2009年11月21日土曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート6」だ。

諸君、造物主は森羅万象の創造とともに、人間を創造しようと思われたときから、「真」「善」「美」を感じる心を与えてくだされたと考えていますよ。
何故かってかい? の続きからだね。
もし諸君が、ワンちゃんだったら、もし諸君が猫ちゃんだったら、こういうこと考えますかい?
もし諸君が、マグロだったら、もし諸君が、カツオやサンマだったらこういうこと考えますかい?


日本人はすしが好きだねえ~。
とくにマグロだね。
すしに欠かせないのがマグロだねえ~。
なになに、天風さんよ、何が言いたいんだい?


すしが食いたいのかい?
あの世では、すしが食えないのかい?


それとも死んで肉体がないのにハラがへるのかい?
もしかして、ガキ霊かい!
大丈夫、そんなんじゃありませんぜ、御安心下され!!
人間だけが、神様、仏様って思ったり考えたりするんですよ。
人間だけが、宇宙霊、造物主、創造主、宇宙根本主体、アラーの神、エホバ、キリスト、天照大御神、等々と名前をつけたんですよ。
人間だけが、宇宙を創造した存在の意志を客観的に感じることが出来るんです。
それは人間にだけ森羅万象を創造された存在を知りたいとする欲求が自ずと出て来るんです。
それは、宇宙創造の本質の力と創造の意志と創造の叡智がスピリッツ(霊魂)に組み込まれているからなんですよ。
つまり「真」「善」「美」を感じるスピリッツを持っていること。
これが私のよく言う「もう一人の本当の自分」である「真我」なんですよ。
本心良心というのは真我の心のあらわれでもあるんですよ。
人間だけがこの心を創造主より与えられたんですよ。
みんな持っている心なんです。
人間がこしらえたんじゃないから変わらない心なんです。
今日一日、真我とともにあらんことを



天意天風

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート5」だ。

いきなりだが、諸君は、美術館に行かれたことがあるでしょうか?
ない諸君も、絵画や彫刻などの美術作品を鑑賞されたことが一度や二度はあると思うがいかがでありましょうや。
日本も各地に美術館が増えましたな。
諸君の中に、海外に行かれて、ルーブルやエルミタージュ、プラド等などで、世界的に有名な美術画や彫刻芸術を鑑賞された方も大勢おられるでしょうよ。
諸君の是非はともかくとして、西洋絵画や彫刻の多くは旧(むかし)から女性の裸体を好んでモチーフにしているね。
もちろん男性もであるがね。
芸術家は私と同じく女性好きなのか?
スケベエなのか?
はたまた美しいものが好きなのか?
女性、男性の裸体の肉体美こそ、人間の究極の美であるとして、美をおいもとめ追求しているのか?
旧(むかし)も今も、芸術家の永遠の命題でしょう。
魂からくる強い欲求なのでしょう!
人間の肉体をデザインされた造物主、ま~創造主だね!!
神様でもいいですよ!
私の感じるところ、造物主は、森羅万象の創造とともに、人間を創造しようと思われたときから、真と善と美を感じる心をも与えてくだされたんだね。
何故かってかい?
この話はまた明日・・・
今日一日、真我とともにあらんことを



天意天風

2009年11月19日木曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート4」だ。

今日はこのテーマの中の「自分の器は自分でデザインする」の、「デザインする」にズームイン、クローズアップしてみよう。
自分の生き方、考え方が、心の器をつくると言いましたね。
諸君の存在は「世界に一つだけの花」だ。
世界中探してもかけがえのない一点ものなんだね!!
「デザインする」とは、一般的には、行おうとすることや作ろうとするものの形態について、機能や生産工程などを考えて構想することとされている。
諸君の好きなブランドバック、ブランドの時計やブランドファッション、車、化粧品などのある程度の生産性をシステム的にシステム化するものがデザインだ。
それが重要なブランドイメージになるね!
これはわかるかい?
ここでは「デザインする」を視点を変えて、視野を大きく広げて見てみよう。
人間を創造した存在はだれなんだ?
人間の肉体をデザインしたのはだれなんだろうね?
レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた円の中に入った人間の図画が描かれていることは知っているかね?
有名なものです。
人間デザインしたのは誰かってかい?
それはおれの父ちゃんと母ちゃんだよ!!
それもそうだが、その父ちゃんと母ちゃんをデザインしたのはだれだい?
禅問答になっちまうから、ここでやめておこう。
きりがないからな!

必ず結果として表れたことは、その前に原因があるんだね。
人間を最初に創造した存在があると考えた方が自然だね。
人間も自然物ですよ。
生前、私は、人間を創造しデザインした存在を、宇宙霊とか造物主とか宇宙根本主体とかよんで語っておりましたよ。
何が言いたいかってかい?
それはね、人それぞれ思ったり考えたりしていることは異なりますよ。
みんな一人一人全部違います。
それはそうでしょうよ。
むずかしい言い方をすると、観念の要素がみんな違うからなんです。
一人も同じ人はいないんです。
顔も体格も体質も違うでしょうよ。
みなそれぞれですよ。
ただし、人間には、誰しも「心」という共通のものがあるよね。
それは諸君も否定しないでしょうよ。
その誰しも持っている「心」は誰が造ったんだい?
また人体は、だれがデザインしたんだい?
牛のように胃袋が4つある人いるかい?
これは、ありがたいことにね、お陰様でね、心も体も人間がデザインしたんじゃないんですよ!
人間がデザインしたんじゃない!
「思うのも考えるのも自分の勝手だい」そう言われるでしょう。
その自分の勝手な思ったり考えたりする心を与えて下さったのが人間を創造した神と言っている第一原因者なんですよ。
へらず口がきけるようデザインしてくれたのも造物主という存在なんですよ。
そして、万人共通の心を造り、本心良心をデザインしてくれたんです。
そのお陰で、人間は、神が創造した中の最高級ブランドになったんですよ!!
そう、私がよく言っている「万物の霊長たる人間」なんですよ!!
そのように創造しデザインしてくれたんです。
この続きは、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年11月18日水曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート3」だ。

各種の様々なルールにのっとったスポーツやトレーニング、習い事、スポーツ以外でも幅広い分野で、それぞれの道の専門家や師匠について稽古をしている方々は大勢いらっしゃるでしょうよ。
「えー私は一日一善、利き酒ならぬ、飲み酒を毎日稽古してるんですよ!
酒に強くなる鍛錬をして見ようかと思いましてね!
ここ数十年、一日も欠かさず晩酌を訓練にしています。
ハイ!!」
諸君、これ自己陶冶と言えますかい?
自分の器は自分でデザインするって言っても優勝力士が飲む盃をつくっているんじゃないんだぜ!
勘違いするな!
こういうやつに限って理屈がふるっている。
「天風先生、お言葉かえすようですが、私しゃねえ、自慢じゃないけれど、毎日自己陶冶している訳はですね、酒は飲んでも、飲まれるな! 日常、毎日楽しい酒を飲んで、余計なことは飲んで忘れちまうんですよ! これが私の自己陶冶です! 先生も生前寝がけは余計なこと考えるな! 考えるなら明日起きてから考えろって言ってたじゃないですか! 先生の言われたとおりやらしてもらってます。」
おいおい、ま~ずいぶんと自己中御都合の陶冶だね~え!
諸君は、賢いから、おわかりになるでしょうよ。
これは、屁理屈であって、本来の自己陶冶ではありませんぞ。
よろしいですか?
ま~、いろんな新しいスポーツができましたね。
御存知でしょうか?
チャンバラも昨今はスポーツになっているね!
スポーツチャンバラといっている。
ビニールのふくらませた刀で、たたくのか切り合うのかするゲームスポーツなんですよ。
子供も大人も楽しめる。
大人なんかは子供の頃にかえって楽しんでいるそうな。
私の生まれたころは、ちょっと前まで、刀さしていて、往来していた時代ですよ。
刀は武士の魂でね。
剣の道は武士たるものの心得であり、日々、怠りなく、鍛錬するという忍耐道、精神修養道でありました。
習練は実践ですからな。
命の取り合いの覚悟での真剣の真剣な立ち合いですからね。
気なんか抜いたら、切られちまうし、殺されちまいますから!
スポーツ感覚で楽しむという気にはなれるもんじゃなかったですよ。
段平もって、動かない竹や、わら束や、むしろを切っているわけにゃいかない本当に真剣での命のとりあいが想定内でしたよ。
ただその覚悟はね、自然としいだま、つまり、きもったまが養われるんだね。
命がけの覚悟があれば、不思議とへそ下の丹田という心身の活力の源であるチャクラと呼んでいる気の集まるところにだねぇ、そこに一点集中して、ま~台風の目だね。
そこに、心身の気が集まってくる。
丹田を一点に定めて、有意承知で、気を練るんですよ。
気を練り上げていく訓練を怠らず、実践していくんです。
これは、剣道だけではなく、柔道、弓道、合気道、空手道などなど、あらゆる文武に仕事や生活に通じることです。
今さら言うことでもありませんが、現代人は、非常に気力が弱くなっているんですよ。
日々続けられることを生活に織り込んで、何か一つでも気の鍛錬になることをお勧めします。
「天風の生前の本を1日10分間、1年間続けて読んでみよう」でもかまいませんぞ。
元気になりますぞ!
これは良い本だ、常に持ち歩いて100回読んでみようでも、よろしい!!
まずは一つ決めてやってみることです。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風


段平 ― 幅の広い刀。

2009年11月17日火曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート2」だ。

一般的に、陶冶するとは、生まれついた性質や才能を鍛えて、自己を練り上げることの意味で使われている。
私も生前は常用した大切な言葉であった。

本日は「練る」ということをズームイン!クローズアップして話をしたい。
練るのであるが、粘土をねる、あんこをねる、うどんや粉物をねるなど、日常的に様々な用途で幅広く使われているね。
えっ、何が日常的か?
そうね、よく使っていますよ。
野球の練習、サッカーの練習、ゴルフの練習、スポーツに限らずいろいろな練習がありますね。
また「練修」という言葉もありますよ。
学問や技芸などを練り修めることの意味だそうですが、「修」は身を修めることなんですね。
「練る」という言葉は奥が深いですな。
「案を練る」「考えを練る」「アイデアを練る」「対策を練る」「精神を練る」等々「練る」とは、練ることによってのよりよき効果がある「産まれる」ということだね。
「練る」ことは、思考や行為で、何かを生み出そうと、作り出そうとしているんだね。
「練る」とは、考えて!考えて!考え抜け!
私は積極的に考え抜くことを練るとする一つの条件としている。
考えを練って!練って!練りまくる。
その過程でひょんなこと、フッとしたことで、いい案がわいてくるんですよ。
諸君もそんな経験あるでしょうよ。
諸君が、何をしていいかわからないときもあるでしょう。
どうしたらよいやら、途方に暮れることもあるでしょう。
しかし、必ずこれはといういい案、いい方策、真剣に求めれば出て来ると信じることです。
それから、自分がこれだと直感するまで、自分の関心がある、なしに関わらず、仕事の分野にこだわることなく、「心を練る」を感じる「お手本」を探すことです。
まず、これだという「お手本」を練習しまくってみる。
良いお手本の真似を徹底してみることですぞ。
この続きは明日・・・では
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年11月16日月曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート1」だ。

このテーマは、これからも何度も繰り返し話をしていきたいと決めている。
陶冶(とうや)とは、今どきは聞きなれない、使われなくなってきたね。
諸君も聞きなれない言葉であろうよ。
その意味は、陶器を作ること、鋳物を作ること。
また生まれついた性質や才能を鍛えて、自己を練り上げることの意味であるが、ここでは、「自己を陶冶する!」とは、自己の器づくりということだ。
私からすればとても素敵な響のある言葉だ。
自分の心の器を自分でデザインできるんだぜ。
まず、自分で心はデザイン出来るんだと知って下さい!!
いいですね!!
とても魅力的でとてもチャーミング、セクシーで、自分が欲しくなる、買いたくなるデザインにすることですぞ。
それには、自分で自分の人格も品格も含めて、生涯かけての、自分だけの生涯をかけた一生一作品、値打の高い一点ものをつくることを心がけることです。
自己の心の器づくりといってもいい。
そのためには、どんな器をつくるか、そのデザインや質、つまり、作ろうとするものの心の形態について、目的や用途や機能などの設計や図案、そして心の器の材料やその材質という性質、またその材質の適性を知る。
まずは、自己の素質や性格を客観的にとらえて、意識を階段の一段ずつでも高くして、視野を見えやすくすることだ。
それには、「視野を広げるぞ!!」と決心しなければ、いつまでたっても今のままで変わらないね。
そして、学んで知る努力がまず不可欠になる。
心は形に表れる。
心のデザインがよければ、形に表れるデザインもグッドということです。
諸君は、よき心の器づくりにとって、よりよきものは何か、何が大切かを積極的に知らねばならない。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月15日日曜日

双葉山定次、国技たる大相撲の真髄と醍醐味を訴える

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、国技たる大相撲の真髄と醍醐味を訴える ラスト」だ。

諸君、双葉山スター千一夜のゲストは、この回がラストであります。
大横綱の相撲を愛する故の切なる訴えである。
代弁するからよく聞いてくれたまえ。
相撲は、国内の争いごとを回避して、丸く納めることと、楽しむこと、そして、和平を積極的に意志してつくられた行事であったんだ。
平和や調和は、そうなるべく作為しなければつくりあげられないんだよ。
平和は、平和にしようと考えなければ、そうならないんですよ。
積極的に作為しないとね!!
横綱の土俵入りの際に、まわしに、注連縄(しめなわ)をまいて、型を披露するね。
丸い土俵は天を表わしている。
その回りの四方の土台は、地を表わしている。
天円地方ということ。
天は円!! 地は方!!
「天地にかけて、己の力のみで勝負するぞ。
武器は何一つ持っていないぞ。
よくごらんあれ。」
と雲竜型、不知火型などは、目に見える観衆だけではない日本国有の八百万の神である意識生命体にも向けられたものだ。
西洋のスポーツは、古代オリンピックのギリシャにあって、裸は同じであるが、武器一つを持って競いあう。
武器であるからして、殺し合いの道具だ。
円盤投げ、ハンマー投げ、砲丸投げ、槍投げ、投てき競技はみな、人を殺すためのものだ。
日本の大相撲は断然これとは異なるものだ。
大相撲は和をもって尊しとなす理念の下、日本国独自の平和の祭典である。
故に、その火を絶やしてはならない。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風