本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート51」だ。
子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず
諸君、ここは孔子先生の書院の間であります。
孔子先生は子路(しろ)を呼び出し、何やら注意をあたえ、気づきをうながしているようです。
子曰く、「なあ、子路よ、おまえが門弟の中で最も古参で、先進の最年長であろうと、他のことはともかく、『仁』に関しては、先輩だろうが、私こと孔子先生だろうが、お釈迦様、キリスト様、天風先生だろうが、誰だろうが同志である。 遠慮はいらない。 また、遠慮があってはならない。 またこれを妨げてはいけない! わかるよな! 同志で同士の子路よ!」
子路、黙って先生の話を聞いていた。
そこへ来たのが子貢(しこう)である。
トントントン トントントン
「先生、子貢であります。 用向きが終わり、只今ここに帰参いたしました。」
「おお、子貢か、ご苦労であった。 今子路と話をしている。 もうすぐ終わる。 ちょっと、そこで待っていてくれたまえ!」
「はい、かしこまりました。」
子路問いて曰く、「いかなれば、これを士と謂(い)うべき。」
子曰く、「切切偲偲(せつせつしし)、恰恰如(いいじょ)たる、士と謂(い)うべし。 朋友とは切切偲偲、兄弟には恰恰たり。」
子路曰く、「先生が、私を同志で同士と言ってくれましたが、どういう人物が同志で同士の『士』でありますか? ぜひ先生の見解をお尋ねしたい!」
「子路よ、それはもっともな問いかけだ。 私は同志で同士の『士』とはこうとらえている。 真心のある、遠慮のない批判が出来る一方で、人に柔和に接することができる、これならば同志の志だ。 さらに友人に対しても真心のある遠慮ない批判を出し、親兄弟親族には柔和に接するならば同志で同士の『士』と言える! つまり志士のことだ!」
子路曰く、「ああ、はいそうでありますか。」
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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