2010年3月21日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート57

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート57」だ。


諸君、「論語と算盤」の中で渋沢栄一翁は、キリスト教の解くところの「愛」と論語の教うるところに「仁」とは、ほとんど一致していると述べているんだね!
キリスト教の方では、「己の欲する所を人に施せ」と教えてあるが、孔子先生は、「己の欲せざる所を人に施す勿れ」と反対に説いているのだ。
そこに、自動的と他動的との差はあるとしているが、この二者も終局の目的は遂に一致するものであろうと考えると述べておられる。
そうですよ、私天風からすれば、二者とも心一つのおきどころ。
それはね、どちらも端的に言って、「人の喜びをわが喜びとせよ!」これだね。

子貢(しこう)問うて曰く、「先生、二つ目は、孔門以外にも、職責の重い階級や、身分の高い階層の方々とお話をされる機会が多い先生は、私、子貢の感ずるに、いずれの時も相手に応じて的確に判断され、的を得た話をされるので、ただただ敬服しております。 まるで中村天風先生のようです。 先生は、当然のこと、もの知りなのはわかっておりますが、何か特別な秘訣でもあるのでしょうか?」

子曰く、われ知ることあらんや。 知ることはなきなり。 鄙夫(ひふ)あり、われ問うに、空空如(こうこうじょ)たり。 われその両端を叩(たた)きて竭(つ)くす。

子答えて曰く、「子貢よ、勉強好きという点では、私は誰にも負けないつもりだ。 だがここではっきりさせておくことにする。 私はもの知りだという評判は、実は間違っているのだ。 質問者があまりに無知で、何を聞きたいのかさえ要領を得ないんだよ。 そんな時、いろいろとこちらから聞き返して、質問者自身の疑問点を整理整頓をする。 本人が何が疑問なのかを理解におよぶように、はっきりさせてやるだけだよ。」

子貢曰く、「具体的な御教授、誠にありがとうございます。 精一杯努力いたします。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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