本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート65」だ。
諸君、子貢(しこう)は、なぜ二人なのに「グラス3個」と言ったんだろうね。
「疏食菜羹瓜(そしさいこうか)といえども祭る。 必ず斉如(さいじょ)たり。」
「論語」の十の郷党(きょうとう)篇の中にあるものだ。
この郷党篇は、他の篇と異なって、ことばの記録ではなく、公私ともの孔子先生の行動のひとつひとつの生活を具体的に記録したものである。
上記を訳すと、「くだけた米の飯や菜葉のような粗末な食物でも、かならずお初穂取りをして、食(しょく)した。 その態度は敬虔(けいけん)そのものであった。」とある。
孔子先生のこの「お初穂取り」とは、食事の前に、食物の一部を皿の外に置き、初めてその食物を食べることを考えついた人やその食材の調理法を考案した方々に敬意と感謝の念慮(ねんりょ)を捧げることを習慣とされた。
この師の習慣がいつの間にか弟子に伝わり、先祖の供養もかねて、天地自然の恵みに感謝、先祖や先達の知恵の恩恵に感謝、見えざる存在の力に対して万物の霊長たる人間としての感謝を捧げることが、孔家門弟をあげての礼儀の在り方として、日常の習慣となっていたんだ。
その年に初めて獲れた穀物や野菜や果物や木の実などを神仏にお供えしておまつりをするこの風習は「お初穂」といって昔から日本各地にありますね。
また御先祖様に毎日炊きたてのご飯をお供えする家もありますね。
それから手を合わせて感謝して「いただきます」と言って食事をする。
これは、皆様方も特別なことではない、当り前の生活習慣となっている方もおられますよね。
日本に限らずどの人種においても、どこの国の民でも、どの宗教でも、食べられることへの感謝と喜びを言葉と形で表す習慣は人間の本性からくるものなんですね。
人間の本性に合わせた感謝を形に表現したものが「礼」の在り方なんですよ。
この「礼」の在り方を孔子先生は「礼」のエキスパートであるからして自ら率先し、よく実践したんだね。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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