2009年12月24日木曜日

善いことは徹底してまねる パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート6」だ。

諸君、昨日は内輪の実話!実話!週刊実話の裏話をしてしまった。
裏話を聞かされて興醒めされなかったであろうか?
なんとも、あの世とこの世のいりまじった複雑怪奇!否複雑快気!
あの世とこの世の不思議ファンタスティック、ファンタジックな話だろうね。
これからも十分あり得るので諸君の寛容な愛の心で受け入れて下さいな!
本日はクリスマス・イブでありますから、愛のある、あったかい気持で家族や恋人や友人とともにすごして下さいな!
一人ですごす方はロバート・ゼメキス監督の「クリスマス・キャロル」の映画でも見るもよし、山下達郎さん、稲垣潤一さんのクリスマスソングを聞くもよしですよ!!

前置きが長くなってしまったね。
昨日の続きだったね。
「天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには思い出があるんですよ。」の話からさせた頂くね。
私こと、天風は1876年(明治9)7月30日東京府豊島郡王子村(現 東京都北区王子)で父祐興(おきすけ)、母テウの三男として生まれたんだね。
本名は中村三郎です。
私の生まれる7~8年前には、丸善も木村家(屋)も開業していたんですよ!
「丸善」は明治2年(1869)、書籍、薬品を商う丸屋として出発し、その後多角的な商売を始めることとなった。
日本橋丸善は明治3年(1870年)3月にオープンしたんですな。
丸善の創業者は知る人ぞ知る、かくれた有名人である早矢仕有的(はやしゆうてき)氏である。
何故かくれた有名人であるのか?
日本全国的に知らない人はいないであろう、かの「ハヤシライス」の考案者なんですよ。
諸君は「ハヤシライス」食べたことありますかい?
あの「早矢仕(はやし)さんのライス」で、「ハヤシライス」となった。
知っている人は知っている、うそのような本当の話ですよ。
インターネットで検索すれば本当だとすぐわかりますよ。
同じく「銀座木村家」も明治2年に、木村安兵衛が東京芝日陰町に「文英堂」を開業したんだ。
開業が同じ明治2年だったんだね。
「文英堂」は明治3年に京橋区尾張町に移り、屋号を「木村家」と改称した。
明治7年に銀座四丁目に木村家の店舗がオープンしたんですな。
このときから、木村安兵衛が酒種あんぱんを考案し日本で初めて第一号のあんぱんが発売され産声をあげたんですよ。
「銀座木村家」の屋号の大看板を揮毫(きごう)したのが、天風が敬愛する山岡鉄舟先生なんですよ。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

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