2010年5月24日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート121

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート121」だ。

諸君、既に文献等で御存知であろうが、孔子先生になんだかんだと言われても先生の死に水を取ったのは子貢であった。
孔子先生亡き後の一番の門弟で一番の理解者は子貢であったと言える。
孔子七十才で長男の鯉(り)が先立つ。
七十一才で高弟顔回(がんかい)病死。
七十二才で弟子の中で「論語」に出てくる回数が最も多いい子路が衛の高官となるも、反乱で落命した。
BC479年、死期を悟った孔子は、その時出張の旅に出ていた子貢の帰りを「一日千秋の思い」で門前で待ち続けていたという。
ようやく帰った子貢を大きな体で抱いて、「遅かったではないか! 何を道草してたんだ。」と言って泣いたと言う。
子貢が帰って七日目の朝、孔子は弟子たちに見守られて静かに息を引き取ったとされている。
七十三才の生涯であった。
鯉、顔回、子路亡き後、一番頼りにしていたのは間違いなく子貢であった。

諸君、あらためてここは居酒屋「ざ・論民」「学而の間」であります。

バイザー京華(きょうか)曰く、「それでは回(かい)様は御了解ということでよろしいですね!」

顔回小声で曰く、「オフコース! ベイビー!」

バイザー京華曰く、「チャレンジャーの回さまが御了解ですので、お連れのお客様も御同意でよろしいですか?」

子貢小声で曰く、「回さんの好きにすればいいじゃないですか!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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