2009年12月10日木曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート7」だ。

諸君、昨日は「苦労」を「試練」に置きかえる。
「自己」を前に付けて「自己試練」とする。
それから、「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」を心に刻む!
という話でしたな。

まずは、「自己試練」。
これもね、言葉を置きかえるんですよ。
耳慣れない言葉でありましょうがね、「自己陶冶(じことうや)」と生前は言っていました。
乗りこえていくべき「試練」というものは、自己の生まれついた性質、性能をね、鍛えて練り上げてくれる材料なんですよ!
ではその目的はと言うとね、価値高い真人生をきずくための真人格をつくることなんですよ。
「そもそも、人格の完成は、人類当然の責務にして、ただ一途(いちず)、自己を陶冶することによってのみその目的を達成す。」
これを総称して、自己を陶冶すると語っていたんですな。
先哲、先達いわくね、人生を旅としたり、道としたり、川の流れとして、たとえたりもしていますな。
人生を旅路として慮れば、乗り越えていく「試練」の道も、有意義のある、生き甲斐のある人生を演出してくれる、絶好絶妙の天の計(はから)いでもあるんですぜ。
その旅路の初一歩は、私からすれば、万物の霊長たる人間として生まれたという厳粛な事実のことですよ。
諸君も同じですよ。
生まれた時、ところ、境遇は異なっても、えーえ、これは、共通してるんですよ。
人間として生まれたことです。
諸君が、知る識らざるにかかわらず、生れた以上は、誰しも初一歩をすでにスタートしているんです。
えーえ、何人(なんびと)も人間として生まれて、生きているのであれば、みな、只今も歩いているんです。
諸君は、どこへ向かって歩いていますかな?
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2 件のコメント:

  1. お世話になってます、みらんです。
    先日はありがとうございました、おかげさまで快適です!!
    ブログ面白いです、読者にさせていただきました!!
    毎日のぞきま~す!!

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  2. miranさん

    ありがとうございます。
    メッセージをいただくととてもうれしいです。
    これからも楽しんでいただけたらと思います。

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