2009年11月14日土曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート3」だ。

天風会会員のよしみもあって、スター千一夜のゲストである、彼の代弁をさせて頂こう。
双葉山いわく、大相撲は、日本古来の大和魂にもとづく「和をもって尊しとなす!」これを形に表わした、いわば、無形文化財であるという言い分である。
地方巡業は、各地元の神々と地元住民に対して、不遜不敬なきよう礼儀を尽くしての、顔見せであり、あいさつまわりである。
つまり、中央と地方との仲を取り持つ親善大使でもある。
今の角界は、その本来の相撲道の理念の自覚に欠けている。
何故今まで永きにわたって名勝負とともに長く続いてきたのかを改めて自覚することだ。
こちらから見ると大相撲の屋台骨はくさって、ボロボロだ。
このままでは、いずれ大相撲が過去の記録映画になって残るだけで消えてしまうぞ。
しっかりしてくれや!!
以上が彼が特に物申したいことだ。
相撲をこよなく愛するが故である熱い思いを伝えておこう。
本日はこれまで。
この続きは、また明日!!
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月13日金曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート2」だ。

双葉山が現役を引退して特に懇意にするようになったんだがね、ここで彼の代弁をしながら話をまとめてみよう。
大分から上京して新弟子として立浪部屋に入門する。
勝って勝って出世して「故郷へ錦を飾りたい。」
親戚や友人知人ならび地元の応援ひいきの衆の方々にこれまでになったんだと喜んでもらいたい。
大分を代表する力士になるんだと決めていた。
そんな折、風呂たきの番をしていて、親方の独り言を聞いた。
「あいつはいい体をしている。将来、必ず横綱になる。」
親方の言葉で俄然「俺は将来必ず横綱になる。」
これが、潜在意識にそのまんまインプレス(刻印)されたんだな。
とにかく勝つか負けるかの白黒はっきりした分かりやすい世界だ。
厳しい角界で勝ち抜いていくには、心技体、三つとも最強であらねば、横綱にはなれない。
不惜身命、強い心、磨き抜かれた技、よく稽古して鍛錬された体が資本だ。
彼の考える相撲道は、丸い土俵の中は、天と地を結ぶ聖域なんだ。
力士とは、天と地のド真中で裸一貫、廻し一つをしめ、己の心の力と技の力と体の力が勝負である。
大相撲は、世界のスポーツとは断然意味が違うんだ。
相撲は、天皇家の宮中の年中行事の一つである。
歴史と伝統と格式がある。
何故相撲が日本国の国技なのか。
その意義は、丸い土俵で、何一つ武器を持たず、持てるのはおのれの身体のみである。
勝っても負けても遺恨を残さず丸く納める。
全国各地の力自慢の代表を出す。
その代表が力士なんだ。
力士と力士のガチンコ勝負、どちらの地元の神々さんも、どちらが勝っても、ここは丸く納めようじゃござんせんか。
東方、西方、ぐるりのます席の御来場の相撲ファンの神様仏様、よろしいですね。
間もなく制限時間いっぱいになりますが、どちらが勝っても負けても丸く納めて文句なしで受けて下さいね!
ます席の地元力士応援、声援の神様方、よろしゅうござんすね!
と、何度も念を押して、日本の国の中で、各地の神が争うことなく、丸く納めて、調和をとっているのが相撲なんですよ。
いろいろ言い分はあるだろうが、相撲で丸く納めようぜ!!
これは勝ち負けだけのスポーツではありませんよ。
この続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月12日木曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート1」だ。

本日は生前、天風会会員、帰霊したのち六次元仏界に住らしている第三十五代横綱双葉山定次氏をスペシャルゲストにおよびしております。
本日のスター千一夜、司会はおなじみ元中村天風こと天意天風であります。
天風門下の会員のよしみもあって、久しぶりに昭和の大横綱の話を聞いてみたくなりましてな!
双葉山関の御霊とお話をさせて頂いた次第でありますよ。
互いに「相撲談議に花を咲かせましょう。」ということになりました。
但し、相撲は頂点を極めた双葉山だが、口のほうは余り達者でなかった大横綱だが、現今の相撲界および、平成に入ってから特にえげつない、金がらみ欲からみ、欲のつっぱりの相撲協会に物申したいということで、諸君、皆様、不肖天風が彼の代弁をすることとあいなった次第。
寛容な心で受けとめて、聞いてやって頂きたい。
よろしいか?
よろしいでござんすか?
まず、双葉山関といつも、今どきの人は、相撲関係者か相撲マニアの人なら知っておられるであろうか、ここで、略歴を簡単に紹介しよう。
それから、彼の物申したいことの代弁を私がいたしましょう。
よろしいかな。

双葉山定次。
本名あきよし。
未だ破られていない、双葉山69連勝。
全勝優勝連続5場所、幕内優勝12回などを記録。
年寄名は、時津風。
名門、時津風部屋だね。
日本相撲協会理事長を務める。
これが、簡単な彼のプロフィールだがね。
諸君、現行の相撲のルールで双葉山を比較し、正当な評価をくだしたならば、32回優勝の大鵬と同格か、それを抜いていた№1であろうと思う。
今のように、時代が異なるので相撲そのものが出来なかったこともあるんだ。
相撲の歴史上に残る大横綱であり、相撲道を極めた人格者でもあると言って過言ではありません。
明日は、彼の物申したい、申し上げたい真意を代弁して伝えたい。
乞うご期待あれ。
では、明日。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月11日水曜日

木を見て森を見ず! 森を見て木を見ず!

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「木を見て森を見ず! 森を見て木を見ず!」だ。

紅葉も見ごろを少し過ぎましたかね?
日本の紅葉は私にとっては言い知れぬ独特の風情を感じるね。
赤や黄の燃え立つような、深い色合いのグラディエーションとコントラストはなんともいえませんな。

諸君、「木を見て森を見ず!」こんなことわざあるの知ってますかい?
事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられないことのたとえです。
ではこれを180°正反対にとらえてみると・・・
「森を見て木を見ず!」
全体はとらえることが出来るが、森の中の一本一本の木々がどうなって、このような素敵な森を作っているのか?形成しているのか?の細部がとらえられない逆から見た勝手なたとえです。
富士山も晴れた日に遠くで見ると「ああ~いいねぇ、富士山は日本一だ。 富士山はやっぱり美しいねぇ・・・」
かたや、富士登山して、六合目七合目辺りを見渡せば、風も強く、大きな溶岩がゴロゴロ!!
岩肌は黒く焼けて、近くで見るとちっとも美しく見えない。
「来てみればさほどでもなし富士の山」だな。
でも同じ富士山なんだよな。
見る位置で、断然変わってしまうね!
どちらもありですよ。
見方、目の付けどころで見え方は当然変わります。
同じ紅葉(もみじ)ていったって、色々な木々があります。
色々な楓の木がありますよ。
一本一本の木はそれぞれ表情も異なります。
よ~く観察しないと、わかりません。
枝葉はどう付いて、どのように色づいていくのか?ね。
気を入れて真剣に観察すると、気づかなかった自然循環の生命の営みを垣間見たような気になります。
不思議です。
人生は所詮心一つの置きどころ、目の付けどころなんですよ。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月10日火曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート5」だ。
このシリーズはパート5でラスト
となります。

「凛として粛粛としてこれを慣らう。」
「凛(りん)」とは、態度などが、引き締まっているさま、りりしいさまのこと。
「粛粛」とは、静かなさま、厳かなさま。
「慣らう」は、「何度も繰り返して、それが習慣となるまで、慣れ親しむまで行修訓練する!」という意味です。

「よりよき積極的な器づくり、人間づくりを目指して、心を引き締めて、心静かに、かつ、厳かに、行修、修養してまいる所存である。」との心得であり、決意宣言だな。
ま~、あえていや、「この厳しい御時世に生きる!生き抜く!」ための一つの人生観でもあります。

以前にも述べさせて頂きました。
諸君の人生観の所信表明文をつくってみてはどうかと提案しました。
是非「自分らしく」でかまいませんので、自分の目的や戒めとして表現せられることをお勧めします。
何度も何度も繰り返し読むことによって、「自分らしく」に立ち帰ることができるでしょう。
さらに進化向上すべく、次の高いステップへ進まれるでしょう。
仕事にもよるでしょうが、働く環境が一段と厳しくなっておりますが、
「家族のために頑張っている。」
「何はともあれ会社存続のために頑張っている。」
ひいては、「直接お目にかかれないお客様や消費者の方々のために頑張って役立ちたい、喜んでもらいたい。」
何であれ、働くというのは、人間の生まれついた役目なんです。
どんな御身分になろうと、健康である限り、働かなくてはならないようにできています。
そうなっているんです。
理屈じゃござんせん。
「家族を食わせるために俺は嫌なんだけど、我慢して、今の仕事をやっているんだ。 そんな気持ちを家族はまったく理解してくれない。 やんなっちゃうよ!! 俺は犠牲者だ。」
こんなこと、もし考えているようなら、「働くということ!働けるということ!」、その本来の尊い意義を知らないんですよ。
まず「自分は誰かの犠牲になって働いているんだ」とする考え方自体が、極めて消極的な精神状態なんですから!!
これわかるでしょ。
働くということは、このこと自体が人間として、生まれた者に与えられた大きな恩恵であり、慈悲であり、使命でもあるんです。
只々、感謝せずにはいられません。
以上、「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!」を終わります。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月9日月曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート4」だ。

諸君は、どちらのスイッチをONしましたか?
どちらを選んでも諸君の人生です。
ただしね、知らないでいるか、知って分かっているかで、月とスッポンの違いがでてくるんですよ。
素直な人は、心の積極的スイッチにONした方がお得ですよ。
「確かにそちらがお得ね!」
最初はこんなノリでいいんです。
このスイッチの切り替えを「積極的に心機転換する」と呼んでいます。
人を愛する強い気持ちで立ち向かっているその姿は、積極的にスイッチをONしていて、そのモードにすでになっている状態ですね。

「礼をつくして、意志の疎通をはかることを怠りなく努める。」
あえて説明はいらないでしょうが、礼儀は人と人としてのコミュニケーションでありマナーです。
人間関係を抜きにして、仕事も生活も、生き甲斐も、へったくれもありません。
はやい話が、人間は一人では生きられないのですからね!
人間関係で成り立っているのが社会というものです。
当然です。
礼に失することなく、元気溌剌颯爽とした交人態度で臨んでいきましょう。
人と接する「交人態度」いかんで、人生を楽しくもするが、苦しくも辛くもします。
非常に大切です。
あらためて、お話することにしましょう。

「日々の仕事や生活の場は自己を陶冶する絶好の機会であり、行修訓練の場であるとして」
人生の時間は、やはり、仕事をしている時間、食事や生活の雑事一般、睡眠等でほとんどが費やされていますね。
諸君もたいがいの方はそうですよね。
では「何故、自己を陶冶しなければならないのか?」という疑問がでますね。
「陶冶」は、「生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げること」と辞典には、記されています。
ここでの「陶冶」の意味は、自己の心を積極的精神の心の陶器をつくること。
すなわち、人間の器(うつわ)づくりなんです。
これが「自己陶冶」の目的です。
潜在意識という言葉を聞いたことありますかい?
この潜在意識の型を積極的精神の器につくりかえるんです。
それには、日々(にちにち)の仕事や生活の中からが一番無理がなく、有効なんですよ。
よい土を丹念によく練り上げて、立派な陶器を焼きあげるんです。
人間の器づくりとは、尊い心の器、強い心の器、正しい心の器、清い心の器の陶器創りです。
この器が出来上がれば、自己を成長向上させるとともに、自己の内在の能力を発揮することが自ずと出来るんです。
「日々の生活習慣は第二の天性である」と、これまた心得て、積極的習慣になるまで繰り返し行っていくことです。
有意注意しながら工夫して仕事や生活におりこんで活かすことです。
続きはまた明日
今日一日、真我とともにあらんことを!!

天意天風

2009年11月8日日曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート3」だ。

昨日の引き続きです。
「虚心平気としてこれを愛念で受け」の「愛念で受け」からですね!
自分とって不測の事態、不利不運な出来事に際しても、驚愕せず、落胆せず、失望せず、逆境こそ心一つの踏ん張りどころと心得て、つとめて明るくする。
人生不運ばかりじゃない。
不運ばかりは来はしないんだ。
積極的精神のあるところ、必ず道が開けると信念して、立ち向かうんです。
「えらそうに、人事だから、勝手なことよく言うよ!」
「人のことならいざ知らず、自分のことはそう簡単単純にはいかないよ!」
そんな御意見御批判もおありでしょうよ。
しかしね、只今、おこってしまった結果ですぜ。
もうすでに自分の身に少なからず振りかかってきたものですよ。
諸君、このとき、諸君の口から「苦しい」「辛い」「逃げ出したい」「弱った」「困った」「参った」「助けてくれ」等々、こんな悲痛な叫びや大愚痴が出ていませんかいな?
諸君、愚痴はな、仏教の方では、「心を毒する三毒」の一つにあげられているんですよ。
「苦しい」「辛い」「逃げ出したい」「ダメだ」「無理だ」「出来ない」「無力だ」「弱った」「困った」「参った」「助けてくれ」等々は、自身の口から言葉にして言い続けると、その言霊は、自分の耳が一番先に聞いているんです。
いずれ全身に毒がまわっていきます。
この毒がまわるとね、物事を正しく認識したり、判断したりすることが出来なくなってくるんですぜ。
うっそ~。
本当ですよ。
自分で自分の首をしめているのと同じことなんですぜ。
この題目は別の機会に話しましょう。
さあ、諸君、「心のスイッチを明るく朗らかモード」に切り替えるがよろしいか?
はたまた、「暗く、じめっとしたモード」のままがいいのか?
どのみち、どちらかを選択しなきゃならないんです。
積極的心のスイッチにONするか、消極的心のスイッチにONするかです。
人を愛する強い気持ちで受けとめて、ここは踏ん張って、踏みとどまってくださいな!!
この続きは明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを!!
天意天風