本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート160」だ。
諸君、論語「公冶長篇(こうやちょうへん)」に
「子路聞くことありて、いまだこれを行なうことあたわざれば、ただ聞くあらんことを恐る」とある。
子路は孔子先生に何か一つ教えを受けると、それをすぐさま実行に移そうとした。
身をもって実行できないうちは、新たに別の教えを師から受けることを拒否したとある。
子路にとってみれば、どんなに良い教えを聞いたところでそれが現実に活かせぬもの、または役に立たない物は良しとしなかった。
偉そうに口巧者に語ったとしても実行せぬものは信用しなかった。
言行が一致しないことは何らの価値を見いだせないと考えていたのだろう。
後の世に生を受ける陽明学の祖、王陽明の実践哲学がそれである。
大辞林によると陽明学とは、「中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。 元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視した。 心が理であるという心即理(しんそくり)、生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。 王学。」と説明されている。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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