本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート41」だ。
諸君、「論語」を愛読されている方々であれば、顔回(がんかい―回)を特別に可愛がっていたことはすでにご存じでありましょう。
回(かい)に対する身贔屓(みびいき)がすぎるので子路(しろ)が孔子先生にくってかかったり、やきもちをやいたのもわかるね!
「論語」の中に出てくる以下の記述がそれを物語っているんだ。
顔淵(がんえん―顔回)死す。 子曰く、「ああ、天われを喪(ほろ)ぼせり。 天われを喪(ほろ)ぼせり。」
顔淵死す。 子、これを哭(こく)して慟(どう)す。 従者曰く、「子慟せり。」 曰く、「慟するあるか。 かの人のために慟するにあらずして、誰(た)がためにせん。」
顔淵死す。 門人厚くこれを葬(ほうむ)らんと欲す。 子曰く、「不可なり。」 門人厚くこれを葬る。 子曰く、「回やわれを視ること、なお父のごとくなり。 われを視ること、なお子のごとくするを得ざるなり。 われにあらざるなり、かの二三子(にさんし)なり。」
諸君、顔回が若くして亡くなった時の孔子先生の落胆の様子が描かれているんだね。
明日は、私なりの解釈をしてみよう。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
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