2010年6月13日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート141

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート141」だ。

諸君、昨日の引き続きです。
できた人物の顔回(がんかい)であるが学びたいという欲求は人一倍強かった。
孔子先生も含めて皆、万物の霊長たる人間として生まれて、活きていく以上欲を捨てることはできない相談である。
人間の世界が常に進化し、向上しようとするのも、ある意味から言えば大自然のもう一つの大きな欲望だ。
人間を作った大自然がすでにこの大きな欲望を持っているんだ。
その大きな欲望を持ってるもの(神、仏、宇宙霊等々と呼んでいる根源存在)の力で生まれた人間に、よろしいかい、いろいろの欲望があるのは当然じゃないですか!
諸君は率直にどう思われますかな?
子罕(しかん)篇に孔子先生が顔回を追憶してこのように語っている。

子、顔淵(がんえん)を謂(い)いて曰く、惜しいかな、われその進むを見る。 いまだその止まるを見ず。

「まったく惜しい人物を死なせたものだ。 真理、道理を求めて止まることを知らず、前へ前へと前進する若者だったが。」

子曰く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言う可(べ)きのみ。諸(これ)(子貢)に往(おう)を告げて、来(らい)を知る者なり、と。

前述のこの文章は、察するに顔回を失ってからの孔子先生の言葉であろう。
子貢に対しての師弟の別をおいて、「お互いに真から分かりあえるのは君だ、賜君(しくん)分かっている君となら詩を談じあえる。 君は話を一度聞くと、その先のことがみえる力がある。 君は、今は亡き回(かい)についてこう言ったね。 『回さんは一を聞いて十を知る方です。』と! 今の君はまさしく回と同じ心的状態だね。 君のような弟子を持てて私は実にうれしい。」と子貢の成長を評価して誉めたんだね!

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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