2010年3月14日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート50

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート50」だ。

諸君、孔子先生は、良心いつわらぬこと(忠)と、他人への思いやり(恕じょ)とが人倫の根本であると述べておりますがね、私こと天風は、人倫の根本は、本心良心に基づく、忠と恕を兼ねた真心であると考えている。
この本心良心の真心で感じいった素直な心であるならば、自分にとっての最良の良師に出合うことができうる。
師もまた良弟子に出合う!
私はそう信念している。

生前それを聞いて、私は、「ハーッ、これだ、これだ」と思った。
私がちょうど、十三歳のときであった。
当時、贅沢(ぜいたく)三昧に暮らしていた私は、この物語が書いてある本を読んで、「これでは、いけないぞ!」と思った。
「今の境涯で、私がそのまま、いいわいいわで暮らしていることは、本当に罰当りだ。」と思った。
そうして、家をでる決心をしたのは、十五歳のときで、私は、「糞(クソ)! 男一匹、独立独歩だ。 親のお陰で、こんな暮らしをしていたって何になるか。 よし、飛び出してしまえ!」と思った。
それでも、今の時代と違って、いきなり飛び出すわけにはいかないので、「よし! 乱暴狼藉(ろうぜき)してやろう。 そして親に愛想をつかせてやれ!」と思い、もう手に余る乱暴をしてやった。
よく、織田信長のおおうつけの少年時代さながらであったなと思う。
そうして、手がつけられなくなったものだから、父祐興(すけおき)が、母テウの兄である、当時、農商務省の次官をしていた前田正名に相談したら、「友人の頭山満(とおやまみつる)のもとにやれ。」と言われた。
それがきっかけで、私は、頭山満先生のところへ、やられたのである。
そして、親のところを離れて、物好きと言えばそれまでだが、中年まで、満蒙で、自ら苦労に苦労を重ねた。
その苦労を喜びとして活きるような気持が出来てたことも、後年、病に冒された後に、自分自身をそのまま捨てない気になったことも、若いときにちょっと読んだ書物から受けたインスピレーションだと思う。


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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