2009年11月6日金曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ! パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ! パート1」だ。

「鞍馬天狗」はね、1924年(大正13年)に大佛次郎(おさらぎじろう)の出世代表作だ。
諸君、実は「鞍馬天狗」のモデルは他ならぬ肉体をもっている頃の私だったんだ。
知ってる方は御存知でしょうよ。
ああいう人物はいなかったんですよ。
幕末から明治維新には。
私が支那の革命戦争を終えて帰ってきて、東京で私の歓迎会を友人が開いてくれたときにちょうど、まだあまり世の中に出ていなかった大佛次郎がその席に来ていた。
本名は野尻清彦で1897年(明治30)横浜に生まれたんだ。
ペンネームは、鎌倉の大仏裏に住んでいたことによるそうだ。
上野精養軒の支配人の石坂徳三郎という人から私の身の上話を聞いて、非常に興味深く思ったんだろう。
「先生のお話をうけたまわるにつれ、もしも先生が幕末維新の際に生きて活躍していたら、こうもあろうかということをテーマにして、一つ小説を書かせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」
それは自由ですから、小説家は想像を天基に生きているんですから。
「ご自由に。ただ本名を使われると、そいつはいかんな」
「いえ、いろいろ考えましたが、『鞍馬天狗』という名前にしようと思います。ただ、先生の人間的な性格を根底にしてどんなものが書けますか、一つ書いてみようと・・・」
「それは面白い。書いてごらん」と言ったのが動機で、最初にできたのが「御用盗異聞」ていうんだ。
無声映画だったが、嵐寛寿郎が主役で一世風靡したね。

ま~解説はこれくらいとして、はじまましょうか!
「新 鞍馬天狗心得の条」のはじまりはじまりだ。
諸君「明朗快闊」はそのままだ。
「明朗」明るく朗らかであること。
「快闊」は心の広いさま。
グチグチ、キナキナ、ネチネチしない、さっぱりとして物事を気にしないことだ。
「仁と義」。
「仁」とは、己に克ち、他に対するいたわりのある心。
克己心と慈愛だ。
仁愛ともいっているがね。
「義」は、人のおこないが道徳、倫理にかなっていること。
はやい話が、本来の人の道にかなっていることの意味だが、ここでもそっと深い!最も根本となる、一番大切なことの意味だ。
それを「第一義」という。
仏教の方では、絶対の真理と解釈されている。
「篤く」は、真心がこもっている。
「心が深い」という意味のことですぞ。
「明朗快活にして仁と義に篤く」とは、「明るく朗らかで、グチグチ、キナキナ、ネチネチ
しない、さっぱりとして物事にとらわれることなく、懐が広く、深く、長く、強くの己自身を目指す!」
「突然の事態にさいしても驚愕することなく」、これはこのままだね。
想定外の出来事事件などに際しても、非常に驚いて、精神のパニックをおこさないことだ。
「虚心平気としてこれを愛念で受け」
諸君、「虚心平気」は、私の真骨頂であるので、私流のうんちくを代弁したい。
長くなったのでこの続きは明日にもちこしとしたい。
では、
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風 

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