2010年4月3日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート70

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート70」だ。

諸君、ここでは、孔子先生の食生活について、郷党篇に述べてあるので御紹介しよう。

食(し)は精(せい)を厭(いと)わず。膾(なます)は細きを厭わず。食の饐(い)して餲(あい)し、魚の餒(たい)して肉の敗れたるは食らわず。色の悪しきは食らわず。臭の悪しきは食らわず。飪(じん)を失いたるは食らわず。時ならざるは食らわず。割正(きりめ)しからざれば食らわず。その醤(しょう)を得(え)ざれば食らわず。肉は多しといえども、食気(しき)に勝たしめず。ただ酒は量なし、乱に及ばず。沽酒市脯(こしゅしほ)は食らわず。薑(はじかみ)を撤せずして食らう。多くは食らわず。

解説すると、ご飯はなるべくよく精米したものを食べた。
つまり、玄米を搗(つ)いて白米にすることだね。
昭和の戦前戦中までは特に、白い「おまんま」のことを「銀舎利(ぎんしゃり)」と呼んで尊(たっと)んだ。
物のない時代であったから余計に、皆、銀舎利を腹いっぱい食べてみたいと思ったんだよ!
孔子先生は銀舎利を食べていたとは、その当時としてはけっこうな贅沢(ぜいたく)をしていたんだね。
生ものはなるべく薄く切ったものを食べた。
ご飯が少しでも饐(す)えていたり、魚や肉が少しでも鮮度がおちて、傷んでいれば口にはしなかった。
また、色つやの悪いもの、悪臭を放ったもの、よく火の通っていないもの、季節はずれのもの、切り方が間違っているもの、味付けやソースが料理に合っていないものは食べなかった。
肉類はどんなに多くとも、ご飯より多くは口にしなかった。
また、お酒の方は、別に定量はなかったが、乱れるほどは飲まなかった。
酒も干し肉も売買される市場の市販のものは口にしなかった。
出どころがはっきりしているいただきものか、自分の口に合う安全安心の自家製のものを孔子先生おかかえの孔門酒家で作らせて飲食していたんだね。
また、添えてある薬味のショウガは肉と一緒に食べた。
総じて食事の量は多くはなかったとある。
暴飲暴食を慎み、命取りになりかねない食中毒や毒殺等の警戒を怠らなかったとも言われている。
食の安全に対して有意注意していたことが推測できるね。
諸君らでも、もしや人間を食材として切りきざんでじっくり煮込んで、さらに濃い味付けのソースでごましてしまえばかいもく何を食べているか聞かされなければ、「おいしい!おいしい!」と言って食べているかもしれないね。
どんな材料で、何を食しているのか? 料理方法はどうか? などなどかなり造詣(ぞうけい)が深かったことがうかがえる。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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