2010年6月19日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート147

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート147」だ。

諸君、昨日の引き続きです。

バイザー京華(きょうか)の言動の豹変ぶりと厚かましさ、そんな彼女に対してのひんしゅくの大ブーイングでしたねぇ~。
バイザー京華、大ブーイングをものともせずに曰く、「いつもお客様に愛されるおもてなしを居酒屋「ざ・論民」従業員一同心がけてまいります。 本日は御来店まことにありがとうございます。 皆様のお相手は『笑顔と愛嬌は0円(ぜろえん)よ!』がモットーの早少女(さおとめ)京華でした。 これで学而の間より実況中継を終わります。」

顔回(がんかい)何を思ったのか突然バイザー京華のマイクを取って曰く、「御来店の皆様、僕はハワイには行きましぇん!」

バイザー京華マイクを取り戻して曰く、「お客様、緊張がほどけて酔いがまわったんですか!」

顔回曰く、「僕はハワイには行きましぇん!」

子貢(しこう)曰く、「回(かい)さんそれはわかりました。 もう帰りましょうよ! 回さん、早朝から野良仕事でしょう!」

顔回曰く、「僕はハワイには行きましぇん!」

子路曰く、「回、ハワイに行かないことはわかった! 気をしっかり持て。」

バイザー京華曰く、「回様、ハワイのペアチケットはどうされるのですか?」

顔回曰く、「孔子先生に差し上げます。 僕がハワイに行ったら、ぶっちゃけ帰りたくなくなるでしょう!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年6月18日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート146

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート146」だ。

「論語」「憲問」篇に孔子先生がこう述べておられる。

子曰く、そのこれを言いて怍(は)じされば、これをなすや難(かた)し。 

心にもないことを言うべきでないが、相手に対して本心良心から湧き出(い)ずる思いがあり、発言に対応する実質があってこそ、自信を持った断言ができる。
と言うことは、ことに処するに、言わなければならない肝心要のときに言い、言わなくてもよいことには、口を出さない!
渋沢翁に言わせれば、沈黙は必ずしも金ならず。
雄弁は必ずしも銀ならずと言うことになるね!

諸君、ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。

バイザー京華(きょうか)、顔回(がんかい)にマイクを向けてインタビューして曰く、「チャレンジ成功おめでとうございます! 今の心境を語って頂けますか?」

顔回答えて曰く、「論民ファンの皆様、御声援まことにありがとうございます。 私のイメージどおりの結果で終わってほっとしています。」

バイザー京華、顔回にインタビューして曰く、「チャレンジ終盤にチャレンジャーの目の前にペキン原人シロが突然現われて驚きませんでしたか?」

顔回答えて曰く、「あ~、はい! ちょうどそのときは、意識がもうろうとしていましたので、誰が目の前にいるかわかりませんでした。」

バイザー京華、顔回にインタビューして曰く、「後ほど、記念撮影とJTBで行く『思いっきりハワイ満喫6泊8日の旅』の目録をお渡ししますが、何とこれペアチケットなんですね。 どなたと一緒にいかれますか?」

顔回答えに窮して無言!

バイザー京華曰く、「失礼ですが、回(かい)様は独身ですか?」

顔回答えて曰く、「あっ、はい。」

バイザー京華曰く、「回様は、今おつき合いしている方がおられますか?」

顔回答えて曰く、「あ~、特定の人はおりません。」

バイザー京華曰く、「回様! 私でよければ喜んで同伴いたしますよ!」

顔回答えに窮して無言!

店内より「帰れ! 帰れ! 本部に帰れ!」の大ブーイングが起こる。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年6月17日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート145

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート145」だ。

諸君、バイザー京華(きょうか)の口舌(こうぜつ)態度の豹変(ひょうへん)ぶりに店内のお客が唖然として沈黙してしまったんだ。
よく「口は禍(わざわい)の門である」といいますね。
また「沈黙は金、雄弁は銀」とも言います。
渋沢翁も「論語と算盤」の中でこんなことを言っている。

 余は平素多弁の方で、よく種々(いろいろ)の場合に口を出し、あるいは演説なぞも処嫌わず、頼まれればやるので、知らず識らず言い過ぎることなぞあって、人からしばしば揚げ足を取られたり、笑われたりすることがある。 しかし、如何に揚げ足を取られようが、笑われようが、余はひとたび口にして言う以上は、必ず心にもないことは言わぬという主義である。 したがって、自分自身では妄語(もうご)したとは思っておらない。 あるいは世人には、妄語と聞こえる場合がないでもなかろうが、少なくとも自分は、確信のある所を口にしたつもりでいる。 口舌は禍の門であるだろうが、ただ禍の門であるということを恐れて一切口を閉じたら、その結果はどうであろう。 有要な場合に有要な言(げん)を吐くのは、できるだけ意思の通ずるように言語を用いなければ、折角のことも有邪無邪中(うやむやちゅう)に葬られねばならぬことになる。 それでは禍の方は防げるとしても、福の方は如何にして招くべきか、口舌の利用によって福も来るものではないか。 もとより多弁は感心せぬが、無言もまた珍重すべきものではない。 唖(おし)はこの世の中において、如何なる用を弁じ得るか。
 余のごときは多弁の為に禍もあるが、これによってまた福も来るのである。 例えば、沈黙していいては解らぬのであるけれども、一寸(ちょっと)口を開いたために、人の困難な場合を救ってやることができたとか、あるいはよく喋ることが好きだから、何かのことにあの人を頼んで口を利いて貰ったら宜しかろうと頼まれて、物事の調停をしてやったとか、あるいは口舌のあるために、種々の仕事を見出すことができたとかいうように、すべて口舌が無かったら、それらの福は来るものではないと思う。 して見れば、これらは誠に口舌より得る利益である。 口は禍の門であるとともに、福の門でもある。 芭蕉の句に「ものいへば唇寒し秋の風」というのがある。 これも要するに、口は禍の門ということを文学化しかものであろうけれども、こういう具合に禍の方ばかり見ては消極的になり過ぎる。 極端に解釈すれば、ものを言うことができないことになる。 それではあまり範囲が狭過ぎるのである。
 口舌は実に禍の起こる門でもあるが、また福祉の生ずる門でもある。 ゆえに福祉の来るためには、多弁あえて悪いとは言われぬが、禍の起こる所に向かっては言語を慎まねばならぬ。 片言隻語(へんげんせきご)といえども、決してこれを妄(みだ)りにせず、禍福の分かるる所を考えてするということは、何人にとっても忘れてはならぬ心得であろうと思う。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風
  
  
妄語(もうご) ― うそをつくこと。 不実な言葉。

2010年6月16日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート144

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート144」だ。

諸君、顔回(がんかい)ついにチャレンジに見事に成功しました。

バイザー京華(きょうか)マイクを持って曰く、「完飲です! 店内の皆様、ピッチャーの一気飲み完飲しました。 チャレンジに成功です! コングラチュレーション! おめでとうございます! チャレンジャーは放心状態のようでありますので、同門の子路(しろ)様、一言コメントをお願いします。」

子路、差し出されたマイクを両手につかんで号泣して曰く、「感動した、回(かい)! 感動したよ! お前は孔家門弟の鑑(かがみ)だ。」

バイザー京華、子路の持ったマイクを無理やり取り上げて曰く、「はい、子路様、ありがとうございます。 回さん、お尻の穴にじょうごをさされてビールを流されなくて良かったですね! はい、では、もうお一人方、同席の御友人に一言コメントを頂きましょう。」

子貢マイクを向けられて曰く、「カメラはどこ?」

バイザー京華あきれ顔で曰く、「さっきも言ったでしょう。 音声放送だけです。 カメラはありませんよ。」

子貢、バイザー京華のマイクを取り上げて曰く、「えー、本日は、私の友人回君のピッチャー一気飲みチャレンジパフォーマンスショウにお越しいただき誠にありがとうございます。 チャレンジャーと私は、孔家の門下生で親友であります。 えー、ともに師の言われる『道に志し、徳に拠(よ)り、仁に依(よ)り、芸に游(あそ)ぶ。』を目指しております。 えー、わかりやすく言いますと、万物の霊長たる人間としての正しい道の悟りを目標とし、人徳を身につけ、仁の心を実践し、幅広く教養をひろめていくと誓い合った同志であります。 えー・・・」

バイザー京華、子貢のマイクを取り上げて曰く、「こら! ボケ! 勘違いすんな! 結婚式の友人代表のあいさつじゃねえんだ! 一言と言っただろう。 あんたの話はめんどくさくって、くどくって、なげえんだよ! 『回さん、チャレンジ成功おめでとう!』これだけでいいんだよ。」

店内急にシーンとなる。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年6月15日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート143

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート143」だ。

諸君、顔回(がんかい)チャレンジ成功なるか?

独身の顔回の日常生活は、日々疏食(そし)を飯(く)らい、水を飲み、肱(ひじ)を曲げて手枕でごろ寝する。
こんな貧乏ぐらしの中にも、顔回の楽しみがあった。
その楽しみは、素直な気持ちで心の中のスクリーンに思い切り理想を描くことであった。
決まって心のスクリーンに描くイメージは、顔回の「お決まりのシーン」があった。

憧れの地、ここはハワイ!
それもダイヤモンドヘッドが見えるワイキキビーチ!
その砂浜にいるのは二人だけ。
そう「顔回君」と「サキちゃん」である。
暑い太陽の日差し、そして青い海と潮風、砂浜をビキニ姿で走るサキちゃんを追いかけるアロハシャツに海パンの顔回。

二人は互いに顔を見つめあい、こう呼びあう。
「サキちゃん!」、「顔回君!」
そして二人のお決まりのセリフを言い合う。
「仁者はハワイがお好き!」
「サキちゃん、違うだろ! 仁者は山が好き!」
「あなた相変わらずかたいのね!」

諸君、「論語」雍也(ようや)篇に「知者は水が好きだ。 仁者は山が好きだ。」とある。
顔回はこの孔子先生の言葉から「仁者は山が好き。」と答えたんだね。

そして二人の乾いた喉を潤してくれるのは、サキちゃんが決まってトロピカルドリンク。
顔回君のお決まりは、ピッチャーに入った生ビールである。
顔回君はイメージの中では、ピッチャーに入った生ビールを10本のストローを口にくわえて一気飲みする一発芸であったんだ。
これもサキちゃんを喜ばせるためなんだね。
そう「人の喜びをわが喜びとする」をモットーにしている顔回君の愛情表現なんだ。
そして顔回の理想イメージの中では「一気飲み」の失敗はただの一度もなかったんですよ。

諸君、話が長くなりました。
顔回君、残りのビールを巨大ストローをイメージして、一気にすいこんだ。
完飲の瞬間である。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年6月14日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート142

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート142」だ。

諸君、ここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。

パーテーションをはさんだ先進の間から、神北(かんぺき)曰く、「イッキ!イッキ!回(かい)さん、もうすぐだ。 がんばれ回さん! ファイト~一気!」

バイザー京華(きょうか)マイクを持って曰く、「店内の皆様、チャレンジャーの目に生気が戻ってきました。 マラソンで例えればスタートした競技場の中へ戻ってきたというところでしょうか? さあこのチャレンジ、成功なるか? 実況アナは早少女(さおとめ)京華です。」

諸君、顔回の生気が戻ってきた訳は、ハワイ旅行の目録という響きの言葉であったんだね。
顔回が少年の頃、友達の家で見たテレビCMに強い衝撃を受けたことが第一原因なんだ。

「芸能人は歯が命」
「芸能人はハワイがお好き」
諸君の中にも記憶にある方もおられると推察する。
顔回の潜在意識の中にこのCMがまるごとインプレスされていたんだ。
その記憶が呼び覚まされたことで潜勢力が働いて生気が戻ってきたという訳なんですよ。

店内より、「回! 回! 回!」コールが響く。

子貢大声で曰く、「回さん、聞こえますか? みんな回さんの成功を待ち望んでいますよ!」

顔回(がんかい)、まばたき3回でエールの言葉にこたえた。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風
昨日午前10:00にアップいたしました「第141話」は、再考の上加筆いたしました。

2010年6月13日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート141

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート141」だ。

諸君、昨日の引き続きです。
できた人物の顔回(がんかい)であるが学びたいという欲求は人一倍強かった。
孔子先生も含めて皆、万物の霊長たる人間として生まれて、活きていく以上欲を捨てることはできない相談である。
人間の世界が常に進化し、向上しようとするのも、ある意味から言えば大自然のもう一つの大きな欲望だ。
人間を作った大自然がすでにこの大きな欲望を持っているんだ。
その大きな欲望を持ってるもの(神、仏、宇宙霊等々と呼んでいる根源存在)の力で生まれた人間に、よろしいかい、いろいろの欲望があるのは当然じゃないですか!
諸君は率直にどう思われますかな?
子罕(しかん)篇に孔子先生が顔回を追憶してこのように語っている。

子、顔淵(がんえん)を謂(い)いて曰く、惜しいかな、われその進むを見る。 いまだその止まるを見ず。

「まったく惜しい人物を死なせたものだ。 真理、道理を求めて止まることを知らず、前へ前へと前進する若者だったが。」

子曰く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言う可(べ)きのみ。諸(これ)(子貢)に往(おう)を告げて、来(らい)を知る者なり、と。

前述のこの文章は、察するに顔回を失ってからの孔子先生の言葉であろう。
子貢に対しての師弟の別をおいて、「お互いに真から分かりあえるのは君だ、賜君(しくん)分かっている君となら詩を談じあえる。 君は話を一度聞くと、その先のことがみえる力がある。 君は、今は亡き回(かい)についてこう言ったね。 『回さんは一を聞いて十を知る方です。』と! 今の君はまさしく回と同じ心的状態だね。 君のような弟子を持てて私は実にうれしい。」と子貢の成長を評価して誉めたんだね!

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風