2010年6月12日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート140

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート140」だ。

子曰く、回やそれ庶(ちか)きか。 しばしば空し。 賜(し)は命(めい)を受けずして貨殖(かしょく)す。 億(おもんばか)れば、しばしば中(あた)る。

諸君、孔子先生は先進篇で「顔回(がんかい)の人格はほぼ完全に近い。」、つまり「人間が出来ている。」と語っている。
その証に「回(かい)は赤貧の中でも天命を楽しんでいるからだ。」と述べている。

かたや「子貢(しこう)は天命に甘んじないで、金もうけに浮身をやつしているがそれでも遠い見通しを誤るような人物ではない。」とも評価している。
また学而篇の中では、子貢をかなり評価もしている。

子貢曰く、貧にして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無くんば、如何(いかん)、と。 子曰く、可(か)なり。 未だ貧にして楽しみ富みて礼を好む者には若(し)かざるなり、と。 子貢曰く、詩(「詩経」)に云(い)う、切(せつ)するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如し、と。 其(そ)れ斯(これ)の謂(い)いなるか、と。 子曰く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言う可(べ)きのみ。諸(これ)(子貢)に往(おう)を告げて、来(らい)を知る者なり、と。

このことについて「論語と算盤」の書中に渋沢栄一翁がこのように解釈して述べている。

門人の子貢が老(孔子)先生におたずねした。
「貧乏であってもどんな術(て)を使ってでも物を求めようなどとはせず、金持ちになっても物力(ぶつりょく)で偉そうにしたりしない。 そういう生き方はいかがでしょうか」と。
すると老先生はこうお答えになった。
「まあまあというところだな。 貧しくとも人間の生き方を考えたり、豊かであっても世の道理を求めようとする者には及ばない」と。
子貢は〔物質の増加でなくて精神を鍛(きた)えることのほうが上と分かって〕こう申し上げた。
「詩(「詩経」)にあります、〈(石を)切るごと、磋(と)ぐ(研ぐ)ごと、琢(う)つ(打つ)ごと、磨(す)るごと(心をみがけ) 〉と。 それをおっしゃりたいのですね」と。
老先生はお褒めになられた。
「賜(し)君、(詩を使えるな。)分かっている君となら詩を談じあえる。 話を一度聞くと、その先のことが見える力がある」と。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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