2010年10月1日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート251

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート251』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。  

『それから、心性意識という意識は、常に発達的だということを忘れちゃ駄目よ。これを忘れちまうと、きょう自分の理性で考えたことが永久に正しいように思い違いしちまうんです。よく議論して平気でこんなこと言ってる人があるんだ。
 「おまえ、そんなこと言うけどな、物の道理を考えてみろ、物の道理を。俺はどうしても、おまえの言うことは違うと思うんだ。縦から考えても、横から考えても、俺の言ってるのが本当だと思うんだ」
 といってる言葉が永久に本当と思ったら違うよ。理性は発達するんだ。きょういいと思っても、あした悪いことになることがあるかもしれない。
 考えてごらん。その昔、人の命をとることはけっして悪いことじゃなかった。元亀(げんき)・天正(てんしょう)より以前の時代は、今のように完全な法治国家じゃなかった。自分を守るものは自分だもの。だから、せっぱつまった場合に人をたたっ斬(き)ったって、けっして罪になりゃしないもの。とくに武士と称する一階級のものは、武士以外の人間だったら人間扱いしないからね。町人なんていうのは無礼打ちでかまわないということになってた。
 もう一段前になると、台湾の生蕃(せいばん)と同じように、自分の殺した人間の数の多いのを自慢にするというような状態だった。それが、その時分の人間の生命を守る一つの手段であると同時に、人生の誇りだった。
 ところが段々だんだん時代が進化するにつれて、人を殺すことは非常な罪悪だということになってるだろう。
 ただし、人を殺せば罪悪だと言いながら、今でも戦争ではドンドン人を殺してるわね。これもまあ、二十年、三十年たったら人を殺さないで、戦争は議論するだけでおしまいにする時代がくるでしょう。そうなりゃあ、しめたもんだけどもね。
 またさらに、二千年のその昔、支那の孔子が生きてる時分には、男、女が七歳以上は一緒にいちゃいけないということになってたんだ―「男女七歳にして席を同じゅうせず」。つまり、その時分の支那人は七歳で色気がでたらしいんだな。今の人間みたいに、生まれるとすぐ色気があるなんてことはなかったらしい。今の人間をもしも孔子に見せたら大変だと思うよ。こらまあ、「これ、人間どもか! あれあれ、あそこに男と女、男と女」ということになるだろう。今じゃあ男と女とこうやって一緒に並んで話を聞いてて、何も罪だと思わないわね。
 昭和二十年まで日本の女は、亭主をもってほかの男と情を通じると姦通罪って罪があった。ありましたな。けど、今は姦通罪がないんだから、いやだったら別れなさい、何も辛抱して一緒にいる必要はありません、というのが法律だもの。段々だんだん変わってきちゃうんだもの。
 今より五千年もたつと、一年ごとに隣のかかあと交代しようなんてことになりやしないかと思うけど、まあとにかく、いろんな時代がくるよ。
 だから、理性というものは、たったいま考えて、これが完全に正当だと思っても、あしたは正当でなくなるかもしれないことを考えなきゃいけない。これは非常に重要な自覚なんだぜ。ところが、心性意識が発達的なものであるということを知らずに生きてる人が多い。これは本当に真剣に考えなきゃいけないよ。いわんやまして、心性意識が非常に発達的なものであるということがわかればだ、霊性意識から霊感を引きだす非常に大きなこれは手がかりになるんだもん。心性意識の働き方一つで霊感がでてくるんだぜ。だから、心性意識がどういうものだということを正しくわからなきゃ、何にもならないんだ。
 理性というものは、心性意識の発達にともなって、やっぱり相対比例で発達してるってことを忘れちゃ駄目よ。だから、軽率に、俺はこういうふうに考えて、これがどこまでもいいと思うんだ、というふうに言い張ることは、よほど考えなきゃいけない。
 理性本位で生きちゃいけないんですよ。だいいち、理性本位で生きるとね、生きるその人間ひとりが非常な苦労をするんですよ。それがわからないんだ、多くの人には。私なんかが、もうそら、形容ができない苦労をしたのは、自分の理屈で自分が苦労したからだ。
 もちろん、理性を排斥してんじゃないんだよ。発達した理性が進化向上を現実化していくんだから、そして文化というような恩沢(おんたく)を受けるような境涯もできてんだから。理性というものは尊重しなきゃいけないけれども、尊重しろということと、それ一点ばりで生きろということとは違うんだもん。わかる? 尊いから尊重はしなさい。けど、それ一点ばりで生きろと言うんじゃないもの。
 人生はねえ、何をいったい本位として生きなきゃいけないかと言うと、霊性を本位として生きなきゃいけない。霊性は発達性のものじゃないから、けっして間違った考え方はだしませんよ。理性のほうは知識とともに発達していくから、その知識が増えりゃ増えるほど、きのう考えたことがきょういけなくなり、きょう考えたことがあした間違ってるってことがわかるようになってくる。』

諸君、「霊感は人間の命の本体である霊魂という気体の中にあるんだ!」ということを多少なりとも理解されたと思う。
では、明日は「論語創作ものがたり」に話を戻すことにしよう。

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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