本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート3」だ。
伊藤さんが首相の当時、明治三十三年十二月帝国議会、第十五議会に提出すべき法律案件になかなか決断を下せないでいた。
それは台湾総督府が提出してきた案件の承認であった。
その当時、日本が統治していた台湾の公債を外国で売り出そうという案件で、秘書官が議会に提出しようと伊藤首相に署名捺印を迫るが、なかなか判子を押そうとしない。
台湾総督からの依頼で、「日本帝国の国益に供与するものであるのに、何故に御承認なさらないのですか?」首相と秘書官の是非に関して、「即決する!」「しない」との押し問答が続いた。
その日は結局、判を押さなかった。
その翌日もまた翌々日も頑として押さなかった。
そうこうしてるうちに、年を越して新年を迎えてしまった。
明治三十四年のことである。
伊藤首相が、この案に反対であり、及び腰であると知って、陸軍大将を経て、陸軍大学校長となり、その当時は、台湾総督であった児玉源太郎が説得に乗り出してきた。
そして、首相と児玉総督の論争の末、承諾し、伊藤首相は判子を押すことになった。
その時、催促を続けていた秘書官を呼んで、伊藤首相はこう聞いた。
「世間では、自分のことを一国の宰相でありながら、優柔不断だといっているそうだな」
「はい、その通りであります。」と秘書官は答えた。
伊藤首相は、和顔平気の態度で言った。
「よく聞けよ。この案件では、君とも随分論争したが、今日私はこれを承認することにする。だがな、私は軽々しく決裁を与えないのは、陛下から多大な信任を頂いているからなのだ。万一不注意不備があっては、誠に畏れ多い。だから私(わたくし)の場合は不断(優柔不断)にあらず、容易に断ぜざるのみである。君にも、この心掛けで日常の事務をやってもらいたい。」
伊藤首相の言葉を聞いて、秘書官はびっしょり汗をかいたという逸話である。
不用意な発言をすれば、マスコミは真意のほどは別として、揚げ足を取ろうとするだろうよ。
何にも言わなければ、優柔不断、卑怯、グズ、ノロマだと評価されるであろうよ。
ゆずれない信念があるのならば、評価を恐れて、安易に容易に走るより、無理矢理決断することが、国民のため、国益となるいい結果になるとは、言い難い。
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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