2010年3月6日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓〜論語創作ものがたり パート42

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート42」だ。

クローズアップ「人間孔子に迫る。」
では、私なりの解釈をしよう!




「顔回(がんかい)が死んでしまった。 実の息子以上の顔回が死んじゃった。 天意を汲んで『仁』を志してきたあの顔回が死んでしまった。 何故天は私から回を奪うのか? 天は私を見放したのだ。」

「常々『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れない。』と言っておられる孔子先生が人前で見栄も外聞もなく身を震わせ声を上げて激しく大泣きをされている。あの偉大な孔子先生があれほど慟哭されるとは、驚きだ。 先生は本当に仁者なのであろうか?」

そのつぶやきを耳にした孔子は、
「この私がまぶたをはらし、目を真っ赤にして、犬のように大口を開けて鼻水やよだれをダラダラたらしながら、大声を出して泣き叫んでいるというのか? そうかい、この私がかい? だが、慟哭もしようぞ。 お前ら、凡俗凡庸の一般門人が死んじまうのとは訳が違うわ! わが子同然のあの回が死んだのだぞ。」

ま〜、付き添っていた門人は、それを聞いてムカッとしただろうが、それでも深い悲しみの先生にかける言葉もなくて、オロオロして困っていたんだろうね。
ああ、かわいい回が死んじゃったよ!
門人仲間は先生第一のお気に入りの回のために一門をあげて、盛大な葬儀を営もうとしたんだよ。

「孔子一門結集して、孔子先生を励ますためにもたくさんの方々に来て頂いて、顔回を偲んで、盛大に門人葬を執り行いますがよろしいでしょうか?」

「真心がこもっていれば質素でいいんだ。」と言って一門葬を止めた。
だが、回の友人たちは盛大な葬儀を営んだ。

「回は私を本当の父親のように慕ってくれた。 それなのに、私は、回をわが息子として送ってやれなかった。 気心しれた者たちと親族と私だけで質素にしめやかに送りたかったんだ。 それなのに、止めたのも聞かずに、アホ弟子は、派手な葬儀などしおってからに・・・ いとしい息子の回よ! これは私の望むところではないのだ。 私のせいではない。 すべてはアホ連中が勝手にやったことだ。 許してくれ!」

諸君、孔子先生も手前勝手な一面もあるんだな!
何故かってかい?

「子曰く、君子は周(しゅう)して比(ひ)せず。 小人は比して周せず。」
君子は、対人関係が友好的であるが、身贔屓(みびいき)はしない。
小人は、その逆である。
身贔屓はするが、真に友好的ではない。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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