本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート2」だ。
「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」伊藤博文公のこの言葉の経緯(いきさつ)は御存知の方もおられるでありましょうよ。
私の大先輩である方ですがね!!
諸君の中で知らない方もいらっしゃるでしょうから、伊藤さんの辞典に書かれてある通り一ぺんのプロフィールを紹介しましょう。
伊藤博文(1841~1909)政治家。 長州の人。 初名は俊輔。
中村俊輔ではありませんぞ。ま~いいか!
松下村塾に学び、討幕運動に活躍。
明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。
初代首相、枢密院議長、立憲政友会総裁などを歴任。
組閣四度に及び、その間、日清戦争を遂行。
1905年(明治38)、初代韓国統監。
ハルビンで安重根に暗殺された。
これが辞典に出てくる、客観的プロフィールだね。
こんなもんで人生は、語られてしまうんだね!
それはそれとして・・・
その当時の天風こと私の印象であるが、「百聞は一見にしかず」とも、言えますかな。
近年の政治家のイメージがあるからして、見る側の諸子からして、一様の勝手なレッテルをはってしまう先入固定観念があるでしょうよ。
そうじゃありませんかい?
自分に置きかえてみると、私(わたくし)の考えと、はたの自分に関しての見方、とらえ方はずいぶんとギャップや思いちがいもあるもんじゃないですかい?
諸君も自己に照らして客観視してみればうなずけるでしょうよ。
いかがですかい?
伊藤さんは政治家というより、政治家に余儀なくされた。
そのように促されたんですな?
「時代の趨勢(すうせい)」ともいいましょうかね。
ある意味では、宿命づけられていたということですかな!
諸君は、ひとむかし前の政治家というと雄弁で話上手、ワンマンで強引!
脂ぎっていて、精力的で、金権がらみで、きたない、そして、どぎつい、インパクトがあるでしょうよ。
これって言いすぎですかねえ~?
ま~、すべてとはいいません。
政治家としては必要な条件の一つでもありましょうよ。
日本国初代の首相で、歴史上の人物で、さぞかし、切れ者!剛腕のイメージがあるかもしれないね?
ところがそうでもないですよ。
この伊藤さんは、実践的でありながら思慮深い方なんですよ。
そして、話上手より、聞き上手なんですよ。
とにかく黙ってまず人の話をよく聞く方だったね!
処世術でもあったんだろうが、実のところはそうでもないんだな。
私の察するところはね。
まあ、この話の続きは明日にしますかね・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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