2009年12月23日水曜日

善いことは徹底してまねる パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート5」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」ということに関しての生前私の述べた逸話があります。
知っている方もおられるでしょうが、諸君のご参考になると思うので、話にアレンジとエピソードを加えながら述べていくことにする。
これは「真理のひびき」の中の箴言(しんげん)二十として書きおろしたものだ。
「模倣も極致に到達すると真実と同様になる 此の真理に則(のっと)って善いという事は極力 模倣に専念すべきである。」
この箴言にあった付随する逸話は、明治維新の直後、王政復古となったとき、ある宵、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が仲よしの高橋泥舟(たかはしでいしゅう)と銀座を連れだって散歩しているところから始まる。
二人とも知る人ぞ知る有名人であるので、通り一ぺんではあるが、辞典に記載されているプロフィールをご紹介しよう。

高橋泥舟先生が少し先輩であるので、高橋先生からご紹介する。
高橋泥舟(たかはしでいしゅう)(1835-1903)
幕末の幕臣。 名は政晃。
槍術に優れる。 講武所教授。
鳥羽伏見の戦い後は、恭順謹慎を唱え、徳川慶喜の身辺警固にあたった。
勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟といわれる。

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(1836-1888)
幕末・明治の政治家、剣術家。 江戸の人。
通称、鉄太郎。 千葉周作の門人、無刀流を創始。
戊辰戦争の時、勝海舟の使者として、勝と西郷隆盛の会談を周旋、江戸開城に尽力。
維新後、明治天皇の侍従となる。

今日(40年以上も前の生前の「今」のことです)と違って当時の銀座は、夜店といってもさまざまな品物を売る露店が今の京橋までの両側に、にぎやかにずらりとばかりに宵の口から夜更けまでも店を張っていたものである。
諸君は日本橋二丁目の高島屋百貨店まあ高島屋デパートは知っているよな。
マルに「高」の文字のマークのデパートですよ。
その高島屋の道路をはさんで向こう正面にある老舗の本屋があるんだ。
これもマルに「M」の文字のマークの本屋でね、丸善というんだがね。
すぐ京橋で銀座通りに面しているんだ。
今ね、私こと天風の話を代筆してくれている彼はお人好しだがかなり慎重なやつなんだな。
俺はね、俺っていうのは、生前の中村天風という名前の男が、この丸善で本を買ったことがある。
護国寺によく行ってましたからな、銀座ぐらいすぐ近くですからして、よく行きましたよ。
天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには想い出があるんですよ。
それで、俺は銀座木村家(屋)のアンパンが好きだと言ったら、こいつ「本当ですか? 何かの間違いじゃないですか」と言いやがる。
「先生は女好きとうかがっていますが? アンパンもお好きですか? ホーオ、ヘェー?」
アホヌカセ、食いものは食いものでも、食えねえ食いものと腹の足しになる食いものの違いがあらあーな。

平成二十年八月二十五日、降ってはやみ、やんでは降る雨の一日だったな。
「ご挨拶をかねて、一度くらいお墓参りに行ったほうがよろしいんじゃないですか」と友人に言われて、その気になって、友人二人と三人で連れだって来たんだ。
私の墓参りにな!
こいつ護国寺の本堂のうらの中村家の墓の前で、木村家(屋)のアンパンを人に買わせて、焼みそおむすびとお茶を持ってきやがった。
「天風先生の好物の木村家(屋)のアンパンです。 どうぞ遠慮しないで召し上がって下さい! お茶もどうぞ。」
持ってきたのはいいんだが、死んじまったんじゃ食えねえのをいいことに、「遠慮せずにどうぞ!どうぞ! ご一緒にどうぞ!」と言いながら「うまいうまい、木村家(屋)のアンパンはうまいですね!」と言いながら食っちまったんだな!
俺じゃねえよ。
代筆しているこやつがうまそうに、うれしそうに食ったんだ。
「天風先生、死人に口なし! そう言えば先生は死んでからも口は達者ですよね~。 死人に腹なしですかね~。 先生の代わりにおいしくいただきました。 ごちそうさま! 天風先生、本当に銀座木村家(屋)のアンパンが好きだったんですか? ヤマザキのアンパンじゃだめなんですか?」
平成二十一年十二月二十三日現在、「先生、この話、ブログにのせてもいいんですか?  先生の生前の知り合いの方々、まだまだ御存命ですから、うそだとしたら困っちゃいますよね!」
「なにをゴチャゴチャ言ってやがるんだ。 俺が好きだと言っているんだから好きなんだ、ごたくならべてねえで、そのままブログに書け!!」と言ってやったんだね。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

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