本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート3」だ。
諸君、昨日の引き続きですな。
「何故、目を半分開いているんですか?」の疑問についての天風なりの返答をしよう。
修養が進み、菩薩の心境境地にある状態は、「本然の自性」がそのままあらわれた状態なんだ。
自分の自我に偏見や執着、雑念、妄念、邪念もちろん悪念がある状態じゃないんだ。
一切の曇りがない、澄みわたった心境に他ならないんだ。
本来の自己、霊魂そのまんまの本然の自性がはっきり煥発されたものが「あるがまま」というんだよ。
一切の衆生はみな我と同じ。
またその理(ことわり)そのままが当然の自然のあるがままだから、そんなことすら考えも無い「空」の心の状態だね。
その心境の状態は自ずとある兆候や現象が出てくるんですよ。
本当の人間の本体はね、肉体でもまた心でもないんですよ。
人間の本体はね、絶対の不変にして不朽・不滅なる霊魂なんですな。
信じても、信じなくともけっこうですよ。
信じる信じないに関わらず、これは人間真理なんですな。
人間の心が理屈抜きの菩薩の境地であると、霊魂の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光」が発露すんですよ。
この「光」は、この世に在る唯一(ただひとつ)の絶対たる造物主(宇宙霊、神、仏etc.)が、人間の霊魂の中に与えられた造物主の慈悲の光の一雫(ひとしずく)が、輝くように内面から溢れ出てくるんですよ。
勝手に光がもれ出てくる。
肉眼で、この世の外界の光を見ているんじゃないんだよ。
心眼で見ているため自己の内面より光り輝く慈悲の光が、目を閉じていても真昼の太陽の陽の光のようにあふれ出て来るから、まぶしすぎて目を閉じていられないんだな。
そのため目を半分開いているんだ。
その半眼から、慈悲の光が溢れ出ているんですよ。
これも、修養が進むと、諸君らも目を閉じていても、光が感得されることがあるかもしれないね。
これって心眼が開いてきている兆候だな。
これは、目の病(やまい)じゃないですよ。
心が洗われて、曇りが払拭して、取り除かれて、お日様と青窓があらわれたんだね。
当然、心も肉体も内面から照らされ、明るくなるんですよ。
陽気が満ち満ちているんだね!
これを説明しようとすれば無理がある。
「筆舌(ひつぜつ)に尽くし難(がた)い」が、本当のところですよ!
私の観点からものを申すと、仏像の半眼は菩薩のその目から神仏の慈悲の光が溢れ出ている。
半眼の状態をとらえて、表現しているんですよ。
私はそのように感得しております。
日々菩薩の心境で過ごしたいものですな!
諸君、ままならないこの世でありますが、菩薩の心がけとして、その一端でも善きことは大いにまねていきましょうよ!
極論すれば天風の本物の究極のものまねは、菩薩の心境を丸ごとまねるということなんですよ。
以上でこの質疑の返答とさせて頂く。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
こんにちは、コメント入れられなかったりしていますが毎日ブログを拝見しています。
返信削除面白い!!先生のブログ面白い、楽しい、と安心いたします。
最近(ここ2~3日)ですが私の周りになんとなく相談事、悩み等をおしゃべりして帰る方が多いような気がしてます。
私はそうね~と聞き流していますが・・・ここにきて良かったわ~、と皆様帰りにおっしゃって帰ります、満足して帰って頂けるのは嬉しいことです!!
よかったですね。
返信削除また引き続き、ブログを楽しんでください。