本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート273』だ。
諸君、昨日の引き続きであります。
(Wikipediaより抜粋)
すると子貢(しこう)は「人は誰でも皆天が高いことを知っておりますが、では天の高さはどのようなものか、と聞かれたら皆知らないと答えるでしょう。 わたしは仲尼(ちゅうじ 孔子)の賢さを知っておりますが、その賢さがどのようなものであるのかは知らないのです。」(説苑)と孔子の偉大さを天の高さになぞらえて答えた。
またあるとき、叔孫武叔が(しゅくそんぶしゅく)「子貢は孔子より優れている。」と話したことを子服景伯(しふくけいはく)が子貢に伝えた。
子貢は「屋敷の塀に例えるなら、私の家の塀の高さは肩の高さぐらいでしょう。 ですから、屋敷の中の小奇麗な様子が窺えます。 しかしながら、夫子の家の塀の高さは高すぎて、ちゃんと門から見ないと中の素晴らしい建物や召使の様子は知ることはできないでしょう。 ですから、叔孫武叔がそういったのは無理ないことかもしれません。」(論語子張篇)と見事な例を引き、孔子が優れていることを表現した。
この子貢の言葉は今でも中国のことわざとして残っている。
春秋左氏伝には、国難に際して子貢が呉、斉などへ、外交官として使わされていることが散見している。(春秋左氏伝では子贛とも表記されている。同一人物とされる)
また、魯の大臣が外交の場で失敗して、子贛がいれば失敗しなかったのに、と残念がっている表現や、斉国から成という城市を取り戻していること、答えに窮した正使を助けていることなどの言動から、かなり有能であったことがわかるし、孔子にも勝ると一部で評価されるのも理解できる。
また、史記の記述によれば、魯を救うために越、呉、斉、晋に使いし後の縦横家(じゅうおうか)顔負けの弁舌をふるって魯を救い、呉を滅ぼし、越を覇者たらしめ、斉を弱めて晋を守ったとされる。
このような功績から、魯衛の宰相になったといわれる。
この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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