本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート377」だ。
諸君、昨日の引き続きであります。
子曰く、「子貢(しこう)! 的を射たいい質問だ! 最後に、それに答えることにしよう。」
顔回(がんかい)寮母の声色を真似て曰く、「みなさん! 御静粛に! 今夜、最後の先生のお話ですよ! 聞き洩らさないようにして下さいね! みなさんの寮母より。 では、先生お願いします!」
子曰く、「諸君、そのようになるためには、そもそも自己を陶冶(とうや)することによってのみ目的を達成できうる。 陶冶とは、生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げることの意味だが、どんなに生まれついた天の才能があろうと、それが他の人のために役に立たなければ意味を為さない! そのために鍛えて練り上げる必要があるんだ。 自己陶冶の力とは、自己の生命に内在している力だ。 われら、より良き優れし人生に活きるためには、先ずこの尊厳なる生命内在の力を発現することが肝要である。 この力を発現するには、良心に順じて自己の心の鏡を正しく、怠らず清く払拭(ふっしき)することによってのみ、その全能を発揮することができうる。 諸君は、心に心して常に心に良心に順ずる気高き理想と高級なる想像とを強烈に抱いてくれたまえ。 それはとりもなおさず、心鏡払拭に対する唯(ただ)一つの手段である。 ひたむきにただ想え、気高く強く一筋に。 諸君が、仮に人生行路の中途、滔(とう)々たる運命の濁流になげこまるるとも、また不幸病魔の擒(とりこ)となることありとも、夢にも悶(もだ)ゆる勿(なか)れ、怖るる勿れ。 宇宙の昭々たる摂理は、万象(ばんしょう)を恒(つね)に流転している。 されば今日の禍(わざわい)も、やがてまた明日の幸いを瑞祥(ずいしょう)するの兆(きざし)である。」
この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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