2010年7月31日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート189

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート189」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

「いずれにしても、こうしたことのいっさいを考えてみて、私はだよ―諸君がどう考えようと勝手だよ―人生を理論的に難しく考えて苦しむよりは、率直(そっちょく)に喜びのときをできるだけ多く、いかなる場合にも、心か肉体かどちらかに味わせて生きることを人生生活の主眼とするのが、どうせ遅かれ早かれ死んでいく命に対する最上の考え方だと決定したのであります。 
こういう考え方はね、死ぬときが今まもなく来るだろうと思う人間でなきゃ考えられない考え方なんだ。
あなた方みたいに、当分は死なないだろうとのんきに考える人間の頭のなかにはでてこない考え方かもしれない。 けれどね、人の命、まことに、『あすありと思う心の徒桜(あだざくら) 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは』というのが本当のことだもん。
しょっちゅう我々は死と対決してるんですよ。 『Human is mortal(ヒューマン・イズ・モータル)』という言葉があるじゃないか―人間とは死ぬものなり。 もういっぺん言おうね。 二度三度も言ってさしつかえないんだ、私の人生観をね。
人生というものは、忍苦(にんく)の忍耐道(にんたいどう)というような難しいことを考えるより、いつでも自己の命に喜びをできるだけ多く味あわせるようにするとろこに、本当の生きがいがある。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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