諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート140」だ。
子曰く、回やそれ庶(ちか)きか。 しばしば空し。 賜(し)は命(めい)を受けずして貨殖(かしょく)す。 億(おもんばか)れば、しばしば中(あた)る。
諸君、孔子先生は先進篇で「顔回(がんかい)の人格はほぼ完全に近い。」、つまり「人間が出来ている。」と語っている。
その証に「回(かい)は赤貧の中でも天命を楽しんでいるからだ。」と述べている。
かたや「子貢(しこう)は天命に甘んじないで、金もうけに浮身をやつしているがそれでも遠い見通しを誤るような人物ではない。」とも評価している。
また学而篇の中では、子貢をかなり評価もしている。
子貢曰く、貧にして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無くんば、如何(いかん)、と。 子曰く、可(か)なり。 未だ貧にして楽しみ富みて礼を好む者には若(し)かざるなり、と。 子貢曰く、詩(「詩経」)に云(い)う、切(せつ)するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如し、と。 其(そ)れ斯(これ)の謂(い)いなるか、と。 子曰く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言う可(べ)きのみ。諸(これ)(子貢)に往(おう)を告げて、来(らい)を知る者なり、と。
このことについて「論語と算盤」の書中に渋沢栄一翁がこのように解釈して述べている。
門人の子貢が老(孔子)先生におたずねした。
「貧乏であってもどんな術(て)を使ってでも物を求めようなどとはせず、金持ちになっても物力(ぶつりょく)で偉そうにしたりしない。 そういう生き方はいかがでしょうか」と。
すると老先生はこうお答えになった。
「まあまあというところだな。 貧しくとも人間の生き方を考えたり、豊かであっても世の道理を求めようとする者には及ばない」と。
子貢は〔物質の増加でなくて精神を鍛(きた)えることのほうが上と分かって〕こう申し上げた。
「詩(「詩経」)にあります、〈(石を)切るごと、磋(と)ぐ(研ぐ)ごと、琢(う)つ(打つ)ごと、磨(す)るごと(心をみがけ) 〉と。 それをおっしゃりたいのですね」と。
老先生はお褒めになられた。
「賜(し)君、(詩を使えるな。)分かっている君となら詩を談じあえる。 話を一度聞くと、その先のことが見える力がある」と。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート139」だ。
諸君、ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。
子路(しろ)、バイザー京華(きょうか)の制止を振り払い、チャレンジャー顔回(がんかい)の体面に鎮座して曰く、「回(かい)! もしお前が失敗しても安心しろ! お前のかたきは、この子路大先輩がとってくれるわ!」
無念無想の境地に入っているはずの顔回であったが、実は苦しくて白目になり、血の気が引いて顔色は青ざめ、酸欠状態で意識がもうろうとしていただけであった。
それでも無意識下で顔回の霊魂の固有性能の一つであるフロンティアスピリッツが働いていたのか、ピッチャーだけは口をつけたまま握って離さなかった。
顔回に向かって子路大声で曰く、「回! しっかりしろ、もう一息だ!」
顔回、子路の一喝がきいたのか、どんぐりまなこがまばたいた。
バイザー京華マイクを持って曰く、「チャレンジャー、回さん、かなり苦しい様子です。 完飲までもう少しです! もう少しが進みません! 回さん、私の手元にハワイ旅行の目録があります。 これですよ! 意識をしっかり持って気合を入れなおして下さいな!」
顔回、意識がもうろうとする中でバイザー京華の力強い励ましとハワイ旅行の目録という言葉に我を取り戻した。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート138」だ。
諸君、ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。
ついに子路(しろ)と子貢(しこう)、そして顔回(がんかい)が学而の間で御対面しましたな。
子貢曰く、「子路先輩! 店内放送で聞いて知っておられるでしょうが、今、回(かい)さんはチャンレンジ中です! 集中してますから邪魔しないでくださいよ!」
子路大声で曰く、「子貢、勘違いするな! 俺はチャレンジを邪魔しに来たんじゃないぞ。」
子貢大声で曰く、「じゃあ、何しに来たんですか? 先ほどから『チャレンジに失敗したら孔家一門の名折れ! 一門のメンツがたたんぞ! 失敗したら腹を切れ!』 大袈裟すぎますよ! 生ビールの一気飲みに失敗したくらいで、孔家のメンツはつぶれませんよ! 先輩、ただのお遊びですよ!」
子路大声で曰く、「何を言うか! このチャレンジは回の永年の夢だというじゃないか? あの回がそこまで思いつめているんだ! 俺は大先輩として回に何が何でも一気飲みに成功して初一念を貫徹してもらいたいんだ!」
子貢大声で曰く、「子路大先輩! そうむきにならないで下さいよ!」
バイザー京華(きょうか)マイクを持って曰く、「店内の皆様、早少女(さおとめ)京華です。お二人の会話お聞きになりましたか? 孔家の門人様でした。」
子路、子貢、同時に口をついて曰く、「おたふく、だまってろ!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート137」だ。
諸君、ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。
子路(しろ)が学而の間ののれんの手前で大声で「回(かい)!回! よく聞け! もうお前一人の失敗じゃ済まされないぞ! 孔家一門の名折れぞ! 成功しなければ、一門のメンツがたたんぞ! 貴様、失敗したら責任をとって直ちに腹を切れよ! いいな、回!」
これを聞いていたのは顔回(がんかい)本人ではなく、子貢(しこう)であった。
顔回は無念無想の境地に入っていたので周りのどんな悪口雑言罵声も声援も聞こえていなかった。
子貢、子路の怒鳴り声を聞いて心中でつぶやいて曰く、「子路先輩だぜ! ややこしいことになってきたな。 俺たちがここにいること、バレてたのか。」
バイザー京華(きょうか)マイクを持って曰く、「子路さん! 入って来ちゃダメ! ここは別のお客様の部屋よ!」
子路大声で曰く、「うるせぇ、おたふく。 生ビールの返礼の御礼の挨拶にまかりこしたんだ。 入るぞ!」
バイザー京華マイクを持って曰く、「店内のお客様、隣の先進の間のお客様のお一人が学而の間のイベント会場に乱入してまいりました。 孔家一門の方でチャレンジャーの方のお知り合いのようです。 『このチャレンジに失敗したら一門のメンツがたたぬ! 直ぐに腹を切れ!』と叫んでおります。 面白いことになってきましたね! こちらイベント会場より実況中継です。 お相手は早少女(さおとめ)京華です。」
子貢大声で曰く、「シロ、シロ、子路先輩どうしたんですか?」
子路大声で曰く、「落ち着け、子貢! 俺は犬じゃない! どうしたんですか? それは俺が言いたいセリフだぁ!」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート136」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
松下幸之助氏曰く、「子路(しろ) は一本とられたわけである。 もちろん、孔子は決して勇気というものを否定しているわけではない。 別の機会には、「仁者は必ず勇あり」ともいっているのである。 ただ、その勇気は一つの道というか正義に基づく大きな勇気であって、単なる向こう見ずの勇気ではない。 というより、そういったものは勇気とはいえないということだと思う。 実は私白身こういったことで人から教えを受けた経験がある。 事業を始めて数年たったころ、競争相手の会社が非常に無茶な安売り競争を始めた。 こちらも若かったから、『よし、こうなったら徹底的に安売り競争をやってやろう。 やる以上は絶対負けない』と考え、それをあるお坊さんに相談した。 そうするとその人は、『そりゃ面白いですな。 あなた一人だったら大いにやるのもいいでしょう。 しかし、今のあなたには大勢の社員もいるし、その人たちには家族もいる。 あなたは大将です。 この際ひとつやってやろうというのはいわば匹夫の勇でしょう。 大将は自分一個の怒りにかられて、そういう匹夫の勇をふるってはいけません』というのである。 それを聞いて、私もなるほどその通りだと考え直し、安売り競争に巻き込まれず、自分の是とする道を行き、結果的にはそれがお得意先の信用もまし、成功に結びついたのであった。 だから、指導者は勇気を持たなくてはいけないが、それは単なる匹夫の勇、無鉄砲な勇気であってはならない。 つねに何が正しいか、何をなすべきかということを考えつつ、その正しいこと、なすべきことを行なっていくについては、たとえ千万人といえどもわれ往かんというような真の勇気、大きな勇気を持つことが大切なのである。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート135」だ。
諸君、昨日の引き続きです。
孔子先生は、「子路(しろ)よ、素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡る無謀極まりない命知らずはごめんだね。 無鉄砲な行為だと気付かずに勇猛果敢であると錯覚している大バカ者だ。 自分だけ勝手に一人死ぬのはかまわぬが、約3万7500人もの三軍の兵を引きて犬死させる訳にはいかないのは論を待つまでもない! 己を知らず無茶をすることを勇気とするそんな者より臆病なほど有意注意を思慮深く、確実に勝つための成功率を上げていく、さりとて犠牲を最小限に食い止めるべく周到綿密な計画を立てる参謀の方が頼りになるよ!」と答えたんだね。
これと同じ「論語」を教訓とされて松下幸之助さんも指導者の条件としてこう述べられているね。
参考までに記載しよう。
「勇気を持つ」というタイトルで、サブタイトルに「指導者に必要なのは匹夫(ひっぷ)の勇でなく正義に立った大勇である」が付されている。
後はそのままを抜粋することにする。
「孔子がある時門弟たちと話をしていて、顔回(がんかい)という弟子の徳を非常に褒めた。 するとそれを聞いていた子路という武勇に優れた弟子が『それでは先生は軍隊を率いて戦おうと言う時、誰と一緒にいきますか』とたずねた。 暗に、『体の弱い顔回じゃだめでしょう。 私のような勇敢な者でないと』というつもりである。 ところが孔子は、「虎に素手で立ちむかったり、大河を徒(かち)で渡ったりして、まかりまちがえば命を捨てるような無鉄砲なことをする人間とは、私は行動を共にしない。 綿密に計画して、慎重にそれを遂行するような人間でなくてはだめだ。」と答えたという。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート134」だ。
諸君、子路(しろ)の横紙(よこがみ)を破るような無理をおしとおすところは、頑(かたく)なであるが、子路なりの信条があったんだね。
「論語」「述而(じゅつじ)篇」の中にこう述べている。
子、顔淵(がんえん)に謂(い)いて曰く、「これを用うれば行ない、これを舎(す)つれば蔵(かく)る。 ただ、われとなんじとこれあるかな」。 子路曰く、「子、三軍を行なわば、たれとともにせん」。 子曰く、「暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死して悔いなき者はわれともせず。 必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり」。
この対話の意味は、
孔子先生が顔淵(顔回)に向かって言った。
「一旦召(め)し抱(かか)えられ、役職に登用されれば、職務に全力を発揮するが、認められぬときはジッと時を待ち静観している。 こう言う境地に安住できるのは、孔家の中でも私と回ぐらいのものだろうな。」
これを聞いた子路は憤慨し、黙っていなかった。
「それならもし先生が大国のたとえばイギリスのネルソン提督や第二次世界大戦中、連合軍総司令官としてノルマンディー上陸作戦を指揮したアイゼンハワーや連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮した東郷平八郎元帥らの立場になられた場合は、どんな人物を頼りにしますか?」と孔子先生に問い詰めた。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風