上するように練磨することで、青年も老人も等しく修めねばならぬ。かくて息(や)むことなければ、遂には聖人の域にも達することができるのである。
以上は私が二つの反対説、すなわち修養無用論者に対して反駁(はんばく)したる大要であるが、青年諸氏もまたこの考えで、大いに修養せられんことを切望するのである。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年7月3日土曜日
2010年7月2日金曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート160
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート160」だ。
諸君、論語「公冶長篇(こうやちょうへん)」に
「子路聞くことありて、いまだこれを行なうことあたわざれば、ただ聞くあらんことを恐る」とある。
子路は孔子先生に何か一つ教えを受けると、それをすぐさま実行に移そうとした。
身をもって実行できないうちは、新たに別の教えを師から受けることを拒否したとある。
子路にとってみれば、どんなに良い教えを聞いたところでそれが現実に活かせぬもの、または役に立たない物は良しとしなかった。
偉そうに口巧者に語ったとしても実行せぬものは信用しなかった。
言行が一致しないことは何らの価値を見いだせないと考えていたのだろう。
後の世に生を受ける陽明学の祖、王陽明の実践哲学がそれである。
大辞林によると陽明学とは、「中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。 元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視した。 心が理であるという心即理(しんそくり)、生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。 王学。」と説明されている。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート160」だ。
諸君、論語「公冶長篇(こうやちょうへん)」に
「子路聞くことありて、いまだこれを行なうことあたわざれば、ただ聞くあらんことを恐る」とある。
子路は孔子先生に何か一つ教えを受けると、それをすぐさま実行に移そうとした。
身をもって実行できないうちは、新たに別の教えを師から受けることを拒否したとある。
子路にとってみれば、どんなに良い教えを聞いたところでそれが現実に活かせぬもの、または役に立たない物は良しとしなかった。
偉そうに口巧者に語ったとしても実行せぬものは信用しなかった。
言行が一致しないことは何らの価値を見いだせないと考えていたのだろう。
後の世に生を受ける陽明学の祖、王陽明の実践哲学がそれである。
大辞林によると陽明学とは、「中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。 元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視した。 心が理であるという心即理(しんそくり)、生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。 王学。」と説明されている。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年7月1日木曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート159
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート159」だ。
諸君、ここは子路(しろ)と顔回(がんかい)のいる学而の間であります。
顔回が子路と神北(かんぺき)の礼に欠ける振る舞いに対して、「存念やいかに?」と問うたところからですよ!
子路つり上がったまなこを大きく見開き顔回のまなこを直視してい曰く「回(かい)! 俺は先生に『回を見習え、回を見習え』と言われ続けているんだぞ! 俺は貴様より二十一歳も年上なんだぜ。 出来たお前であっても俺の立場であれば後輩の貴様を見習えと言われれば面白くないのは当たり前だろう。 俺は先生を共に苦労してきた同志だと思っているんだ。 そして俺は先生のためなら命も惜しくない! 貴様にも俺の気持ちはわかるはずだ。 先生は、お前を我が子以上に可愛くてしょうがないのは、俺はわかっているつもりだ。 回は先生の言うことをいちいちうなずいて、逆らうことをしない。 俺はいちいち先生の言われること、なさることを『もっともだ』と思うこともあるが何を言っているのかわからない時は、『何を言っておられるかわかりません。』とはっきり言う! 時には先生に対して食ってかかる時もある。 『一を聞いて十を知る』なんて、そんな器用な真似はできん。 特に先生の前でいい子ぶりっ子している貴様のまねなど見習えぬわ! 俺は子路であって、顔回じゃないんだ、覚えておけ!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート159」だ。
諸君、ここは子路(しろ)と顔回(がんかい)のいる学而の間であります。
顔回が子路と神北(かんぺき)の礼に欠ける振る舞いに対して、「存念やいかに?」と問うたところからですよ!
子路つり上がったまなこを大きく見開き顔回のまなこを直視してい曰く「回(かい)! 俺は先生に『回を見習え、回を見習え』と言われ続けているんだぞ! 俺は貴様より二十一歳も年上なんだぜ。 出来たお前であっても俺の立場であれば後輩の貴様を見習えと言われれば面白くないのは当たり前だろう。 俺は先生を共に苦労してきた同志だと思っているんだ。 そして俺は先生のためなら命も惜しくない! 貴様にも俺の気持ちはわかるはずだ。 先生は、お前を我が子以上に可愛くてしょうがないのは、俺はわかっているつもりだ。 回は先生の言うことをいちいちうなずいて、逆らうことをしない。 俺はいちいち先生の言われること、なさることを『もっともだ』と思うこともあるが何を言っているのかわからない時は、『何を言っておられるかわかりません。』とはっきり言う! 時には先生に対して食ってかかる時もある。 『一を聞いて十を知る』なんて、そんな器用な真似はできん。 特に先生の前でいい子ぶりっ子している貴様のまねなど見習えぬわ! 俺は子路であって、顔回じゃないんだ、覚えておけ!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年6月30日水曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート158
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート158」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
子貢(しこう)に釈明したいけど言えないもどかしさをこらえて神北(かんぺき)曰く、「子貢さん、私はどんな約束事にせよ、いったんそれを受け約束を交わした以上、その約束を遵守(じゅんしゅ)するということを旨としております。 これ以上は私の口からはお答え出来かねます。 どうぞ御容赦下さい!」
子貢曰く、「わかりました。 それ以上このことに関しては君に聞くのはやめましょう。」
神北曰く、「御恩情痛み入ります。」
子貢曰く、「神北君、子路(しろ)先輩と回(かい)さんをかなり待たせています。 回さんのチャレンジ成功祝いと験(げん)直しを兼ねて一緒に一杯やりましょうよ!」
神北曰く、「はい、そうですね。 お二人がお待ちかねでしょう! では遠慮なくお邪魔させて頂きます。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート158」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
子貢(しこう)に釈明したいけど言えないもどかしさをこらえて神北(かんぺき)曰く、「子貢さん、私はどんな約束事にせよ、いったんそれを受け約束を交わした以上、その約束を遵守(じゅんしゅ)するということを旨としております。 これ以上は私の口からはお答え出来かねます。 どうぞ御容赦下さい!」
子貢曰く、「わかりました。 それ以上このことに関しては君に聞くのはやめましょう。」
神北曰く、「御恩情痛み入ります。」
子貢曰く、「神北君、子路(しろ)先輩と回(かい)さんをかなり待たせています。 回さんのチャレンジ成功祝いと験(げん)直しを兼ねて一緒に一杯やりましょうよ!」
神北曰く、「はい、そうですね。 お二人がお待ちかねでしょう! では遠慮なくお邪魔させて頂きます。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年6月29日火曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート157
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート157」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
先進の間で神北(かんぺき)は子貢(しこう)に「事の真相やいかに」と詰め寄られ、同じく学而の間で発端をつくった子路(しろ)に顔回(がんかい)がガチンコで「真意やいかに」と詰め寄った。
本音で語りあえる対話処 居酒屋「ざ・論民」で繰り広げられる人間模様であります。
改めてここは子貢と神北のいる先進の間であります。
神北沈黙を破って曰く、「子貢さん、数々の御無礼お許し下さい!」と深々と頭(こうべ)を下げた。
子貢曰く、「神北君、私は理由のないのに君に頭を下げられても却って不自然じゃありませんか? 私はこの度の回(かい)さんに対する子路先輩や神北君、そして門人門下生の無礼、不敬、不遜ならびに孔家の門人に対してあるまじき礼を逸した振る舞いは、孔子先生の仁を志す者として最も嫌うことで恥とすることですよ。」
神北平身低頭して曰く、「子貢さんのおっしゃる通りです。 面目(めんぼく)ありません。」
子貢曰く、「神北君、私は君に何度も頭を下げ謝られても、これは私自身が直接受けた当事者ではないんです。 許しを乞われるのなら回さんに対してですよね。 しかし、 あなたも子路先輩に止められているのか、義理立てしているのか? 事の真相を言えない理由があるのでしょうから、今ここで君に問い詰めるのはやめにします。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート157」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
先進の間で神北(かんぺき)は子貢(しこう)に「事の真相やいかに」と詰め寄られ、同じく学而の間で発端をつくった子路(しろ)に顔回(がんかい)がガチンコで「真意やいかに」と詰め寄った。
本音で語りあえる対話処 居酒屋「ざ・論民」で繰り広げられる人間模様であります。
改めてここは子貢と神北のいる先進の間であります。
神北沈黙を破って曰く、「子貢さん、数々の御無礼お許し下さい!」と深々と頭(こうべ)を下げた。
子貢曰く、「神北君、私は理由のないのに君に頭を下げられても却って不自然じゃありませんか? 私はこの度の回(かい)さんに対する子路先輩や神北君、そして門人門下生の無礼、不敬、不遜ならびに孔家の門人に対してあるまじき礼を逸した振る舞いは、孔子先生の仁を志す者として最も嫌うことで恥とすることですよ。」
神北平身低頭して曰く、「子貢さんのおっしゃる通りです。 面目(めんぼく)ありません。」
子貢曰く、「神北君、私は君に何度も頭を下げ謝られても、これは私自身が直接受けた当事者ではないんです。 許しを乞われるのなら回さんに対してですよね。 しかし、 あなたも子路先輩に止められているのか、義理立てしているのか? 事の真相を言えない理由があるのでしょうから、今ここで君に問い詰めるのはやめにします。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年6月28日月曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート156
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート156」だ。
ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。
顔回(がんかい)曰く、「では、正々堂々たる子路(しろ)先輩に折り入ってお聞きしたいことがあるんですが、よろしいですか?」の続きからです。
子路曰く、「ああ、言いたいことがあれば言ってみろ!」
顔回曰く、「子路先輩、言いたいことではありません。 聞きたいことがあるんです。」
子路曰く、「どっちも似たようなものだ。 聞きたいことがあったら言えよ!」
顔回曰く、「先輩の写真嫌いの理由(わけ)は後ほどうかがいます。 先輩と神北君はこのところ私が挨拶しても無視されるだけで口もきいてくれませんでしたね。 それに他の門人門下生も私を無視するようになりました。 孔家は礼と義を特に重んじます。 ましてや礼の基本である挨拶をすることは門人であれば誰もがわきまえていることです。 私について言いたいことがあれば面と向かっておっしゃって下さい。 先輩は孔家を代表する古参で先輩の言行は影響力があります。 私にとって先輩は実の兄同様、それ以上の方です。 先輩の率直な忠告であれば実の兄の言葉として謙虚にお聞きしたい。 ぜひ先輩の存念をはっきりと先輩のお言葉でお聞かせ下さい!!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート156」だ。
ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。
顔回(がんかい)曰く、「では、正々堂々たる子路(しろ)先輩に折り入ってお聞きしたいことがあるんですが、よろしいですか?」の続きからです。
子路曰く、「ああ、言いたいことがあれば言ってみろ!」
顔回曰く、「子路先輩、言いたいことではありません。 聞きたいことがあるんです。」
子路曰く、「どっちも似たようなものだ。 聞きたいことがあったら言えよ!」
顔回曰く、「先輩の写真嫌いの理由(わけ)は後ほどうかがいます。 先輩と神北君はこのところ私が挨拶しても無視されるだけで口もきいてくれませんでしたね。 それに他の門人門下生も私を無視するようになりました。 孔家は礼と義を特に重んじます。 ましてや礼の基本である挨拶をすることは門人であれば誰もがわきまえていることです。 私について言いたいことがあれば面と向かっておっしゃって下さい。 先輩は孔家を代表する古参で先輩の言行は影響力があります。 私にとって先輩は実の兄同様、それ以上の方です。 先輩の率直な忠告であれば実の兄の言葉として謙虚にお聞きしたい。 ぜひ先輩の存念をはっきりと先輩のお言葉でお聞かせ下さい!!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
2010年6月27日日曜日
論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート155
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート155」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
子貢(しこう)曰く、「回(かい)さんが『子貢君、ありがとう! では、君のご厚意に甘えてそうさせて頂くことにするよ。』と快く受けてくれたんだ。」
神北(かんぺき)曰く、「・・・」 うなだれたまま無言。
子貢曰く、「『それでは回さん、居酒屋「ざ・論民」をご存じですね!』 いつもの回さんの笑顔でうなずいた。 『そこの2階でPM7:00に待ち合わせしませんか? もし私が遅れるようでしたら先に飲んでいてかまいませんから! 勘定は私に任せて下さい! 時間に間に合うように急いで行きますから、待っていて下さいな!』ということで只今こうして、神北君と私がここにいる次第ですよ。 まさか隣どうしで来ていることなど予想だにしてはいなかったんですよ。 もっと驚いたことにあの回さんがピッチャーの一気飲みにチャレンジするハプニングが起こるとは青天の霹靂でした。 神北君、君もそう思ったでしょ。」
神北曰く、「・・・」 変わらずうなだれたまま無言。
子貢曰く、「神北君、どうしたんですか? 体の具合でも悪いんですか?」
神北曰く、「・・・」 無言。
子貢曰く、「先ほど君は大声で回さんのチャレンジにエールを送っていましたね。 どうしたんですか?口でもきけなくなったんですか? それとも言いたくないことがあるんですか? どんな理由であれお互い縁あって孔家同門の弟子になったのですから事の真相を正直に話してはくれませんか! 神北君、君と私は同志じゃないですか!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート155」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
子貢(しこう)曰く、「回(かい)さんが『子貢君、ありがとう! では、君のご厚意に甘えてそうさせて頂くことにするよ。』と快く受けてくれたんだ。」
神北(かんぺき)曰く、「・・・」 うなだれたまま無言。
子貢曰く、「『それでは回さん、居酒屋「ざ・論民」をご存じですね!』 いつもの回さんの笑顔でうなずいた。 『そこの2階でPM7:00に待ち合わせしませんか? もし私が遅れるようでしたら先に飲んでいてかまいませんから! 勘定は私に任せて下さい! 時間に間に合うように急いで行きますから、待っていて下さいな!』ということで只今こうして、神北君と私がここにいる次第ですよ。 まさか隣どうしで来ていることなど予想だにしてはいなかったんですよ。 もっと驚いたことにあの回さんがピッチャーの一気飲みにチャレンジするハプニングが起こるとは青天の霹靂でした。 神北君、君もそう思ったでしょ。」
神北曰く、「・・・」 変わらずうなだれたまま無言。
子貢曰く、「神北君、どうしたんですか? 体の具合でも悪いんですか?」
神北曰く、「・・・」 無言。
子貢曰く、「先ほど君は大声で回さんのチャレンジにエールを送っていましたね。 どうしたんですか?口でもきけなくなったんですか? それとも言いたくないことがあるんですか? どんな理由であれお互い縁あって孔家同門の弟子になったのですから事の真相を正直に話してはくれませんか! 神北君、君と私は同志じゃないですか!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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