2009年12月18日金曜日

和顔平気(わげんへいき) パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート6 ラスト」だ。

古(いにしえ)の聖賢の格言に、「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」というのがある。
先日、伊藤博文公の話をしましたな。
読まれていない諸君はパート1からの関連の流であるので初めから読んで下さいな。
伊藤公があれまでになったのも、良師にめぐまれたからこそですな。
かように言う私も例外ではありませんがね。
諸君はご存知のことでありましょう。
伊藤公の良師はご存知ですかい?
松下村塾の吉田松陰先生だね。
知らない諸君もおいでになるでしょうから、松陰先生の通り一ぺんのプロフィールをご紹介しましょう。

吉田松陰(1830~1859)
幕末の尊王論者、思想家。 長州藩士。
名は矩方(のりかた)、通称は寅次郎。
兵法を学び、長崎、江戸に遊学。
佐久間象山に師事した。
ペリー再来の時、密航を企てて、下獄。
後に、萩の自邸内に松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら維新の指導者を育成。
安政の大獄に連座、刑死した。

伊藤博文公にあっては、吉田松陰先生は人生の恩師であり良師であったんだね。
判断に迷ったとき、決断に苦しんだときなどは、気持ちを楽にして、静かに目を閉じる。
わずか十三才に満たない少年だった頃に出合った恩師の和顔平気の姿が鮮明にまぶたにやきついている。
恩師松陰先生はいつもにっこりとおだやかにほほえみかけてくる。
「利助、孟子についていっしょに学んだとおりにすることです。」
「利助、人の上に立つものは、高潔で誠実で正直であらねばならない。」
「利助、私心(わたくしごころ)をさり、公儀の為に至誠を尽くす。これすなわち為政者・公人としての弁(わきまえ)である。」
松陰先生の一点の曇りのないすんだ魂からの声が聞こえてくる。
松下村塾で学んだのは、わずか二年足らずであったが、自己を省みるときに、師の後ろ姿がまぶたにうかぶ。
我が人生の師、松陰先生ならどう判断し、どう決断するか?
それが伊藤博文公の正しい判断とする独自の「ものさし」であったんだ。
諸君は本物の良師を以っておりますかな?
このテーマはこれで終わることにする。
次回は新テーマで明日またお会いしましょう。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

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