2010年11月3日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート284

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート284」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

子路(しろ)曰く、「先生、そんなに俺を評価してくれていたんですか? も~、そ~ならそうと、はっきり言って下さいよ! そうとわかっていたら、顔回(がんかい)なんかに嫉妬なんかするんじゃなかったなぁ~も~。 先生のいけず~。」

子曰く、「子路、顔回に嫉妬していたとは、何のことだ!」

子路曰く、「いえいえ! それは俺の独り言です。 ・・・先生、それにしても、一を訊いて一を知るじゃあ、当たり前のことじゃないですか? 一しか訊(き)いてないですからね! それ以上知り得ないですよ! そうじゃないですか?」

子曰く、「そうじゃないよ! 一を訊いて十を知れる者は、常人じゃない! つまり顔回は天才で、出来過ぎ君なんだ。 一を訊いて二を知れる者は、秀才で、子貢(しこう)も常人の域を越えている者だ。 子路は、一を訊いて一を知る。 これもなかなか出来ることじゃないんだぞ。 これが出来ていれば、当然のこと、すでに常人の域を超えている者だ!」

子路曰く、「一を訊いて一を知る者は、常人の域を超えているんですか? ふ~ん。」

子曰く、「子路よ、自己研鑽(けんさん)を積んでいる者であっても、一を訊いて一を知ることがなかなか出来るもんじゃないんだよ。 凡人は、良くって十を訊いて一を知る程度だ。 小人となれば、百を訊いて一を知れば良い方だ。 道を知り、己のものとするには、日々の研鑽(けんさん)努力はもちろんであるが、体得したならば、生涯実践をし続け、日々怠らない事が肝要なんだよ。 私も偉そうなことは言えない! 道徳を解説することや教授することに関しては、私も人並みに出来るようにはなったが、さて、一を訊いて一を実践出来るかというと実のところ、出来てはいない! どんな理屈を言ってこねまわしても、その実践となると、まだまだ道半(みちなか)ばだよ。」

子曰く、「文は吾れ猶(な)お人のごとくなると、莫(な)からんや。 躬(み)、君子を行うことは、則ち吾れ未だこれを得ること有らざるなり」。
 
この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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