2010年3月20日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート56

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート56
」だ。

諸君、顔回(がんかい)との約束の時間であるPM7:00を過ぎて、子貢(しこう)、いまだ孔子先生と書院の間におります。

子貢すっかり約束の時間を忘れているかのようであります。

子貢曰く、「先生、二つほど御教授をお願いできますか?」

子曰く、「子貢よ、旅の疲れもあると言うのに、元気だね!」

子貢曰く、「はい、おかげさまで、すこぶる元気であります!」

子曰く、「そうか、それはよかった。 ありがたいことだな! まぁ~子貢が良ければせっかくの機会だ、遠慮はいらない。 なんなりと言ってごらんなさい。」

子貢問うて曰く、「一言にもって終身これを行なうべきものありや。」

子曰く、「それ恕(じょ)か。 おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ。

子貢問うて曰く、「先生、この一言なら、人生哲学とするに十分に足りうる、また、生涯を信条とする一貫した言葉はありますか?」

子答えて曰く、「私であるならまず第一は恕(じょ)だ。 人を自分の如く思いやることだ。 情味をもって人に接すること。つまり他人の心をもって自分の心とすることだ。 人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ。」

子貢曰く、「御教授、ありがとうございます。 至らぬ私ですが、心に刻んで精一杯努力いたします。」

の物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月19日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート55

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート55」だ。

子貢(しこう)、仁をなさんことを問う。 子曰く、「工そのことをよくせんと欲せば、必ずまずその器を利にす。 この邦(くに)に居るや、その大夫の賢者に事(つか)え、その仁者を友とす。」とある。

「子貢(しこう)よ、うでの良い大工はいい仕事をするために、大工道具の手入れに余念がない。  決して使いっぱなしにして、粗末にはしないものだ。  まずノミやカンナを砥ぎ、いつでも自らの手のごとく使えるようにすることだ。  腕の良い大工と手入れの良い大工道具の例えのごとく人間の身と言い、心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きゆくための一切方便を行なわんがための命の要具なんだよ。  ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能の完全なる発現を促進するぞと決心することだ。  そして、どこに行ってもこれはと思う良師に学び、仁徳のある志士を友人に選びなさい。」


子貢曰く、「はい、至らぬ私ですが、精一杯努力いたします。」

諸君、ところは変わって、居酒屋「ざ・論民」であります。


顔回(がんかい)曰く、「これ、亭主、連れももうすぐ来る。 二階で待たせてもらいたい!」

「はぁ、二階は、履物(はきもの)を脱いでもらいますが!」

「それはかまわぬ、他の客と顔を合わせぬ部屋はないのか?」

「へえ、パーテーションで間仕切りした小部屋がありますが、そこでよろしいでしょうか?」

「ああ、そこにしてくれ!」

「へぇ~い、かしこかしこまりました。 では、お二階へどうぞ!」

「お気に入りのナンバーの下駄箱に入れて下足ふだをお持ち下さい。」

顔回、「“こ”の一番」の下駄箱に入れ、下足ふだを取り、そそくさと二階のパーテーションで間仕切られた小部屋に入った。
掘りごたつ式になったテーブル座敷に座り、ため息ひとつ大きくついた。

その後は身じろぎもせず、なにやら物思いにふけっているかのようだ。
そしてブツブツと一人ごとをはいた。


「僕も先輩のおごりなら喜んで一杯飲みたいし、おいしいもの食べたいんだ。 何故、子路先輩は、僕だけ宴会に呼んでくれなかったんだろうか?」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月18日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート54

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート54」だ。

諸君、一昨日よりの孔子先生、書院の間での先生と子路(しろ)と子貢(しこう)との会話のやりとりと昨日の顔回(がんかい)のいる居酒屋「ざ・論民」で店の亭主と会話のやりとりがありましたな。
多少の時間差はあれど同時進行で進んでおりますよ。

子曰く、「子路よ、学びたい者の妨げをしてはいけないよ!」

子路曰く、「先生、何のことですか? おっしゃっていることがわかりません。」

子曰く、「子路よ、神北(かんぺき)を授業に出させなさい。 子路が講義を受けない日は、神北も受けていない! 神北に講義を積極的(せきぎょくてき)に受けるように私からのことづけだと子路から必ず伝えてくれ! いいな!」

子路曰く、「はい、申し訳ありません。 私も真面目に講義に出させて頂きます!」

子曰く、「わかればいい! さあ、もうよいから帰りなさい! 明日の講義はサボるな!」

「はい、先生、お先に失礼します。」

子路、師の前に背筋を伸ばして凛として立ち、静かに一歩さがる。
そして、ふかぶかと一礼してくるっと向きを変えた。
子貢を一瞥(いちべつ)してニヤッと笑って出て行った。

子曰く、「子貢、待たせたな!」

子貢曰く、「いいえ、先生、子路先輩、また何かしでかしたんですか?」

「いやいやそうではないが、門弟になりたての神北と学び舎(まなびや)には来ているようだが、授業を二人してサボタージュするので注意をしていたところだ。」

「ああ、そうでしたか。 先輩も困ったものですね!」

子曰く、「それはさておき、子貢も疲れたであろう。 今日は早く帰って休むがよかろう!」

子貢曰く、「ありがとうございます。 先生一つお聞きしたいことがありますが?」

子曰く、「何だね?」

子貢曰く、「先生、先ほどの志士仁人(ししじんじん)になるための『仁』を身につけるための心構えを是非教えて下さい!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月17日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート53

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート53」だ。


諸君、所は変わって、ここは居酒屋「ざ・論民」PM6:50であります。
待ち合わせの時間10分前に現われたのは、孔子門下生でエース顔回(がんかい)であります。

「いらっしゃいませ。 何名様ですか?」

「今は、私一人だ!」

「後から来られる方は何名様ですか?」

「後から来るのも一人だ! 悪いのか?」

「悪くございませんよ! ということはお客様は都合二名様ですね!」

「そうだ、二名だ! 人が二(に)と書いて、仁(じん)と読む! 私は仁者を志(こころざす)す者だ。 何故、人が一(いち)ではいかんのか? 君はわかるか?」

「お客様、そんなことはどうでもよろしいんですよ! 孔家の門人様ですね! 孔家の皆さんは、理屈っぽいですからね! 私は君子じゃありませんよ。 この店の亭主です! 経営者でオーナーですよ!」

「ああ、そうか、亭主もくどいな! 孔家門人はみな理屈っぽいのか?」

「そうですよ!」

「そうか、それは知らんかった。 私は初めてそのことを知ったぞ!」

「お客様、そんな大げさなもんじゃないでっしゃろう! ああ、そう言えば、一人だけ理屈っぽくない方がおりますね!」

「そうか、そうじゃないものが一人だけおるのか?」

「はい! 孔家の方で門人集めて大宴会された方がおりましてね! お勘定は全部その方が払ってくれたんですよ! 口は悪いですが、払いはきれい! 実に気前のいい方ですよ!」

「さて、亭主よ! その御人はどなたかな?」

「はあ、孔門一の弟子と自負されておられる子路(しろ)さんですよ!」

「何に! 亭主、子路だと言うのか? 何かの間違いではないのか?」

「はい、実に払いのいい方ですよ!」

「それは聞いておらん! 子路先輩が、ここで宴会をしたのか?」

「へぇ~さようで。 うちとこのお馴染みさんで御贔屓にしてくれておます!」

「そうか、亭主! いろいろ聞いてあいすまんな!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月16日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート52

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート52」だ。


諸君、「子曰く、志士仁人は生を求めてもって仁を害することなし。 身を殺してもって仁を成すことあり。」
これは本真(ほんま)の志士仁人(ししじんじん)は、「仁」を見棄ててまで生きようとはしない。
それどころか、「仁」を守るためには、あえて一命を投げ出すことも辞さないと述べているんだね。
一命を投げ出しても守りたい「仁」とは何だろうか?
孔子先生は、「仁」とは「人を愛することだ」とも答えている。
仁愛だね。

「愛する者を守るためなら一命を投げ出すことも辞さない。」という覚悟を持ちなさいということを言っておられるのだろう。
決して命を粗末にしろと言っているのではないですよ!
この志士仁人が孔子の門下生の目指す共通の目的であり、理想でもあるんだ。
つまり、志士仁人の人物になる、志士仁人の人格者になることが孔子塾で学ぶ第一意義であるんだ。

子曰く、「子貢(しこう)よ、入りたまえ!」

「失礼します!」

「子貢、改めて、お帰り! お役目ご苦労であった。」

「はい、ありがとうございます! これはこれは子路(しろ)先輩、お久しぶりでございます!」

「ああ、おまえまだ生きてたのか? しばらく顔を見かけなかったから、くたばっちまったかと思ったのによ! 残念だな!」

「子路先輩、相変わらず無愛想(ぶあいそう)なおっしゃり方ですね! 先輩もお変わりなく生きておられて安心しましたよ!」

子曰く、「おいおい! 孔家志士仁人たらんものがいがみ合いか?」

貢曰く、「先生、申し訳ありません。 以前子路先輩には、ずいぶんと可愛いがってもらいましたもので、ついジョークを言ってしまいました。 先輩、すいませんでした。」

子路曰く、「相変わらず口がへらねえやつだな! その口が災いを招くんだぜ。 先輩の忠告だ。 よく覚えておけよ!」

子曰く、「子路、そのへんでやめなさい!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月15日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート51

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート51」だ。

子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず

諸君、ここは孔子先生の書院の間であります。
孔子先生は子路(しろ)を呼び出し、何やら注意をあたえ、気づきをうながしているようです。
子曰く、「なあ、子路よ、おまえが門弟の中で最も古参で、先進の最年長であろうと、他のことはともかく、『仁』に関しては、先輩だろうが、私こと孔子先生だろうが、お釈迦様、キリスト様、天風先生だろうが、誰だろうが同志である。 遠慮はいらない。 また、遠慮があってはならない。 またこれを妨げてはいけない! わかるよな! 同志で同士の子路よ!」

子路、黙って先生の話を聞いていた。
そこへ来たのが子貢(しこう)である。
トントントン トントントン
「先生、子貢であります。 用向きが終わり、只今ここに帰参いたしました。」

「おお、子貢か、ご苦労であった。 今子路と話をしている。 もうすぐ終わる。 ちょっと、そこで待っていてくれたまえ!」

「はい、かしこまりました。」



子路問いて曰く、「いかなれば、これを士と謂(い)うべき。」

子曰く、「切切偲偲(せつせつしし)、恰恰如(いいじょ)たる、士と謂(い)うべし。 朋友とは切切偲偲、兄弟には恰恰たり。」


子路曰く、「先生が、私を同志で同士と言ってくれましたが、どういう人物が同志で同士の『士』でありますか? ぜひ先生の見解をお尋ねしたい!」

「子路よ、それはもっともな問いかけだ。 私は同志で同士の『士』とはこうとらえている。 真心のある、遠慮のない批判が出来る一方で、人に柔和に接することができる、これならば同志の志だ。 さらに友人に対しても真心のある遠慮ない批判を出し、親兄弟親族には柔和に接するならば同志で同士の『士』と言える! つまり志士のことだ!」


子路曰く、「ああ、はいそうでありますか。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月14日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート50

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート50」だ。

諸君、孔子先生は、良心いつわらぬこと(忠)と、他人への思いやり(恕じょ)とが人倫の根本であると述べておりますがね、私こと天風は、人倫の根本は、本心良心に基づく、忠と恕を兼ねた真心であると考えている。
この本心良心の真心で感じいった素直な心であるならば、自分にとっての最良の良師に出合うことができうる。
師もまた良弟子に出合う!
私はそう信念している。

生前それを聞いて、私は、「ハーッ、これだ、これだ」と思った。
私がちょうど、十三歳のときであった。
当時、贅沢(ぜいたく)三昧に暮らしていた私は、この物語が書いてある本を読んで、「これでは、いけないぞ!」と思った。
「今の境涯で、私がそのまま、いいわいいわで暮らしていることは、本当に罰当りだ。」と思った。
そうして、家をでる決心をしたのは、十五歳のときで、私は、「糞(クソ)! 男一匹、独立独歩だ。 親のお陰で、こんな暮らしをしていたって何になるか。 よし、飛び出してしまえ!」と思った。
それでも、今の時代と違って、いきなり飛び出すわけにはいかないので、「よし! 乱暴狼藉(ろうぜき)してやろう。 そして親に愛想をつかせてやれ!」と思い、もう手に余る乱暴をしてやった。
よく、織田信長のおおうつけの少年時代さながらであったなと思う。
そうして、手がつけられなくなったものだから、父祐興(すけおき)が、母テウの兄である、当時、農商務省の次官をしていた前田正名に相談したら、「友人の頭山満(とおやまみつる)のもとにやれ。」と言われた。
それがきっかけで、私は、頭山満先生のところへ、やられたのである。
そして、親のところを離れて、物好きと言えばそれまでだが、中年まで、満蒙で、自ら苦労に苦労を重ねた。
その苦労を喜びとして活きるような気持が出来てたことも、後年、病に冒された後に、自分自身をそのまま捨てない気になったことも、若いときにちょっと読んだ書物から受けたインスピレーションだと思う。


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風