2009年12月26日土曜日

善いことは徹底してまねる パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート8」だ。

諸君、昨日の話の引き続きです。
因(ちな)みに山岡鉄舟は、身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)という堂々とした大柄な体格なんだよ。
その当時では、見た目だけでも威圧感はすごかったんだろうね!!
今時でいやあ、プロレスラーか野球選手で元ジャイアンツの清原選手バリのガッチリした体格だったんだろうねえ。

「本物かね?」と聞くと、「真筆に間違いありません」と言い切る。
そこで、鉄舟は主人に「お前は山岡という人を知っているのか?」と言うと、「ええ、よく存じ上げていますとも」と当の本人の鉄舟を本人とも知らずに平然と言うので、実は俺が正真正銘の山岡だと言おうと思ったが、あまりにもその掛物の字が見事(みごと)なので、「ずいぶんうまく書けているね」と言うと、店の主人がこう言った。
「これは、山岡大先生の傑作中の傑作なんです。 実は故あってありがたいことに手に入りましたものです。 めったにない掘り出し物ですから、いかがですか、お求めになられては・・・」
「この山岡大先生のこの書軸は因(ちな)みにいくらだね?」と訊ねると、「本当は十両と申し上げたいのですが、今夜の初めてのお目が高いお客様ですから、清水の舞台から飛びおりたつもりで、喜んで半値の五両にさせていただきます。」と言う。
鉄舟は笑いをこらえてはいたが、あまりにも主人の堂々とした振る舞いに、こらえきれずに思わず「アハハハハー、アハハハハハー、アハハハハー。 実に愉快だ。 知らなかったこととは故、鉄舟の名をかたられるほど俺も有名になったものだ。 偽物とはいえ、ずいぶんと値打が出たものよ。 これ主人よ、山岡大先生の書軸とあれば、これは値打もの! 主人の言い値で求めてつかわすぞ」と即座にそれを買い求めたので、そのやりとりの一部始終を傍らで見ていた泥舟が、「よせよせ、全然覚えのない偽物なんか五両で買うなよ!」と鉄太郎をいさめるように言った。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月25日金曜日

善いことは徹底してまねる パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート7」だ。

諸君、日本橋の丸善に寄って、その帰りに、家内や家族に頼まれた銀座木村家のあんパンを箱に入れてもらって、もちろん買って帰る。
あんパンだけじゃなくジャムパンも好評だったね。
おつかいものにも大変喜ばれたんだね。
山岡鉄舟も木村家のあんパンが大好物で、毎日あんパン食っていたという逸話もあるくらいだ。
明治天皇の侍従をしていたおりに、天皇様に下下(しもじも)の巷(ちまた)の世間の話をしていたおりのことであろう?
「ありえる話だ」ぐらいに聞いて下され。
「山岡!下下(しもじも)で何か面白い話はないか? 巷で流行(はや)っているものはないか?」
「はっ!陛下におわされましては、御機嫌うるわしく存じ申し上げます!」
「山岡、内輪じゃ! もったいぶるな!」
「はっ、実は先ごろ銀座に和菓子と洋菓子を合わせた、あんパンと称する饅頭らしきものが大変な評判
であります。」
「ほ~そうか! その饅頭らしきあんパンと称するものを其方(そち)は食(しょく)したであるか?」
「はっ!食(しょく)してございます。」
「山岡、それはどうであった?」
「はっ、どうであったとは?」
「どんな味がしたかときいておる!」
「はっ、どんな味と申せば、食べてみなければ、わからない味かと」
「山岡、其方(そち)はうまかったのか?まずかったのか?どちらであるのか?正直に申せよ!」
「はっ、陛下、これがこたえられない美味でございます!」
「『ます!』とは引き続き食しておるのか?」
「はっ、御意にございます。」
「ほ~お、そうであるか。 朕(ちん)も一度食べてみたいものよのお~、山岡!」
「はっ、さっそく御意の通りにいたしまする。」
こんな会話のやりとりがあったかどうかわかりませんがね。
明治8年、明治天皇の水戸家の行幸(みゆき)の折、侍従山岡鉄舟より酒種桜あんパンが献上され、ご試食の栄を賜る。
天皇様もお気に召し、皇后様は特に愛され、引き続き上納の栄を賜ることになったそうな。
その山岡鉄舟と高橋泥舟の二人は泥舟の妹の英子の夫が鉄舟なもので、親戚でもあり、年齢もほぼ同じで、とにかく兄弟のように仲が良かったんだな。
「おう~、鉄太郎、どうだいたまには銀ぶらでもしようぜ!」
「おうよ!いいねぇ!でいにい、行こうぜ!」と
二人のいきが合って、夜店が出てにぎやかになってくる宵の口から、二人で銀座に繰り出した。
そのとき泥舟が一軒の古道具屋に掛けてあった軸物を指して、「おい、鉄太郎、貴様の筆だという掛軸が売りものに出てるぞ」というので、「そうか」と言って鉄舟がよく見ると、全然自分の書いた覚えのない字なので、「おい、その掛物は誰が書いたものかね」と古道具屋の主人に訊ねた。
ニヤニヤしながら「ここに添え書してあるとおり山岡鉄舟大先生の書かれたものです」とさもさも得意気に言うので、「本物かね?」と聞くと、間髪入れず「真筆(しんぴつ)に間違いありません」と自信たっぷりに言った。
諸君、面白くなってきただろう?
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月24日木曜日

善いことは徹底してまねる パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート6」だ。

諸君、昨日は内輪の実話!実話!週刊実話の裏話をしてしまった。
裏話を聞かされて興醒めされなかったであろうか?
なんとも、あの世とこの世のいりまじった複雑怪奇!否複雑快気!
あの世とこの世の不思議ファンタスティック、ファンタジックな話だろうね。
これからも十分あり得るので諸君の寛容な愛の心で受け入れて下さいな!
本日はクリスマス・イブでありますから、愛のある、あったかい気持で家族や恋人や友人とともにすごして下さいな!
一人ですごす方はロバート・ゼメキス監督の「クリスマス・キャロル」の映画でも見るもよし、山下達郎さん、稲垣潤一さんのクリスマスソングを聞くもよしですよ!!

前置きが長くなってしまったね。
昨日の続きだったね。
「天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには思い出があるんですよ。」の話からさせた頂くね。
私こと、天風は1876年(明治9)7月30日東京府豊島郡王子村(現 東京都北区王子)で父祐興(おきすけ)、母テウの三男として生まれたんだね。
本名は中村三郎です。
私の生まれる7~8年前には、丸善も木村家(屋)も開業していたんですよ!
「丸善」は明治2年(1869)、書籍、薬品を商う丸屋として出発し、その後多角的な商売を始めることとなった。
日本橋丸善は明治3年(1870年)3月にオープンしたんですな。
丸善の創業者は知る人ぞ知る、かくれた有名人である早矢仕有的(はやしゆうてき)氏である。
何故かくれた有名人であるのか?
日本全国的に知らない人はいないであろう、かの「ハヤシライス」の考案者なんですよ。
諸君は「ハヤシライス」食べたことありますかい?
あの「早矢仕(はやし)さんのライス」で、「ハヤシライス」となった。
知っている人は知っている、うそのような本当の話ですよ。
インターネットで検索すれば本当だとすぐわかりますよ。
同じく「銀座木村家」も明治2年に、木村安兵衛が東京芝日陰町に「文英堂」を開業したんだ。
開業が同じ明治2年だったんだね。
「文英堂」は明治3年に京橋区尾張町に移り、屋号を「木村家」と改称した。
明治7年に銀座四丁目に木村家の店舗がオープンしたんですな。
このときから、木村安兵衛が酒種あんぱんを考案し日本で初めて第一号のあんぱんが発売され産声をあげたんですよ。
「銀座木村家」の屋号の大看板を揮毫(きごう)したのが、天風が敬愛する山岡鉄舟先生なんですよ。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月23日水曜日

善いことは徹底してまねる パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート5」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」ということに関しての生前私の述べた逸話があります。
知っている方もおられるでしょうが、諸君のご参考になると思うので、話にアレンジとエピソードを加えながら述べていくことにする。
これは「真理のひびき」の中の箴言(しんげん)二十として書きおろしたものだ。
「模倣も極致に到達すると真実と同様になる 此の真理に則(のっと)って善いという事は極力 模倣に専念すべきである。」
この箴言にあった付随する逸話は、明治維新の直後、王政復古となったとき、ある宵、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が仲よしの高橋泥舟(たかはしでいしゅう)と銀座を連れだって散歩しているところから始まる。
二人とも知る人ぞ知る有名人であるので、通り一ぺんではあるが、辞典に記載されているプロフィールをご紹介しよう。

高橋泥舟先生が少し先輩であるので、高橋先生からご紹介する。
高橋泥舟(たかはしでいしゅう)(1835-1903)
幕末の幕臣。 名は政晃。
槍術に優れる。 講武所教授。
鳥羽伏見の戦い後は、恭順謹慎を唱え、徳川慶喜の身辺警固にあたった。
勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟といわれる。

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(1836-1888)
幕末・明治の政治家、剣術家。 江戸の人。
通称、鉄太郎。 千葉周作の門人、無刀流を創始。
戊辰戦争の時、勝海舟の使者として、勝と西郷隆盛の会談を周旋、江戸開城に尽力。
維新後、明治天皇の侍従となる。

今日(40年以上も前の生前の「今」のことです)と違って当時の銀座は、夜店といってもさまざまな品物を売る露店が今の京橋までの両側に、にぎやかにずらりとばかりに宵の口から夜更けまでも店を張っていたものである。
諸君は日本橋二丁目の高島屋百貨店まあ高島屋デパートは知っているよな。
マルに「高」の文字のマークのデパートですよ。
その高島屋の道路をはさんで向こう正面にある老舗の本屋があるんだ。
これもマルに「M」の文字のマークの本屋でね、丸善というんだがね。
すぐ京橋で銀座通りに面しているんだ。
今ね、私こと天風の話を代筆してくれている彼はお人好しだがかなり慎重なやつなんだな。
俺はね、俺っていうのは、生前の中村天風という名前の男が、この丸善で本を買ったことがある。
護国寺によく行ってましたからな、銀座ぐらいすぐ近くですからして、よく行きましたよ。
天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには想い出があるんですよ。
それで、俺は銀座木村家(屋)のアンパンが好きだと言ったら、こいつ「本当ですか? 何かの間違いじゃないですか」と言いやがる。
「先生は女好きとうかがっていますが? アンパンもお好きですか? ホーオ、ヘェー?」
アホヌカセ、食いものは食いものでも、食えねえ食いものと腹の足しになる食いものの違いがあらあーな。

平成二十年八月二十五日、降ってはやみ、やんでは降る雨の一日だったな。
「ご挨拶をかねて、一度くらいお墓参りに行ったほうがよろしいんじゃないですか」と友人に言われて、その気になって、友人二人と三人で連れだって来たんだ。
私の墓参りにな!
こいつ護国寺の本堂のうらの中村家の墓の前で、木村家(屋)のアンパンを人に買わせて、焼みそおむすびとお茶を持ってきやがった。
「天風先生の好物の木村家(屋)のアンパンです。 どうぞ遠慮しないで召し上がって下さい! お茶もどうぞ。」
持ってきたのはいいんだが、死んじまったんじゃ食えねえのをいいことに、「遠慮せずにどうぞ!どうぞ! ご一緒にどうぞ!」と言いながら「うまいうまい、木村家(屋)のアンパンはうまいですね!」と言いながら食っちまったんだな!
俺じゃねえよ。
代筆しているこやつがうまそうに、うれしそうに食ったんだ。
「天風先生、死人に口なし! そう言えば先生は死んでからも口は達者ですよね~。 死人に腹なしですかね~。 先生の代わりにおいしくいただきました。 ごちそうさま! 天風先生、本当に銀座木村家(屋)のアンパンが好きだったんですか? ヤマザキのアンパンじゃだめなんですか?」
平成二十一年十二月二十三日現在、「先生、この話、ブログにのせてもいいんですか?  先生の生前の知り合いの方々、まだまだ御存命ですから、うそだとしたら困っちゃいますよね!」
「なにをゴチャゴチャ言ってやがるんだ。 俺が好きだと言っているんだから好きなんだ、ごたくならべてねえで、そのままブログに書け!!」と言ってやったんだね。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月22日火曜日

善いことは徹底してまねる パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート4」だ。

諸君、このテーマのパート1で、「諸君の子供の頃の憧れの的は、憧れていたものは何でしたかね?」と諸君等に問いましたな。
憧れを抱くということは、憧れている存在のようになりたい! 憧れの存在に近づきたい!なれるような存在じゃなくとも夢や勇気や強さ、正義、誠や愛、理由(わけ)は、わかんないけどワクワクしてくる、何故か心引かれる。
白黒テレビの時代から始まった「鉄腕アトム」「鉄人28号」。
カラーテレビに変わったカラーアニメ「機動戦士ガンダム」、毛色の一風変わったところで「ゲゲゲの鬼太郎」、映画アニメ「宇宙戦艦ヤマト」などなど、いろいろあるね。
人の情味をよく表現している映画「ALWAYS三丁目の夕日」は昭和三十年代の東京を舞台にした東京タワーがだんだんに立ち上がっていくところに高度経済成長をあらわしているとともに「月光仮面」に代表される勧善懲悪マンガや劇画がはやっていたね。
今でも人気があるのかな?
女の子には「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」、ちょっと前までは「美少女戦士セーラームーン」などなど人気があったね。
もちろん「ディズニーアニメ映画」や「スタジオジブ
リ映画」も人気だね。
劇画では「五人組の勇士戦士が活躍する戦隊ヒーローもの」「仮面ライダーシリーズ」「ウルトラマンシリーズ」などなど、今も人気がおとろえないね。
昨今は、大人買いというのかな、子供の頃、欲しかったけれど買えなかった、買ってもらえなかったおもちゃなどを、金を稼ぐようになって子供の頃の満たせない欲求を満たすために買っているね。
鉄道のミニチュアや自動車のミニチュアが欲しくてしょうがなかったが、生活がやっとでそんなもの買ってもらえる境遇じゃなかった。
そんな子供時代の満たされない衝動に駆られて、収集狂のコレクトマニアになっている方もいるよな。
いい意味でとらえれば、子供の頃の潜在意識に刻印された強い憧れのイメージの欲求がそうさせているんだね。
別にアニメに限らず「青春のアイドル」や「芸能スター」や「伝記の偉人」も憧れの的にあたるでしょうな。
とにかく、憧れの的は時代の変遷によってその価値観も対象も変わるでしょうが、その中に流れている夢や大志、希望、愛の心、誠の心、正義、友情、恋する心、未知なるものへの冒険心、そして恐れずに立ち向かう勇気、自信を持つこと、やりとおす信念などなどのコンセプトは、変わっていない。
変わらない。
そのことをわかりやすくはっきり表現してくれる、または、なりたい自分を演じてくれるヒーローやヒロインに憧れをもったんですね。
幼い子供心に、お母さんに読んでもらった絵本の中の童話の世界に出てくる「おとぎ話」や「日本むかし話」や「世界の寓話」の中のいましめや教訓がいつまでも忘れられずに心に残っているんですな。

「憧れ」という文字は「童」(わらべ)の「心」と書いて「憧」(あこが)れなんですな!
天風がいう「憧れ」とはね。
幼子(おさなご)の心でいる状態が「憧れ」なんだな。
成長して大人になってもいつまでも忘れないで、捨てないで抱いていたい「憧れの心」は、いつまでも若々しくいられる秘訣でもあるんですぜ。
知ってましたか諸君?
いくつになっても、「憧れの心」の状態は不思議と細胞が生き生きと活性化するんですぞ。
私、天風が言うところの「幼子(おさなご)にかえる。」「童心にかえる。」とは、

「忘れてしまった憧れの心とともに、『無邪気な素直な心』『純真な心』に立ち返ってみようよ。
立ち返って、今一度、諸君の人生に対する考え方思い方を振り返り、自己省察して見直してみる。」

ということだ。
「素直な心」、「純真な心」こそ「本然の自性」、あるがままであるからなんですよ。
本日はこれまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月21日月曜日

善いことは徹底してまねる パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート3」だ。

諸君、昨日の引き続きですな。
「何故、目を半分開いているんですか?」の疑問についての天風なりの返答をしよう。
修養が進み、菩薩の心境境地にある状態は、「本然の自性」がそのままあらわれた状態なんだ。
自分の自我に偏見や執着、雑念、妄念、邪念もちろん悪念がある状態じゃないんだ。
一切の曇りがない、澄みわたった心境に他ならないんだ。
本来の自己、霊魂そのまんまの本然の自性がはっきり煥発されたものが「あるがまま」というんだよ。
一切の衆生はみな我と同じ。
またその理(ことわり)そのままが当然の自然のあるがままだから、そんなことすら考えも無い「空」の心の状態だね。
その心境の状態は自ずとある兆候や現象が出てくるんですよ。
本当の人間の本体はね、肉体でもまた心でもないんですよ。
人間の本体はね、絶対の不変にして不朽・不滅なる霊魂なんですな。
信じても、信じなくともけっこうですよ。
信じる信じないに関わらず、これは人間真理なんですな。
人間の心が理屈抜きの菩薩の境地であると、霊魂の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光」が発露すんですよ。
この「光」は、この世に在る唯一(ただひとつ)の絶対たる造物主(宇宙霊、神、仏etc.)が、人間の霊魂の中に与えられた造物主の慈悲の光の一雫(ひとしずく)が、輝くように内面から溢れ出てくるんですよ。
勝手に光がもれ出てくる。
肉眼で、この世の外界の光を見ているんじゃないんだよ。
心眼で見ているため自己の内面より光り輝く慈悲の光が、目を閉じていても真昼の太陽の陽の光のようにあふれ出て来るから、まぶしすぎて目を閉じていられないんだな。
そのため目を半分開いているんだ。
その半眼から、慈悲の光が溢れ出ているんですよ。
これも、修養が進むと、諸君らも目を閉じていても、光が感得されることがあるかもしれないね。
これって心眼が開いてきている兆候だな。
これは、目の病(やまい)じゃないですよ。
心が洗われて、曇りが払拭して、取り除かれて、お日様と青窓があらわれたんだね。
当然、心も肉体も内面から照らされ、明るくなるんですよ。
陽気が満ち満ちているんだね!
これを説明しようとすれば無理がある。
「筆舌(ひつぜつ)に尽くし難(がた)い」が、本当のところですよ!

私の観点からものを申すと、仏像の半眼は菩薩のその目から神仏の慈悲の光が溢れ出ている。
半眼の状態をとらえて、表現しているんですよ。
私はそのように感得しております。
日々菩薩の心境で過ごしたいものですな!
諸君、ままならないこの世でありますが、菩薩の心がけとして、その一端でも善きことは大いにまねていきましょうよ!
極論すれば天風の本物の究極のものまねは、菩薩の心境を丸ごとまねるということなんですよ。
以上でこの質疑の返答とさせて頂く。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月20日日曜日

善いことは徹底してまねる パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート2」だ。

諸君、今回のこのテーマの話にちょっとずれるところがあるかもしれませんのであらかじめご了承下さいな。
前回の「和顔平気パート4」でのご質問がありましたので、天風なりの解答と解釈をいたすことにする。

その質問は、
「アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。 その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。 そして目は静かに半眼に開いている。その顔が微笑みを浮かべたようにみえる。 『和顔』の最たるイメージだ。旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!」の話の中で、

「口角をほどよく上げることはよくわかります。 何故その仏像は目を半分開いているんですか?」という純粋な疑問の問い合わせでありました。

私に聞いて頂くより、作った方に聞いて頂くのが一番だろうが、そうもいかんでしょうから、私、天風の思うところでしたら、という条件付きで、述べたいと思うがいいでしょうかな?
「ま~よい」という御返答として話をさせていただきましょうかね!

私は生前に自分で木彫りの観音様を拵(こしら)えたことがあるんだね。
観世音菩薩の菩薩の心が好きでね。
それはね、生前にねえ、私ね、真理の在(あ)り様(よう)にいろいろと気づいてね、ま~その過程なんだがね、

救わないではいられないから救おうと。
見るに見かねちまうからね。
教えずにいられないから教えるんだという気持ちでやりだした。
そうするとね、救わずにはいられないから救おうと思ってやっても、救えない場合、教えずにいられないからと思って教えてもわからない人間がいると、もうどうにもたまらない悶(もだ)えを感じたもんだ。

「何を説いたらいいか、本当に難しいなあ、もう駄目だ。 いっくら努力して説いても、本当にうなずいてくれる人がいないなんて、ずいぶんだ。」って。

それが、いつとはなしに、今は『ただあるがまま』になったけど。
ただあるがまま、正しいこと言ってさえすりゃいい。
そうすれは、正しいことに共鳴した者がくっついてくるんだから。

救わずにいられないとか、教えずにいられないという心は、まだ『とらわれ』であります。
ただあるがまま。

これはね、仏教の『菩薩たる責務』というのをいっぺん読んでから、ああ、そうかと私、思った。
菩薩というのは大悟(だいご)達成、大事貫徹の人のことを言うんだが、諸君(あなた方)だって修養を貫徹してごらん。
救ってあげようと思わなくても、救っちまうから。
この人に教えてやろうと思わなくとも、わかっちまうから。
これは天風の生前の境地を述べたものですよ。
そのあるがままの境地を人々に一目見(ひとめみ)てわかるようにあらわしたものが、仏師の魂を持つ者達の手によって作られた仏や如来、観世音菩薩や各諸菩薩の似姿をあらわしている像と思う。
調和のとれたその姿は、ただただ美しい!
私はそう感じている。
話が長くなったので、この続きは明日させて頂くことにする。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風