2010年8月8日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート197

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート197」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

「旗本退屈男」や「桃太郎侍」に出てくる主人公のように、人を大根や人参、キャベツを切るように切れるもんじゃありませんぜ。

真剣で命のとりやりをする時です。
いくら偉そうなことを言ったって、初めての命のとりやりというものはね、もう生きた気持ちのあるべきものじゃないんですぜ。
もしも、「俺は初めての斬(き)りあいの時だったって、何もかもはっきりしていた」っていう奴があったら、そいつは嘘ですよ。
何がどうなったんだか、ちっともわかりゃしないんだ。
殺されちゃたいへんだと思うからね。
一尺足らずの仕込み杖(づえ)を抜いて構えは構えたものの、震えてんだか動いてんだか、息してんだか生きてんだかわかりゃしない。
それで雲をつくような男が青龍刀(せいりゅうとう)ブンブンふり回して、デモンストレーション(示威)がすこぶる派手なんですからねえ、満州の馬賊(ばぞく)って奴は。
その時フウッと……思ったんじゃないよ、思わないで頭の中に出てきたんだ。
「真剣の勝負は腕前じゃない。度胸だぞ」って。
毎晩、もういやんなっちまうように聞かされていたその話が、爺(じい)の顔がパアーッとあっちへ出ると同時に、頭の中に閃(ひらめ)いたと思うと、どういうふうに斬り込んじゃったか、とにかくメチャメチャに斬っちゃったわけです。
それで、どこもどうもないとこを見れば、私は無事だったんだ。
もしも、ああいう尊い毎晩の教えが私の頭になかったら、あるいはそれでこの世を終わってしまっていたかもしれないんです。
いや、斬りあわないうちに倒れちまいますよ。
だから、現在かくある原因は自分じゃ気がつかなかろうけど、心のなかに与えられた、知らざるあいだに自分の心を同化させている暗示のおかげだということを深く反省しなければいけないんであります。
だから今夜から寝がけ、わずかな時間ですが、寝つくまでのあいだ、たとえ昼間どんな場合があろうとも、それは寝床の中に持ち込まないこと。
寝床の中はあとうかぎり積極的な状態で心を堅持しなければ駄目ですよ。
理想からいったらば、寝がけは何も考えないほうがいいんです。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

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