2010年8月6日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート195

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート195」だ。

諸君、子路(しろ)の少年の勇気と度胸は父方のおじいさんの何に故に由来しているのか?
やはり「三つ子の魂百までも」と言うが、幼少の折に聞かされた話というのは、要するに潜在意識の中にインプレス(刻印)されるんですよ。
私が初めて満州で真剣の勝負をしたのは十八歳の時であります。
錦州城(キンシュジョウ)と九連城(キュウレンジョウ)の偵察の任務を参謀本部から仰せつかった河野金吉(こうのきんきち)という人の鞄持(かばんも)ちして十六歳の時に今の満州へ入り込んだわけなんだ。
そうして、生れて初めて真剣の前に命のやり取りをする土壇場(どたんば)に立たされた。
ほとんど無我夢中ではあったけど、その時フゥーッと私の気持ちの中に小さい時、毎夜毎夜、耳にタコが出来るほど聞かされた、私の爺(じい)の言葉をヒョイッと思い出したんです。
私の爺というのは初代の柳川藩主伯爵立花鑑徳(たちばなかんとく)で、私の幼少の名前は三午(さんご)と言った。
それは午(うま)の月の午の日の午の刻に生まれた、その三つの午というので三午という名前だった。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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