2011年1月9日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート351

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート351」だ。

諸君、昨日の引き続きであります。

子貢(しこう)曰く、「神北(かんぺき)の席は、先進の間の入り口のところです!」

神北曰く、「はい、では・・・」

子曰く、「神北、私の隣にきなさい!」

神北曰く、「はい!」

子貢曰く、「その席は、子路(しろ)先輩ですがよろしいですか?」

子曰く、「子路とは、対面(といめん)でお互い向かい合って話をしたい!」

子貢曰く、「はい、ではそのように・・・ 神北君、先生の隣にどうぞ!」

子曰く、「それで、子貢の『仁愛』とは何か?」

子貢曰く、「私は以前に『もしも国民全体に幸福感を与えられ、生活苦を除けたとしたら“仁”といえましょうか?』と先生に『仁』についてお尋ねしました。 先生は、『それができたら“仁”どころか聖と言うべきだ。 あの聖王と謳(うた)われた堯(ぎょう)や舜(しゅん)様たちでさえ、それが出来ずに悩まれたんだ。 だからと言って私は、“仁”が手の届かない所にあると言っている訳じゃないんだよ。 子貢が立身出世をしたければ、まず人を先に出世させてあげる。 自分が成功したければ、人が先に成功するように手を貸してやる。 卑近な例を取って喩(たと)えれば、これだって立派に“仁”に至る方法なんだからね。』とお答えになりました。 また『“仁”を、身につけるにはどうすればよいでしょうか?』とお尋ねしました。 先生は、『大工さんがいい仕事をしようと思ったら、まず道具を研科(と)ぐだろう。 だから、まずはその国で賢者とされる政治家に仕(つか)え、仁徳者と言われる者を友として、我が身を磨くことだ』と御教授して頂きました。」

子貢曰く、如(も)し能(よ)く博(ひろ)く民に施して能く衆を済(すく)わば、何如(いかん)。 仁と謂うべきか。 子曰わく、何ぞ仁を事とせん。 必らずや聖か。尭舜も其れ猶(な)お諸(こ)れを病(や)めり。 夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。能く近く取りて譬(たと) う。 仁の方(みち)と謂うべきのみ。

子貢、仁を為(な)さんことを問う。 子曰く、工(こう)、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器(き)を利にす。 是(こ)の邦に居りては、其の大夫の賢者に事(つか)え、其の士の仁者を友とす。

子曰く、「それは、私が答えた『仁』だ。 子貢の『仁愛』を尋ねている!」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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