本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート6」だ。
「なあ、子貢(しこう)おとうとよ!!」
「なんですか、子路(しろ)にいさん。」
「おとうとよ!! おまえ実のところ孔子先生に何と言われたんだい!! この間、ずいぶんと落ち込んでいたじゃないか?」
「ああ、そのことですか? あれは、顔回(がんかい)先輩のことですよ。」
「顔回のことって何だよ?」
「孔子先生に問われたんですよ。」
「何をだよ? まどろこしいなぁ~、子貢、はっきり言っちまえよ!」
「にいさん、そう、むきにならないで下さいよ! 孔子先生と私、私と先生、二人で世間話をしていたんですよ。 先生が『子貢よ、〈仁〉について子貢の存念を述べてごらんなさい。』と言われたものですから、ここぞとばかりに、私のいつも心に思っている〈仁〉の心の在り方、考えを述べたんですよ。」
「ほ~、それでおとうとよ、おまえ何と言ったんだよ!」
「私、子貢の存念は政事を為す者としての立場からの〈仁〉であります。」
「なるほど、子貢よ、君は、為政者の立場としての立脚点に立ってということでの〈仁〉ということだね!」
「はい、そうです。 『本来の君子を目指しての為政者としての在り方の命題がテーマであります。』と先生に申し上げたんです。」
「それでそれで、おまえ孔子先生に何と言ったんだよ。」
「はい、人民を貧窮から救い、生活を安定させることができたら、どうでしょう、これこそ〈仁〉ではありませんか?」
「それで、先生は何と答えんたんだ?」
「子貢よ、そこまでいけば、それはもう〈仁〉どころではない! 堯(ぎょう)、舜(しゅん)でさえそれを成就できなくて悩んだんだ。 〈仁〉はこの世に生ある人としてなすべき尊い道でもあるんだ。 子貢のいうところの為政者の立場から見たならば、君子は自分の名誉を大切に思うなら、他人の名誉を重んずるべきだ。 天は人間をして創造の自由を本性において与えられているのが人間なんだ。 自分が自由でありたければ、まず他人の自由を重んずる。 こうして自分を常に為政者と限定することなく、本来の万物の霊長たる人間として、他者の立場として客観的において考察し、まず天より与えられた人間本来の自由性を認め、自分が認めてもらいたいのであれば、まず他人の自由性を重んじること。 こうして、自分を常に他人の立場に置いてみること。 子貢よ、それが〈仁〉の道なのだよ。 何故それが〈仁〉の道なのか? そうすることにより相手の考えが自ずと見えてくるんだよ!」
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
為政者(いせいしゃ) ―政治を行う人。
0 件のコメント:
コメントを投稿