諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート31」だ。
諸君、いよいよ孔子先生が返答をする番だね。
何と言われるか楽しみだねぇ~!
子こたえて曰く、「神北(かんぺき)殿、そして子貢(しこう)、顔回(がんかい)の『わかる』は、皆、的(まと)を得た解答であったね! 万物の霊長たる人間は、『体』という『ボディー』と『心』という『マインド』と『霊魂』という『スピリッツ』の三位一体でできているのだ。 どれをぬいても人間として存在できないし、人間で在るとは言えないんだ。 それはどうしてかと言うとな、人間は、神でもない、また他の植物や動物でもない! 自然物ではあるが、神念(おも)う、天念う、地念う、万物念う、他者念う心性をもった霊的存在である。 また真理を慮(おもんばか)り、それを表現出来る権能を天から与えられている存在でもあるんだ。 そして人の霊魂よりくるところの本心良心がある。 それが天秤ばかりのバランスをはかる中心軸になる。 『自分には何がわかっているか、また何がわかっていないのか』というこの区別を本心良心よりくるところの悟心で得心すること、それが『わかる』ということなのだ。 つまり悟心とは、心がはっきりと澄んだ心で道理を明瞭に理解し、納得した心の状態、つまり正しく自覚している心の在り様のことだ。 本来、天には相対的な善悪も存在しない! 人の心を介することで、天秤ばかりが、善にも悪にもはかること、またはかられることになる。 その道理を己の心が知っていて、わきまえていることが、『わかる』ということだ。 その『わかる』心は、物事のあらわれやものの本質も自明することとなる。 『仁』の心が何たるかもわかるというものだ。 仁者への道でもある。」
一同、先生の話に、あ然として、ただただ、沈黙の静寂があった。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
0 件のコメント:
コメントを投稿