諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート9 シメククリ」だ。
「必要とされている尊い貴重な存在であることを忘れるな」をテーマに述べさせて頂いた。
この回でこのテーマは一応のシメとさせて頂くことにした。
では、改めて、諸君、「初心(しょしん)忘るべからず」の成句も御存知でありましょう。
あえて説明するまでもありませんな。
何事もスタートが肝心だとも言えるということでありますね。
初めの一歩がどういう理想を描き、初心を忘れない、初心を失わない、しっかりと心にとどめおくために、自己存在理念を必要とするんですよ。
つまり「私は必要とされている尊い貴重な存在である」、この断定が存在理念にあたるんですよ。
え~え、これとても大切なんですよ。
この確固たる自己存在理念に基づき、理念の真意にズレることなく、理想を現実化する。
そのために、日々の正しい観念、つまり本心・良心に基づく思考でズレを修正していく、内省検討が必要不可欠になるんですよ。
これについてもいずれ逐次話をしていこうと考えております。
本心・良心に基づく正しい思考を、仏教の方では正思惟(しょうしゆい)と言っていますね。
その思考のもとに、具体的実践行為を作為する。
後は御実行でありますね。
理想を想像し、あるべく姿として、明瞭であれば、初一念その動機がいかに重要であるかは賢い諸君でありますから自明の理として、おわかりになられるはずであります。
ましてや人生の長途の旅路であれば、必ず何らかの目的がなくては行く先がないのと一緒ですよ。
そして、目的によっては諸君の人生観も変わってくるに違いないことでありましょうぞ。
ロケットの打ち上げ角度が1度でもズレれば、たどり着く先は、大きくズレてくるのは、必然であります。
軌道のズレを途中途中で気づけば脇道にそれたものを、本道に戻すこともできるが、初めから行く先が、誤って決まっている。
初動機がミステイクであった。
初一念から間違った立志、誤った計画、そのことすらまったく考えなかった無自覚観念からスタートしてしまった。
初一念のズレに、気づいたのであれば、当然目的地への軌道の修正は必要不可欠なはずだね。
とりかえしのつくうちにプログラムを一からやり直すか、白紙撤回して、一から出直すでしょうよ。
本心・良心にもとる行為でも、ズレていようといまいと、いまさらそんなことは、どうでもよいと思って突き進む方もいるだろうね!
また、今日一日刹那!刹那!「楽しければ、いいじゃん! いちいち言われる筋合いないもんね!」なんて方もいるだろうね!
その日その日のなりゆきまかせ風まかせ、風の流れるままに、行き当たりばったりのドリフターズ。
「どこへ向かっているのか皆目わからない。人生なんてそんなものよ!」と決めている方もいるだろうね!
人生の羅針盤を持たない漂流者ですな。
それも好きにしてかまわないけれども・・・
他の船に衝突して御迷惑をかけないで下さいな!
「本人が、心の中で、自分はダメ人間だ。何をやってもダメなんだ。ダメ!ダメ!ダメな存在なんだと勝手に決めつけて、泣き言言って、日々を何げなしに歩んでいるならば、そんな方は、錨をおろしたまま、停泊してばかりいる進まない船だね!
自己否定して、何もしないことを言い訳にしているんだね。
しかし、行きつく先は、潜在意識の希望通りのところに行きつくね。
こんなはずではなかったなんて、後から後悔しても、「あとの祭り」ですよ。
決して言い訳を言ってももう無駄ですな。
真理は峻厳侵すべからざるものなんですよ。
何故なら、人間真理の法則に合わせて、ゆくゆくは諸君の望むようになっていくからだよ。
よりよき明るい新年を迎えるにあたって自分のために他がために「自分の心の態度は、積極的or消極的かのどちらにあるのか?」自己省察してみることをおすすめします!
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート8」だ。
諸君、天風はどこへ向かって歩いていたのか?
只今も歩いていますがね!
その道は、我が人間人生ドラマを通しての、宇宙の進化と向上に順応すべく、かく歩く道を、あるがままに、天真は流露そのまんまの道に至る道すがらを表現し、指し示すことにありました。
その消息たる天の計らいなど知ってか識らずか、ただ心を強く、ただただ強く、更に強くしたい!という動機に始まって、只ひたすらに、ひたむきに、一途に、積極一貫銘心堅固にして、歩いた来たんですよ。
気づいてみれば、その目的は、大悟による真理の探究徹底と、済民救世を意図する天の慈雨(じう)の法雨(ほうう)の人間真理人生真理を表現する具体的実践的伝達にありました。
只今もまさに同じことをしているのでありますよ。
またそのプロセスにあるんです。
本日はこれまで。
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート7」だ。
諸君、昨日は「苦労」を「試練」に置きかえる。
「自己」を前に付けて「自己試練」とする。
それから、「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」を心に刻む!
という話でしたな。
まずは、「自己試練」。
これもね、言葉を置きかえるんですよ。
耳慣れない言葉でありましょうがね、「自己陶冶(じことうや)」と生前は言っていました。
乗りこえていくべき「試練」というものは、自己の生まれついた性質、性能をね、鍛えて練り上げてくれる材料なんですよ!
ではその目的はと言うとね、価値高い真人生をきずくための真人格をつくることなんですよ。
「そもそも、人格の完成は、人類当然の責務にして、ただ一途(いちず)、自己を陶冶することによってのみその目的を達成す。」
これを総称して、自己を陶冶すると語っていたんですな。
先哲、先達いわくね、人生を旅としたり、道としたり、川の流れとして、たとえたりもしていますな。
人生を旅路として慮れば、乗り越えていく「試練」の道も、有意義のある、生き甲斐のある人生を演出してくれる、絶好絶妙の天の計(はから)いでもあるんですぜ。
その旅路の初一歩は、私からすれば、万物の霊長たる人間として生まれたという厳粛な事実のことですよ。
諸君も同じですよ。
生まれた時、ところ、境遇は異なっても、えーえ、これは、共通してるんですよ。
人間として生まれたことです。
諸君が、知る識らざるにかかわらず、生れた以上は、誰しも初一歩をすでにスタートしているんです。
えーえ、何人(なんびと)も人間として生まれて、生きているのであれば、みな、只今も歩いているんです。
諸君は、どこへ向かって歩いていますかな?
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート6」だ。
諸君、油断も隙も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
昨日の引き続きです。
それには、何と言っても自分の口から出す言葉というものを、積極的精神態度で有意注意して使うことですよ。
例えば、「苦労」という言葉を「試練」という言葉に置きかえるんですよ。
「苦労」という言葉自体がネガティブなんですな。
おわかりになりますかい?
「苦労」はすべて「試練」にかえちまうんですよ。
それから「試練」という言葉の前に「自己」という言葉を付けるんです。
つまり「自己試練」だね。
人生どんなときでも「心一つの置きどころ! 積極的精神で、乗り越えるために『自己試練』は用意されているんだ」と己の心に決めるんです。
自覚決心するんです。
よろしいですか!
それでもって、次の言葉を自心に対して厳命するんです!
「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」
念には念を入れて、忘れないために、彫刻刀でもって心に刻みこんでおくんですぞ!
この確信決定が、ディフェンスとなり、必ず生きてきますぞ。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート5」だ。
諸君、「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」この言葉聞いたことないですかい?
また、こんなニュアンスで言われた方いませんかい?
今時は、この言葉は使いませんでしょうねぇ~。
この言葉の本来の意味は、「若い時の苦労は後々に役立つであろうから買ってでもせよ!その方が得になるぞ。」ということでしょうよ。
私の知ってる限り、そう言った本人が、苦労と称するものを喜んで金出して買ったという奇特な人は知らないですよ。
もちろん「苦労売ります!」なんて商売もありませんでしたよ。
諸君の周囲にもないでしょう?
諸君は、神仏の御利益があるなら多少の御賽銭出してもいいとお考えになるでしょうよ。
年末ジャンボ宝くじ3億円当たるなら、多生の金銭なら神仏を買収したいですよね!
そうじゃないですかい?
取り越し苦労バラエティーセット定価100万円を本日は年末スペシャル価格50%offでご提供しますよ。
年に一回の大安売りですよ。
買わなきゃ損ですぞ。
貧乏神苦労セット50万円、疫病神インフルエンザ苦労セット50万円も合わせてどうぞ。
どうだい、諸君は、喜んで買うかい?
好き好んで御苦労買うなどとは、私に言わせれば、気違い沙汰だね。
そうでなくとも、本人が望まなくともだまってでも向こうの方から勝手にやって来るんだものな。
ただし、諸君は、いつやって来るかわかりません。
サンタクロースがプレゼント持って来てくれんじゃないですぞ!
油断(ゆだん)も隙(すき)も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
つまり自己防衛ですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート4」だ。
諸君、天風は、陽気で明るく楽しい笑顔酒の推進派であります。
ことさら酒を飲むことを勧めているわけではありませんぞ。
これはね、「平素人生に活きる時に、つとめて明るく朗らかに活き活きと勇ましく、活きる努力を実行すべきである。」というのが私のモットーの一つでしたよ。
もちろん只今もそうですよ!
それはね、日々の苦労するという観念を、心ひとつで切りかえて、つとめて明るく朗らかなものにしていこうよ。
苦を楽にスイッチしていこうよという心機の転換の意味なんだ。
苦労を喜びに、楽しみに切りかえる場に変えなさいな!と提案しているんですぞ‼
別に諸君に、どうしてもそうしなさいと強要しているんじゃありませんから、それは諸君、御自由にして下さい。
平素とは、酒飲んでいるときもそうですよ。
これも平素の人生に活きる時なんですよ。
酒飲んでいるときは別、パチンコやっているときは別、なんてことはないんですよ。
これも人生の生活の一部でありますよ。
いくどとなく、繰り返しているのなら、立派な生活習慣ですぞ。
何故に苦労厳禁かというとね、知る識らざるとを問うことなく、「俺は心労が絶えないんだ。」と口にするという心もちを自身の心にもたせると、判断力、断行力、さらに精神力というものが、どんどん委縮減退するんですよ。
何故って、さらなる余計な苦労想念エネルギーを呼び込んでしまうからなんですよ。
日頃のたまったストレスのはけグチ(愚痴)が、酒の力をかりることで神経もゆるむことにより、苦労話も出やすくなることは、ご納得されていることでしょう。
苦労話に限らず、どんな言葉も、自分で話したことを自分の耳が聞き、また自分の口がしゃべっているんですよ。
当り前だね!
当り前のことでしょうけれども、これって、知る識らざるにかかわらず、自己の潜在意識層に、自己暗示をかけているんですよ。
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート3」だ。
諸君は、会社or個人で、何回くらい、忘年会するかね?
2~3回位かい?
多い人でも5~6回位かねえ。
どうだろう。
一年間の苦労をため込んで、2~3回の忘年会で、すべて忘れろというんじゃ、いささか無理がないかいな?
諸君は、毎日、毎日、あきずに飲んだり、食べたりしているんだろう。
日に2~3度は、めし食ってんだろうよ。
一年365日毎日繰り返しているんだね。
中には、プチ断食している人もいるだろうから、毎日じゃないだろうけども、たいがいの人は飲んじゃ、食っちゃ、出しちゃしているんだろう。
どんなに、仕事が忙しいやつでも、一年分を一回で飲みだめ、食いだめは出来ないでしょうよ。
出来る人いるかい?
いるんなら手を上げてくれ!
ましてや、一年に一回の排便、排尿なんて考えられるかい?
願わくば、一日一回のお通じがある方が望ましいよなぁ。
ましてや、小便の方は日に5~6回はしないと体によくないぜ。
がまんなんかしなくていい。
旧(むかし)から、出ものはれものところ嫌わずと言っているだろう!
遠慮するな!
キリスト様が言ったか、お弟子様が言ったかわかりませんが、「今日の苦労は一日で足れり!」新訳聖書マタイ伝に出てくるお馴染みの聖句であります。
ご存知でありましょうや。
今日一日の苦労は一日で十分だということだがね。
天風に言わせりゃ「今日一日の苦労という名の、くそ、小便は、ためとくと心と体に毒だから、ためとかないで、今日一日のうちに、出してスッキリしなさいよ。きれいサッパリ水に流しなさいよ!いいね!」という、ためてもためになる、うんちくとなる話ですよ。
諸君なら、賢いから、きっとおわかりになるはずです。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風