2011年1月1日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート343

新年あけましておめでとう御座位ます。

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート343」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

顔回(がんかい)独り言をつぶやいて曰く、「最初に出されたものは・・・ 何と“かけラーメン”でした。 子路(しろ)先輩もお金がないのに、無理してここへ連れて来てくれたんだと思ったんですが・・・ 『おい、新入り! 何故最初がこの“かけラーメン”かわかるか?』と問われたんですよ。 ・・・私は、『わかりません!』と返しました。 ・・・子路先輩は、『おい、新入り、何故“かけラーメン”なのか教えてやろう! 忘れずに覚えておけよ! お前、“一杯のかけそば”の話を知っているか?』 (顔回)『ハイ先輩、うるおぼえですが、知っております。』 ・・・(子路)『それだよ! 師走の暮れの大晦日の日に三人の親子連れが閉店間際、店に来て一杯のかけそばを注文した。 母親と二人の男の子の三人の親子連れで、一杯のかけそばを互いに分け合って“おいしいね!おいしいね!”とかみしめて食べた話なんだ。 俺は、その味は親子にとって決して忘れることが出来ない幸せの味がしたと思うんだ。 俺は、年の暮れになると二~三日何も食べない日をつくっている。 何のためかと言うと、若い頃に空腹でひもじい思いをした日を忘れないためだ。 新入りよ!俺の一杯のかけラーメンの話を聞いてくれ! 若い頃の年の瀬のある日、寒さと疲労とひもじさで意識が遠のいて気絶してしまった。 道端に倒れた俺を親切な親子が担ぎあげて自宅に連れて来てくれたことがあった。 その家は、すきま風が入る、寒い家だった。 火の近くに寝かせてくれて、俺は意識を取り戻した。 その時に、“何もないですが・・・”と言われて、アツアツのインスタントのかけラーメンを御馳走になったんだよ。 いまでもその味をしっかり覚えている。 このかけラーメンは、間違いなく日清のチキンラーメンだ。 この一杯のかけラーメンで、俺は人の情けを受け、生きる力を得たんだよ。 新入りのお前を見ていると、その頃のことがふっと思い出されてな! 救ってくれた親子に感謝して、せめてもの恩返しの真似事を新入りのお前にしているだけだ。 何故“一杯のかけラーメン”なのかの謎が解けただろう! さあ、遠慮しないで食えよ! 金なら心配いらねえから・・・』」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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