本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート86」だ。
諸君、昨日の引き続き居酒屋「ざ・論民」、「学而(がくじ)の間」であります。
顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、これを仰げばいよいよ高く、これを鑽(き)ればいよいよ堅し。 これを瞻(み)れば前に在(あ)り、忽焉(こつえん)として後(うし)ろに在り。 夫子、循循然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘(いざな)う。 われを博(ひろ)むるに文をもってし、われを約するに礼をもってす。 罷(や)まんと欲すれども能(あた)わず、すでにわが才を竭(つ)くせり。 立つところありて卓爾(たくじ)たるがごとし。 これに従わんと欲すといえども、由(よし)なきのみ。
回(かい)、感嘆のため息をついて曰く、「孔子先生の霊性の徳性、つまり霊魂に備わった固有性能は、仰げば仰ぐほど高く尊く、霊性の徳性に精魂こめて切り込もうとすればするほど堅く強く感じるんだ。
先進のために、行く道を指し示すかのように前に立っておられる。
と、思えば、いつの間にか後進を後押しをするかのように後ろに立っておられる。
それでいて先生は順序良く人を導いてくださる。
私に先達に学ぶ為に書籍を読ませて見聞きを広めさせ、礼を実践しながら知識を集約して下さったのだ。
まるで生前の中村天風先生のようだ。
私は何度も学問を辞めてしまおうと思ったが、結局辞めることができなかった。
作家の宇野千代が「おはん」を書いた後の「書けない症候群」のスランプ状態の時のように自分の才能は枯渇しきったのだと感じて意気消沈する時があったが、さて先生は、と見ると、泰山(たいざん)のように、遥かな高みで毅然としてそびえ立っておられる。
先生に従って、積極的精神でついていきたいと思うのだが、時には雑念・妄念の雲が本当の自分を覆い隠してしまい、悲観し自己否定している消極的精神状態の心になっている自分があるのだ。
先生は絶対積極的の、私には達し難い高さにおられるのだ。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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