本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート388」だ。
諸君、いよいよフィナーレであります。
続いて司会子貢(しこう)、古舘伊知郎の声色を真似て曰く、「ブラボー! ブラボー! 御両人・・・店内のヤジ、バセイをものともせず、見事、歌い切りました。 ・・・御二人に盛大な拍手をお願いします!!」
店内から、万雷の拍手が起こる。
続けて司会子貢、古舘伊知郎の声色を真似て曰く、「本日は、『本音で語り合える対話処』居酒屋『ざ・論民』御来店誠にありがとう御座位ます。 ・・・御来店の皆様、我が孔子塾と論語は、空に太陽があるかぎり永遠に不滅です! ・・・只今、不肖子貢は、人生最高の幸せなひと時を感じております! ・・・我が恩師も子路(しろ)先輩も回(かい)さんも神北(かんぺき)君も同感でありましょう!」
神北曰く、「同感です!」
顔回(がんかい)寮母の声色を真似て曰く、「回くんも寮母も同感で~す!」
子路曰く、「無論、異存はない!」
子曰く、「幸せだなぁ~! 僕は諸君といる時が一番幸せなんだ! 死んでも諸君を離さないぞ! いいだろう~!」
司会子貢、古舘伊知郎の声色を真似て曰く、「はい、ありがとうございます! ・・・『論語創作ものがたり』御読み頂きまして、誠にありがとうございました。 御名残惜しいですが、これにて御別れでございます! ・・・最後に皆様のご健康と益々のご発展をお祈りいたしまして、一本締めで締めさせて頂きます。 ・・・それでは皆様 ・・・よぉ~ぉ、パン!! めでてぇなぁ~!!」
おわり
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読者の皆様、一年四カ月に渡り、つたなきブログをお読み頂きまして誠にありがとうございます。
長編になりました「論語創作ものがたり」は、子路の顔回への嫉妬から始まった師と弟子との人間模様を論語を交えてパロディーとして天風先生のナレーションとコメントを添えて描きました。
嫉妬劇ではありますが、登場人物のそれぞれの思惑の中で、ストーリーは展開していきます。
その中に一貫して流れているものは、思いやりの心です。
今の日本社会は、人間同士が上辺(うわべ)だけをとりつくろっただけでお互いに無関心になり、心が殺伐とした社会になっています。
御存知の事でしょうが、社会に起きる出来事がそれを証明しています。
何故そうなってしまったのでしょうか?
それは、人と人をつなぐ思いやりの心、孔子先生の言うところの『恕』の心の欠如ではないでしょうか?
論語「衛霊公第十五―二十四」に、
子貢問いて曰く、一言にして以て終身(しゅうしん)これを行うべき者ありや。
子曰く、其れ恕(じょ)か。 己れの欲せざる所は人に施すこと勿(な)かれ。
弟子の子貢が「ほんの短くて、座右(ざゆう)の銘(めい)にできるような言葉はありませんか」と言うから、「そうさな、『思いやり』かね。 自分がされたくないことを人にしないってことだよ」と教えたよ。
と、あります。
論語が今でも古くならないのは、言い尽されてきていますが、論語の中に人間本来(真我、良心)としてもった当たり前のことを語っているからでしょう。
孔子先生の死から2500年過ぎた今、ますます『恕』の心が希薄な社会であります。
これからどんなに科学技術が進もうと、便利な社会になろうと、人がある限り、『恕』の心は、永遠に変わらない大切な真理です。
読者の皆様!
ブログ「天意天風ここにあり!」は、これで終わらせて頂きます。
天国におられる天風先生、長い間、御指導誠にありがとうございます。 感謝!
JM.Shimizuもこれでお別れです。
ありがとうございます。 感謝!
また新たな内容で清水浦安としてお会いしましょう!
では、諸君! ごきげんよう!
さようなら。
天意天風
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