2010年7月6日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート164

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート164」だ。

諸君、ここは子路(しろ)と顔回(がんかい)のいる学而の間の話の続きであります。

顔回曰く、「子路先輩! お言葉を返すようですが、それは何かの間違いか誤解です。 または私に対する回りの偏見ではないでしょうか? 私は自らの心の中を内省検討しても、先生の前でいい子ぶりっ子した覚えはただの一度もありません。 先生の言われることが逐一もっともなことだと感嘆するばかりです。 私にとって先生との対話は常に私論をはさむ余地がなかっただけなんです。 それよりも先生の語られることを心の耳をそば立てて、一言一句ももらすまいと集中しています。 私の心の耳で聞いたことをさらに記憶にとどめて忘れないように心の手帳に速記しているんです。 『一を聞いて十を知る』と例えて私の人物評を子貢(しこう)君が先生の前で述べたことは本人からも聞いています。 しかし、私としては先生の話の一つ一つがその意味において奥深さの限界が底知れないので、後で消化不良をおこさないために、先生より聞いた一つ一つのことを『聞き洩らすまいぞ!』と自分なりに有意注意しながらよく咀嚼(そしゃく)してから、発言しようと思っているからです。 子路先輩、『一を聞いて十を知る』は過大評価です。 私は『一を聞いて一を咀嚼する』が当を得ていると思います。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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